夜を穿つ天雷
瞬きの内に通り過ぎるそれは雷光の如く。
上弦の弐・童磨は目を丸くした。たった今止めを刺そうとした花柱の女の子が消えている。自分の脇を通り過ぎた雷光によって連れ去られてしまった。──追うことはできるが、もう日が昇り始める頃だ。カナエと言っていた、やさしく、とても可愛い女の子。刀を握った可哀想な女の子。喰ってあげられないのは残念だが、仕方がない。
(雷の呼吸の柱かな。よく見えなかったけど、女の子ならいいな)
扇で口元を隠し、その下でうっそりと笑う。
花柱・胡蝶カナエが上弦の弐と遭遇したという報せを受け、晄夏はすぐに走り出した。ここ百年余り討伐された記録のない上弦の鬼は、常軌を逸した強さを持つ。いくら柱と言えど、一人で頸を斬ることはまず不可能だろう。どうか間に合え、間に合ってくれ。そんな懇願を胸に、ひたすら走った。
そうして月光に照らされた人影を二つ見つけ、晄夏はカナエを抱えて瞬時に距離を取った。けほ、と小さく咳き込むと口から血が溢れる。日輪刀は折れ、鋭利な刃による傷が身体中に刻まれていた。
ひどく傷ついたカナエの姿に、晄夏は腹の底から言い知れぬ激情がこみ上げてくるのを感じた。
「カナエ、もう少しの辛抱だ。そうしたら、隠や他の隊士も来る。大丈夫、きっと助かるから」
努めて冷静に告げる。カナエが晄夏に向けて伸ばした手を、晄夏は優しく握って微笑む。
呼吸もままならないというのは、カナエの様子を見て察していた。血も流し過ぎている。だが希望は捨てられない。捨てられるはずがない。
「俺は必ずあの鬼の頸を斬る」
「晄夏、君……」
「大丈夫。だから、泣かないで」
涙を浮かべるカナエの目尻を拭い、晄夏は立ち上がる。握った手を、カナエは離したがらなかったが、力の入らない手では晄夏を止めることはできなかった。
「晄夏君……行かないで……」
果たして、カナエの声が晄夏に聴こえていたか否か。
童磨は鳴柱が戻って来ると確信していた。男か女か、それを判断してからでも撤退は間に合う。そう思い、その場から動かなかった。
──雷の呼吸・陸ノ型 電轟雷轟
激しい斬撃が童磨に襲い掛かる。柱が来ると分かっていたからいなせたものの、これが不意打ちであったなら少し危なかったかもしれないと思う程の、威力と速度を有していた。
「あー……あぁ、なんだ。男は喰う気しないな、残念残念」
せっかく待ったのに。童磨は肩を落として、踵を返した。
だが逃げ出そうとする童磨を、どうして晄夏が許すことができるだろう。己の想い人を引き裂いた鬼が、今目の前にいるというのに。
「貴ッ様ァア!! 逃げるな!! 殺してやる!!!」
空気がビリビリと震える程の怒号を向けられ、童磨はなかなかどうして理解ができない。何故あの柱は怒っているのだろう。
だがそんなことは考えたって仕方のないことだ。問題は、雷の呼吸を使うが故に、相手の足が速いことだった。これが夜であれば、相手の体力が尽きるまで逃げるところだが、そうはいかない。もうすぐ陽が昇る。
(昼間に柱の相手をするのはなぁ……)
少し困った、どうしたものか。
──雷の呼吸・壱ノ……
瞬間、琵琶の音が鳴り響く。童磨の足下と、童磨を追う晄夏の足下に襖が現れ、口を開けた。
(なんだ、ここは……。血鬼術、だがアイツじゃない……)
落下した先、床や壁が反転しているような空間が広がっていた。天井に障子があり、壁に床がある。妙な場所だ。
「いやあ助かった。ここなら太陽も当たらないし、鳴女殿には感謝しないと」
──雷の呼吸・弐ノ型 稲魂
鳴女という名前の鬼の血鬼術で作られた空間。室内故に日光は届かない。晄夏にとって悪条件が揃い過ぎているが、それでも戦うしかない。童磨の頸を斬る、それしか選ぶことのできる道はないからだ。
(ごめん、カナエ)
内心、カナエに懺悔する。
(カナエの意志を、夢を尊重するつもりでいたけど、……俺には無理だ)
鬼は哀れな生き物。鬼も人間も、きっと仲良くできる道があるのではないか。──やさしすぎる彼女を、晄夏は否定したくなかった。
「クソ野郎……クソ鬼ィ! お前は、お前だけは!! 俺が殺す!!!」
「うーん、随分気が昂ってるみたいだ。深呼吸をしてごらん、落ち着いて話ができ」
──雷の呼吸・伍ノ型 熱界雷
童磨の言葉を遮るように、晄夏は斬撃を繰り出す。「おっと」と軽い調子で躱したところに接近し、刀を振りかざす。
──雷の呼吸・参ノ型 聚蚊成雷
──血鬼術・粉凍り
晄夏が片腕を切り落とした直後、凄まじい冷気が至近距離でぶつけられる。すぐに距離を取った晄夏は理解した。これこそがカナエの、この鬼と対峙した人間の敗因であると。
肺が凍り付いたのか、上手く呼吸ができない。晄夏がひとつ咳き込むと、童磨は「頭は冷えた?」と問うた。切り落としたはずの腕は既に再生している。
「さっきの……カナエちゃんだっけ? あの子もそうだった。俺の血鬼術を吸ったばかりに、苦しんでいたなあ。女の子だから、きっと君より肺が小さいし。……可哀想に」
「彼女の名を呼ぶな」
「可哀想だよね。女の子なのに刀を持って、鬼に力で及ぶ訳がないのに。そんな簡単なことも分からなかったのかな」
は、と晄夏は思わず絶句した。童磨は、その虹色の双眸からはらはらと涙を流して、言葉を続ける。
「君がもう少し遅く来てあげていれば、あの子も俺に救われていたのにね」
「…………」
「やさしい子だよね、鬼と仲良くしたいって! 俺もカナエちゃんとは仲良くしたいと思ったよ。とっても可愛い顔をしているし、ちゃんと喰べてあげたかったな」
そうすれば俺と永遠を生きられる。夢も叶えられる。刀を握るなんて馬鹿なこともしなくていい。
晄夏が来さえしなければ、こんなに素晴らしい未来があったのだと、童磨は至極真っ当に話して聞かせる。鬼の日常なんて知ったことではないが、コイツは普段から人に話を聞かせているのだろうと、そう思えるくらいには、童磨は話すのが上手かった。
──人は怒りが度を過ぎると、いっそのこと冷静になるらしい。強く噛み締めすぎて砕けた歯が、それでも尚噛み締め続けて軋んでいるのを、他人事のように認識していた。
「よ……く、そんなことが、言えたな。お前……心が無いんじゃないのか」
「……ええ? 俺ほど優しい生き物はいないよ」
「お前はどこにも優しさなんて持っちゃいない。優しさと呼べるものを持っていると、錯覚しているだけだ。ただの幻に過ぎない」
刀を握り直す。
「優しさは、誰かを想う心があってこそ。ほんの少しでも、尊ぶことが、敬うことが、大切にすることができるなら。……そんなことは言えない、決して」
晄夏の口から空気を裂くような音が発せられる。
「彼女は立派な剣士だ。鬼殺隊が誇る柱だ! よくも可哀想などと、カナエを軽んじてくれたな!!」