うろ

「春黎」

 童磨が呼びかけると、その鬼はきちんと口元を拭った上で振り返った。表情こそ険しいものの、穏やかな声で「どうした?」と返す。

「明日、また信者を救済してやらないといけないんだけど、俺は男を喰う気しないから、春黎が喰っていいよ」
「また男か。俺は十八前後の女が喰いたいと、いつも言ってるだろうに」

 やれやれと溜息を吐き、春黎は食事を再開した。丸々と肥えた信者の男だったもの。童磨にしてみれば、正直喰えたものではないが、春黎は「十八前後の女が喰いたい」と主張する割に、好き嫌いをしなかった。男だろうと女だろうと、痩せていようと肥えていようと、老いていようと若かろうと。

「ああ……腹が減った」

 今まさに人間を喰っているのに、いつもそう言いながら喰らっている。

 童磨はその様を頬杖をつきながら眺め、春黎は何を考えているのだろうと不思議に思う。
 春黎は童磨が鬼にした元人間、それも鬼狩りだ。人間だった時の名前は、名乗っていたようないなかったような。あまり興味が無いので忘れてしまった。『春黎』は童磨が与えてやった名前だった。

 鬼になったばかりの春黎は、頑なに人間を喰おうとしなかった。腹が減って仕方がないだろうに、目の前に死体を転がしても口を付けようとしない。
 男なのがいけないのかと女を差し出しても、勿体ないなと思いながら稀血を差し出しても。自分の腕に噛みついて、涎をぼたぼたと垂らしながら、我慢していた。鬼になったんだから、人間を喰えばいいのに。童磨がそう言うと、今にも殺しかからんばかりの勢いで睨まれた。

 そもそも鬼に変貌しきるのに二日半程度かかり、その後五日間我慢し続けていた。七日経った頃、童磨が痺れを切らしてわざわざ口の中に肉を入れてやったのだ。春黎はその瞬間から、きっと童磨の優しさに感謝して、よく食べるようになった。初めて喰った人間がさぞ美味しかったのか、童磨の気遣いに感動したのか。涙を流していたように思う。いや、涎だったかも。

「食わず嫌いが嘘みたい、春黎は偉いなあ」

 けたけたと笑いながら褒めてやるも、春黎は嬉しそうな顔をしなかった。ただ、訝し気に童磨を見る。

「食わず嫌い? 俺が?」
「俺が手ずから喰わせてやったろう」
「お前にィ?」

 春黎は如何にも不快ですと言わんばかりに顔を顰めた。

「覚えていないな、覚えてない。そんな悪夢みたいな事実は無い。あってたまるか」
「えー! こんなに甲斐甲斐しく世話してやっているのに……」
「童磨、お前俺の事を飼い犬か何かとでも思ってるのか、失礼な奴だな」

 指に付いた血を舐め取り、春黎は腕を組んでフンと鼻を鳴らした。童磨が「違うの?」と問えば、鋭く睨む。

「名前もやって、食べる物も、服もやった。春黎だって出て行こうとしないし」
「俺が出て行かないのは、お前が止めるからだろ」
「? 何の事?」

 童磨が不思議そうに首を傾げると、春黎は「忘れたのか!?」と、驚いてみせた。
 忘れたもなにも、童磨は春黎がここにいるから世話をしてやってはいるが、出て行くのであれば止めはしない。来る者拒まず去る者追わずだ。

「お前が一緒にいてと言うから、俺は仕方なくここにいるんだ。傍で守って、と……? ん? いや……そんなことは、言ってない、な……?」
「あはは! 春黎が俺を守るの? 俺より弱いのに!」
「ああ、うるさいうるさい」

 ズキンと、頭のどこかが痛んだ気がした。だが春黎が感じたはずの痛みは、瞬きの内にどこかへと消えてしまう。随分と恥ずかしい思い込みをしていたようだ。どうしてかは、分からないが。

 童磨の下にいれば、安定して人間を喰うことができる。喰っても喰っても、何故か腹は満たされないが、鬼狩りに会うよりはマシだ。自分が人間に負けるとは思わないが、鬼狩りには会いたくない。『鬼殺隊』だとか『鬼狩り』だとか、そんな単語に嫌悪感を覚えるのだ。

(それに、俺は生きて帰らなければならない)

 ──どこに?
 また疑問がひとつ生まれた。生きて帰らなければ、生きて帰りゃいい。だが、どこに?

(分からない。この場所か? ……違う気がする)

 頭は悪くないはずだが、全く答えが出て来ない。まあ、分からないのなら、別に考え続ける必要もないだろう。春黎はすぐにそう思い直した。

「しかし腹が減ったな」
「食いしん坊だなあ。信者の数を調整するのも楽じゃないんだぜ?」

 減り過ぎると救ってやれる人間が少なくなってしまうし、増え過ぎると怒られる。童磨が口を尖らせると、春黎は「明日まで我慢するさ」と言い、ひらりと手を振って部屋から出て行く。

 満たされない飢えがあった。目を閉じれば、脳裏に浮かぶ人間がいる。
 歳の頃は十八前後。黒い、艶やかな長い髪。美しい女性だ。

 きっとその女を喰えば、この飢えは満たされる気がした。