幾星霜に君を想う

 ふと、背後(正確には後頭部)に気配を感じて童磨の心は浮き立った。
 恋≠ニいうものを知った童磨は、己がこのような感情を抱くことができるのなら、もしかすると地獄もあるのやもと、長年の考えを改めたのだ。初恋の女の子に地獄へ行こうと誘い、返ってきた言葉は実に素っ気ないものであったが、それこそ童磨のように考え直して戻ってきてくれたのではと。

 未だ首だけの童磨は振り向くことができない。ひょいと頭を持ち上げられ、自分の下へやってきた何者かを見る。

「…………なんだぁ。お前か」
「会いたい人でもいたのか? 俺で悪かったな、ご主人?」

 童磨は溜息をつく。少なからず期待してしまったがために、がっかりした。──童磨の頭を目線を合わせるように拾い上げたのは、童磨が飼ってやっていた鬼であった。冗談めかして「ご主人」だなんて言って、笑っている。不敵な笑みだった。

「あれ……春黎はなんでここにいるの? やっぱり頸を斬られた?」
「いいや。自分で鬼舞辻無惨の名を口にして、呪いで自害した。あのままだとカナヲや親分を喰い殺しかねなかったから……」
「ふぅん、自分で自分を殺すなんて、やっぱりお前は頭が悪いねぇ」

 期待が外れたこともあり、少しばかり不機嫌であった童磨の棘のある言葉に、しかし晄夏は反論しなかった。代わりにじぃっと童磨の顔を見つめている。
 これが女の子──できればしのぶちゃん──であったなら、童磨もとびきりの笑顔を返すところであるが、悲しいかな。相手は男である。それも元鳴柱のそこそこ屈強な男。見つめられても全く嬉しくなかったし、身動きが取れない童磨はその視線から逃れることもできず、居心地の悪さを感じていた。

「なに?」
「……いや。お前、変わったなぁ。お前が死んで、俺が死ぬまでの短い時間で」
「変わった? 俺が? ……そう見える? 分かる?」
「うん、まあ……不本意ながら四年一緒にいた訳だし、分かるよ」

 無い心臓がなんだかこそばゆい。童磨は仄かに頬を染め、晄夏はその顔色の変化に少なからず驚いた。

「分かっちゃうのかぁ……俺って結構分かりやすいのかな? ううん、こういうの、人に明かすのって結構抵抗あるかもしれない。でも、相手は春黎だし……いいかな? うん、いいよね」

 独り言ちる童磨に、晄夏は首を手放しそうになった。端的に言ってちょっと気持ち悪い。きっと良い方向に──死後ではあるけれど、変わったのだろうとは思うが、ちょっと引いた。
 童磨は虹色の瞳をきらめかせる。

「実はね、恋というものを知ったんだよ」
「……へぇぇ、お前が」

 恋は人を変えると言うが──確かにその通りだろう。それは晄夏もよく分かる。なにせ晄夏自身、幼い頃に恋した彼女を想い続け、彼女への愛を誓ったのちに童磨の下へ来たのだ。恋に生きていた自覚がある身としては、童磨の変化に頷ける。
 ──ただ、嫌な予感がした。

「誰に、恋したんだ?」
「えぇっ? それまで聞いちゃうの? とっても可愛い女の子でね、お前も知ってる子なんだよ」
「………………」
「──しのぶちゃん、って言うんだけど」
「俺は認めない」

 童磨の言葉に被せるように、晄夏は言った。頭を地面に叩きつけてやろうかと思った。

「しのぶ? よりによって、しのぶ? お前どの口でしのぶに恋したなんて言うんだ!! 俺は絶対に認めないぞ!!」
「お前の許可なんて求めてないんだけど?」
「俺は! あの子の! 義兄だ!! 反対する権利があるんだよ!!!」

 反対もなにも、そもそもしのぶ自身が童磨なぞ眼中にないであろうことはさておき。

 晄夏は溜息を吐いた。それはもう、深い深い溜息を吐いた。一体なにがどうしたら、童磨がしのぶに恋をするなんて悪夢が起こり得るのか。

「義兄……ああ、そういえば兄さんなんて呼ばれていたっけ。肉質が随分と違うから不思議だったけれど、なるほどねぇ。……うん。それは分かったけど、やっぱりお前の許可はいらないよね?」
「黙れ。お前は本当にどうしようもない奴だな……本当に、ハァ……」

 幾度目かの溜息を吐いて、晄夏は歩き出した。童磨の頭を小脇に抱えると、童磨からは晄夏の顔が見えなくなる。

「春黎? どこ行くの?」
「どこって、地獄に決まってるだろ。俺も、お前も。たくさん命を奪ったから、地獄で罰を受けて、罪を償わなきゃならない」
「えぇーお前と一緒に行くの? しのぶちゃんがいいなあ」
「しのぶが地獄に堕ちる訳ないだろ!!!」
「うるさいなあ」

 吼える晄夏に眉を顰める童磨。「ふざけたこと言いやがって」と晄夏は童磨の頭を叩いた。誰かに頭を叩かれるなどという経験の無い童磨は、目をぱちくりとさせる。

「随分と俺に対して遠慮がないね。躾け直してやれるならそうするのに」
「そもそもお前に躾けられた覚えはないんだが? ……なあ、そろそろ自分の足で歩かないか?」
「うん? うーん、どうやったら体が戻るのか分からないよ」
「普通に……あるものとして思えば戻るんじゃないか? 俺もぐちゃぐちゃになったはずだけど、こうして五体満足なんだし」

 人間であった時と何も変わらない体を見せるように、晄夏は童磨の頭を持ち上げる。うーんと首を傾げて(実際は傾げる首がないので気持ちだけ)童磨は己の手足を想像する。

 何の前触れもなく、はじめからそこにあったかのように、突然童磨の体が元に戻った。童磨の頭を持ち上げていた晄夏は、上背もあり筋肉質なその体を受け止める羽目になる。……しかし受け止める準備など当然していなかった晄夏は、「うわぁっ!?」とひっくり返る他なかった。
 結果的に晄夏を押し倒す形になった童磨は、咄嗟についた自身の手を見て「おお」と目を瞬かせる。本当に戻った、不思議だなァと手を動かす。

「いてて……童磨、大丈夫か?」
「え?」

 きょとん、と童磨は眼下の晄夏を見る。童磨が立ち上がると、晄夏も後頭部を擦りながら立ち上がった。

「なんで俺?」
「え? お前も倒れただろ。俺が受け止めてやれればよかったんだが」

 怪我が無いならいいや、と言って、晄夏は童磨の左手首を掴んだ。そのままずんずんと歩き出し、童磨は掴まれている己の手首と晄夏とを交互に見る。

「なに?」
「なにが?」
「なんで俺の手首掴んでるの?」
「うーん……はぐれたらいけないから、かなぁ」

 ぼんやりとした晄夏の答えが、童磨には腑に落ちない。手を振り払ってもよかったが、しかしそうする理由も特になく、そのまま闇の中を歩き続ける。

「ねえ春黎」
「晄夏だ。新鎧晄夏。それが俺の名前」
「ふぅん。で、春黎」
「俺の話聞いてたか?」

 名前で呼ぶ気がないらしい童磨に溜息を吐いて、晄夏は前を向いたまま「どうした?」と返す。

「俺たち地獄に行くんでしょう。道はこっちで合ってるの?」
「分からない。でも、こっちだと思う。カナエは反対側に行ったから」

 この場所には道らしい道もない。上も下も分からない真っ暗闇の中、童磨と晄夏の姿だけが鮮明であった。

「早く罪を償って、生まれ変わらないと。ただでさえ俺はカナエをずっと待たせてるのに……」

 そう言う晄夏の、童磨の手首を掴む力がほんの少し強くなった気がした。童磨は少し考えて、問う。

「ならさっさと行けばよかったのに。春黎、わざわざ俺を拾いに来たよね」

 晄夏はその言葉を否定せず、「ああ」と返した。

「どうして?」
「……俺は地獄に関して詳しい訳じゃないけど、これから閻魔大王の裁きを受けるんだ。罪の重さによって、行き場所が変わるんじゃなかったかな」
「うん、それで?」
「お前は言われたままに罰を受けそうだから、俺が口添えしてやろうかと」
「…………なんで?」

 童磨は己の賢さを自負しており、また実際にその通りで、頭の回転も速く、大抵の物事はすぐに答えを導き出すことができる。支離滅裂な信者の妄言を日々脳内で組み立て直し、相手が求める言葉を授ける。それを百年以上毎日続けてきた。なので、ある程度突拍子のないことを言われても、「どうしてそのように言うのか」を解することができるが──晄夏の返事は本当に分からなかった。

「お前は多分ずっと間違っていたし、今も間違えたまま、その間違いにすら気づいていないこともあると思う。……でも、俺も四年間お前を見てきたけど、『誰かを救う』っていう意志だけは本物なんだ。その意志は確かに尊いものだよ。誰もが他人のことを慮れる訳ではないから……。ま、実際やってたことは押しつけがましくて、勝手で、方法も最悪だったけど」
「…………」
「お前がやってきたことは決して許されないことだし、無為に奪った命は戻らない。だからこそ、ちゃんと贖わなければいけないけど……お前の善行も、主張しないとな。話を聞いてくれたその人が、自分の為に涙を流してくれる──救われた心はあったと思うよ。たとえ嘘だったとしても」

 晄夏は、童磨に振り返り微笑んだ。それは初めて対峙した時、童磨を哀れんだ時の笑みとよく似ていた。

「……俺のこと嫌いなんじゃないの?」
「嫌いだよ。心底憎い。お前の事は百回殺しても殺したりない。……だからって、良い所を無視するのは違うだろ?」

 変な奴だな、と童磨はそう思う。やっぱり頭が悪いのかなとも思ったし、それ以上にお人好しであるのだと知った。そのような人間が、悪知恵の働く人間に食い潰されていくのを童磨は知っていた。

「馬鹿だなぁ、春黎は」


◇◆◇



 少しは大人びて見えるだろうか。清潔に見えるだろうか。品良く見えるだろうか。
 姿見で自分の格好を何度も何度も確認して、家を出た。

 心臓が、まるで全力疾走をした時のようにどくどくと激しく拍動する。信号待ちの間、しつこいくらいに深呼吸を繰り返した。片手に持った花をじっと見つめて、震えそうになる足を踏み出す。──お店のお手伝いをして用意してもらった、一番綺麗な薔薇の花だ。

「ねえ、手汗がひどいよ。気持ち悪い。俺の手を離してよ」
「そんなことしたらはぐれちゃうだろ! すぐに迷子になっちゃうくせに」
「本当に告白するの? 五つは離れてるよ。相手にされないと思うな」
「う、うるさいなぁ」

 ──通学路で見かける、鶺鴒女学院の制服を着た一人の女生徒。
 誰より綺麗な黒い髪を揺らして、頭の横にリボンを付けた、目が覚めるような美人。いつも妹らしき人と歩いているその人に、心を奪われていた。一目惚れだった。

 だから、今日。想いを伝えるのだ。相手に自分を知ってもらうために。

「あ……!」

 前方から、優雅に歩いてくるその人。笑顔が美しい。その人が楽しそうにしていると、自分も幸せな気持ちになるようだった。
 ごくりと唾を飲み込んで、一歩を踏み出す。

「あ、の……! あの!」

 正面に立ち、声をかける。宝石のようにきらきらとした瞳が、不思議そうに見つめていた。

「一目惚れしました!! 俺とっ、結婚を前提にお付き合いしてください!!!」

 一輪の薔薇を差し出す。あれ、そこまで言うつもりだったんだっけ。言った後にそう思った。

「……ありがとう。お付き合いできるかどうかは、分からないけれど……」

 美しいその人が、可愛らしい声で言って、そっと手が触れる。

「お名前を、教えてくれる?」
「っ……! 俺は──」



善照くん(なんだあのマセガキ……)