幕間


 太陽が地の彼方へと沈み、西の空がまだ辛うじて赤らんでいる頃。煉獄杏寿郎は鎹鴉の指定した場所へ向かって駆けていた。隣には同時期に鬼殺隊へ入隊し、階級を同じくしている燎晋之丞がいる。
 横目で晋之丞の様子を窺えば、いつになく険しい表情をしていた。自分達が鴉から受けた指令が、他の隊士の救援だったからだろう。

 二人が駆けつけた時、辺りには既に血の匂いが漂っていた。鬼の気配と、交戦中と思しき音を頼りに向かえば、その道中に幾人もの隊士が力なく地面に横たわっていた。中には、致命傷を負っても戦おうとしたのだろう。鬼がいる方向へ身体を引き摺った跡が残っている者もいた。まるで道しるべのように、刀を一方向へ向けている。

「晋之丞」

 杏寿郎が呼びかけてすぐ、意図を汲んだ晋之丞が動き出した。
 隊士と戦闘中故に、未だ杏寿郎と晋之丞の存在に気づいていないらしい鬼の姿を確認し、二手に分かれて挟み撃ちをするように向かう。杏寿郎が刀を抜く音でようやく気配に気づいた鬼は、ぎょっと目を剥いて、生を謳歌する為の足掻きを見せる。

 刃を振るい、杏寿郎は鬼の急所である頸を狙う。あと一歩踏み込まねば、そう考えた時、晋之丞が戦闘を行っていた隊士を連れて離脱したのを視界の端に捉える。

(早く頸を……)

 大きく肺を膨らませ、杏寿郎は型を繰り出す。赫く染まった刃が鬼の頭と体を斬り放した。はらはらと空気に解けていく鬼を後目に刀を収め、離脱した隊士と晋之丞の元へ歩み寄る。

「血が止まらない、布が足りない」

 晋之丞は隊士の手当てをしていた。鬼に怪我を負わされながらも懸命に戦っていた隊士は、傷口がすっかり開いてしまっていたのだろう。か細い呼吸が風に攫われていく。
 青い顔をして、いつになく焦った様子の晋之丞を見るのは初めてだった。

「燎……もう、いい……」
「黙れ。無駄な体力を消費するな、生き残ることだけ考えてろ」
「……鬼、を、倒してくれ。むざ、ん……を、……。親、友のかた、き……な……だ……」
「腹に力を入れてろ! 溝口ッ……! 杏寿郎、布だ、布を寄こせ!」

 近づいて、ようやくわかる。晋之丞が手を真っ赤に染めながら押さえているそこから、はらわたが零れそうになっているのだと。

「……頼む、……燎。後、は……任、せた……。頼む……頼む……ッ!」

 晋之丞が溝口と呼んだ隊士は、自身の腹を押さえている晋之丞の手を掴む。弱々しく、震えていた。

「ふざけるな……ふざけるなよ! 俺なんかに任せるな、自分で戦え! 勝手に諦めてんじゃねぇ溝口! 自分の願いくらいっ自分でどうにかしてくれよ! 俺に……ッ、託すな、背負わせるな……」

 力の抜けた手が、ずるりと血液で滑り、地面へ落ちる。薄く開いた瞼から覗く目は虚ろだ。血色の無い頬に伝う涙だけが、彼が今まで生きていた証として残っている。

 喉の奥で小さく唸った晋之丞が、溝口隊士の蘇生を試みる。見ていられないと、杏寿郎は晋之丞の肩に手を置いたが、晋之丞はそれを振り払ってでも手を止めようとはしなかった。手首を掴み、ようやく止まる。

「もうやめろ。彼を休ませてやれ」

 杏寿郎からは、俯いている晋之丞の顔を窺うことはできなかった。鴉が藤の家紋の家へ行けと鳴き、指示に従って歩く晋之丞は抜け殻のようだ。

 藤の家で血を洗い流し、床に就く。別の部屋を当てられた晋之丞は大丈夫だろうかと、その日杏寿郎はあまり眠ることができなかった。何度も寝返りを打ちながら、休息に努める。
 意識が覚醒したのは、空がまだ薄暗い時間だった。外の空気でも吸おうと庭に面した障子戸を開けると、縁側に晋之丞が座り込んでいた。

「……寝ていないのか?」

 そう問いかけても、晋之丞は返事をしなかった。だが憔悴した様子を見るに、一晩中この場所にいたのだろうと予測する。

 どうしてやるべきか、何を言えばいいのか。普段気が強い晋之丞の、こんな姿は初めてだった。杏寿郎が逡巡していると、晋之丞が口を開く。

「アイツが先に来てなければ、死んでいたのは俺たちだったかもしれない」

 そんなことはないと、そう否定したい気持ちはあったものの、それは出来なかった。他の死んでしまった隊士たちが命を賭して時間を稼ぎ、戦って鬼の意識を逸らしてくれていたからこそ、頸を斬ることができた。
 鬼殺隊に入るということは、常に命の危険が付き纏うということだ。悪鬼を滅し、人々を守る為に燃やした命は決して無駄ではない。想いを後に託し、繋いでいけば──……。

「誰かに生かされた人間は、自分を生かしてくれた人間が死んだ時、その墓を背負うことになる。その人の分まで生きなければ。その人みたいに誰かの為に生きなければ。……己の糧として前に進む奴がいる反面、重荷になる奴もいる……」

 苦しい。

 音にはなっていないはずの言葉が聞こえた気がした。

「誰も誰かの代わりになんてなれない、本人が生きてなけりゃ、全部あぶくと消える。……応えられない、俺は、……俺の人生を生きるだけで精一杯なんだ……」

 この世界はどうしたって平等ではないから、才に恵まれる者もいればそうでない者もいる。強者がいれば弱者がいるし、人によって持っているものも持っていないものも様々だ。
 杏寿郎は思う。ああ、きっと、友は弱き人の心に寄り添える人間なのだろうと。
 確かな力を持ちながら、その人と同じ目線に立って物事を捉え、考えられる。だから代わりはないのだと誰よりも理解している。

 ──鬼さえいなければ。

 この世界はもっと平和で、人の死に触れる機会も今よりずっと少ないに違いない。そうだったのなら、友がこんなにも苦しむことなど無くなるのではないだろうか。

 晋之丞はきっと、誰であれ背負ってしまう。杏寿郎はそんな確信を得ていた。
 これから先、彼が言うところの“墓”をいくつも背負う。応えられない、背負いたくない、そう言いながらも、この優しい男は背負わずにはいられない。

(……ならば俺くらいは、重荷にはなるまい)

 その荷を半分でも持ってやれる様な強さと優しさを持とう。歩むのが辛いと言うのなら、背を押してやれる人間になろう。

 ──決意を胸に、杏寿郎は研鑽を続けた。ついには柱の位を得るまでに。

 共に戦おう、共に強くなろう、多くの人を守り、多くの命を救う為に。そう、鬼のいない世界を志し、並び歩いていたはずの晋之丞の顔が曇っていくのには気が付いていた。大丈夫だなどと無責任なことは言えない。己の思想を伝えるだけで解決するのなら、こうはなっていまい。より立派な人間になれば、きっとその心を理解できるのだろうか。

 確かな答えを得ないまま、杏寿郎は柱となったことを晋之丞に告げた。

「だろうな」

 晋之丞が杏寿郎へ向けた言葉はそれだけだった。

 祝いの言葉を述べるでもなく、父のように一蹴するでもなく。ただ当たり前のことのように受け止めていた。

 思えば、晋之丞という人間は、いつも正当に“煉獄杏寿郎”を評価していた。
 彼が初めて己の前で弱音を吐いた日の任務も、杏寿郎が鬼を斬れると判断したから仲間の手当てを優先した。加勢がいるような相手であれば鬼殺を優先する。

 だろうな、というのはつまり、杏寿郎が柱になることを予想していたに他ならない。それだけの実力が備わっているのだと、ともすれば誰よりも信じてくれていたのではないだろうか。

「……晋之丞! 俺の継子になるといい!」

 言った後、煉獄家と燎家にはしきたりがあるのだと思い出した。改めて誘うほどのことでもないと言われてしまうかもしれない。

「ならない」

 しかし予想に反し、晋之丞は顔を顰めながら誘いを跳ね除けた。

「伸びしろのある後進を育成した方が効率的だ」

 いつ頃から考えていたのかは分からないが、晋之丞の言葉が継子の誘いを断る為に用意されたものだというのはすぐに分かった。しきたりを無視してでも拒否したい理由を問うのは簡単だったが、杏寿郎はそれをしなかった。ただそれもそうだと、納得したように頷いた。

 継子に迎えた隊士は、鍛錬の厳しさに逃げ出す者や炎の呼吸から自身に合った呼吸を派生させてしまう者と様々だった。共に鍛錬をする機会の多い晋之丞のことを、継子たちが「強い」「面倒見がいい」と認めてくれると、我が事のように嬉しかった。

 結局しきたり通りに柱と継子という関係を結ばなかったのは、まだ自分よりも弱く未熟な人間を傍に置くことで、ほんの少しだけでも心を学びたいと思ったからかもしれない。
 晋之丞の様に誰の心にも寄り添える人間になれたなら、彼を十全に支えられるはずなのだ。

 柱として多くの鬼を斬り、人々を守り、助けた。
 人よりも才に恵まれた者はそうすべきだという、母の教えに従い、心を燃やした。──命の灯火と共に。

 己は死ぬのだと自覚した時、杏寿郎の脳裏を昔の記憶が掠めていった。幼い頃に交わした約束を思い出し、間の悪さに苦笑する。
 迫る死を恐れることはない。けれど思った。

(俺も、生きていなければならなかった)

 あの約束を言い出したのは他でもない自分だ。もしかしたら、今まで忘れてしまっていた自分のように、晋之丞も覚えていないのかもしれない。だが約束を守れないのなら、せめて謝らなければ。

 杏寿郎は後輩に言葉を託す。炎柱として遺そうとした言葉を、ただの友としての言葉へ変えた。

「彼に、……俺の朋友には、約束を守れなくてすまないと」

 共に生きて、そんな未来を迎えられたなら、どれだけ素晴らしいものだったろう。
 それだけが心残りだ。

灯火の行方

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