
蟲籠
・時系列が入り乱れる
門倉は、その部下を上司らしく「真面目だなぁ」と評価していた。性格は顔に出る……その言葉通り、部下は如何にも人が好さそうな顔をしていたし、実際にそうだった。温厚そうな顔立ちで、実直な性格で、穏やかな言葉遣いをする男だ。何故、網走監獄の看守などを務めているのだろうと、疑問に思ってしまう程度には。素朴なようでいて、どこか育ちの良さも感じさせる男であるから、可愛らしい嫁さんでも娶って静かに暮らせよと、そんなお節介を抱く。
抱いたので、当直の日に何気なく門倉は言ってみた。
「なぁ、ミョウジ。お前さん、好い人いないの?」
小指を立て、いるだろ? と熱い緑茶を啜りながら聞けば、ミョウジナマエという男はキョトンと目を丸くして、「ふふふ」と上品に笑った。
「今はいませんよぉ。門倉部長こそ、ふふ、奥様はいらっしゃらないんですか? 尻に敷かれてそうなのに」
「なにおう? 俺だってなあやるときゃやるんだ、亭主関白だぜ? ……ま、こんなとこ勤めてちゃ女日照りだわなぁ」
「そうですねぇ」
網走監獄は、看守も囚人も男ばかりだ。ごく稀にシスター宮沢という女性はやって来るが、生憎、門倉とミョウジの琴線に触れることはない。
「今はって事は、昔はいたのか? どんな子?」
ミョウジとしては、これ以上女性関係の話をするつもりはなかったのだろう。どこか困ったように眉を下げつつ、記憶を辿るように視線を巡らせた。
「故郷の……家の近所にね、ひとつ歳上の子が住んでたんですよ。農家の次女だったかな? ころころ表情が変わる子でした」
「へえ。かわいかった?」
「そうですね……うん、かわいかったです」
幼い頃の口約束を覚えていて、結婚を考える年齢になればその時の約束を持ち出す様な、そんな無邪気さがある子だった。結婚するんでしょ、と存外に頑ななものだから、ミョウジが自分に対して恋愛感情に基づいた好意があるのかと尋ねれば、顔を赤く染めて口を閉ざす。
ミョウジの故郷にいるという女の話を、門倉は微笑ましげに聞いていた。
「何も話してくれなくなるから、困りました」
「バッカお前、男なら察してやれよ」
「事実は言葉にしてもらわないと……」
「どう考えてもお前にゾッコンだったろうがっ!」
んもぉ、と大袈裟な溜息をつく門倉は、「それで?」と話の続きを促した。
「結婚はしませんでした。僕とは」
「え? 何で? どういうこと?」
「疱瘡神に魅入られまして。そのまま嫁に」
ミョウジは俯きつつ帽子の鍔を下げる。……そう、過去にいた“好い人”の話を、二人はしていたのだ。門倉はミョウジの肩を叩き「悪いな」と謝罪する。顔を上げたミョウジは微笑んでいたが、涙など見せまいという男の強がりにしか見えなかった。
そうだ、と白石は門倉の方を見る。
「ミョウジって看守がいるだろ? 新月の日はアイツを外してくれよ」
「ん? 何でだよ。まあ真面目で誤魔化し効きづらいってのはあるかもしれねぇが、支障ねぇだろ?」
「あるね。……お前上司だろ? アイツの恐ろしさを知らねぇのかよ」
「恐ろしいだぁ?」
なんたってそんな、ミョウジに対して似つかわしくない事を。門倉の顔はそう語っていた。看守と囚人の意見の齟齬に、杉元達は二人の顔を見比べる。
「……あれは外役中のことだ……」
戦々恐々と、白石は語り始めた。
外役中の囚人は、二人一組で足枷を繋がれる。これは逃走防止の為であり、互いに示し合わせて逃げたものの、片方の足が遅かった為に逃亡が失敗した例を白石は知っていた。
その日の外役は、網走監獄に面した山を切り開く事だった。手斧を持ち、木を切り倒しては一箇所に運ぶ。重労働ではあったが、当時の白石は「今日は楽だな」と共に繋がれていた海賊房太郎と話していた。
視線の先にいるのはミョウジだ。護身用の小銃に肩にかけ、囚人達の働きぶりを監視するミョウジは、切り倒した木に腰掛ける白石と海賊を気づくと、にこりと微笑んでまた別の方向へ顔を向けた。
そう。他の看守と比べて、ミョウジは“甘い”のだ。多少サボっていたところで、目くじらを立てたりしない。もちろん彼も仕事であるから、ずっとサボっていれば注意してくるが、それでも口頭だ。その程度の事で独居房に押し込めたりはしなかった。
「あと二本くらい切ったら、饅頭でもくれそうだなぁ」
ミョウジを見ながら、海賊がそんなことを言う。白石は確かにと同意を示した。
他の看守──例えば門倉なんかに見咎められる程ではないが、ミョウジは囚人達とよく交流している。世間話をしてみたり、お菓子を分け与えたり、それはそれは寒い夜の日にお湯を差し入れていた事もある。
この監獄で、囚人達を最も人間らしく扱っていると言っていいだろう。彼は聞き上手であったから、色んな囚人がまるで武勇伝の如く、網走監獄へ収容される事となった経緯を語り聞かせていた。“温厚篤実”の四字熟語が似合う彼だが、こんな場所で働くからには変わり者であるのは確かなのだろう。楽しげ、あるいは興味深そうに、囚人達の話を聞いていた。
甘味を強請る為にもうひと頑張りするかと、二人が腰を上げた時だ。
「逃、」
他の看守の声が、銃声にかき消された。辺りは静まり返り、看守も囚人も、全員が一人の男を見ていた。
「外役中の逃亡は即射殺で、いいんだったっけ……」
日常会話と同じ声色で呟き、ミョウジは銃を下ろした。すたすたと自身が撃った囚人の方へ歩いていく。撃たれていない方の囚人が、鮮血を顔に浴びて引き攣った声を出していた。
「鈴木さん〜計画的脱走ですか? 駄目ですよ?」
「い、いや! 違う! コイツが勝手に走り出したんだ!!」
そう言って必死に言い訳するのは、確か以前親族一同全員殺したなどと声高に話していた囚人だった。網走監獄にいるのだから、きっと語られた犯罪歴は嘘ではないのだろうけど、滝のように冷汗を流す姿を見て、凶悪犯であるとは思うまい。
鈴木は、頭を振りながら「自分は脱走を目論んでなどいない」と主張しつつ、すぐ近くに手斧が落ちていることを確認していた。人を殺したことのある囚人の何人かが、鈴木の悪足掻きに勘づいたことだろう。うんうん、といつもの様に相槌を打つミョウジが、倒れた囚人の方へ視線を移した時だ。
手斧を取って、振りかぶり、ミョウジへぶつける。その一連の動作をするより早く、鈴木の方を見ないまま、ミョウジは鈴木の腹を撃ち抜いた。続けざまにもう一発、二発。計三発の銃弾を至近距離で撃ち込まれた鈴木の上半身が、朱から紅に染まっていく。
「……あれ? 手斧だ。近くに落ちてたのか、気づかなかった」
びくびくと四肢を痙攣させる鈴木が最期に握り締めていた手斧を蹴って外してから拾い、ミョウジは「よかったぁ」と朗らかに言った。
「ちゃんと回収しないと門倉部長に怒られてしまう」
ミョウジは小銃を肩にかけ直すと、呆然と一連の流れを見ていた囚人に、首ごと目を向けて指示を出す。
「二瓶さんと辺見さん。津山さんと姉畑さん。木の伐採は結構ですから、この荷物を運んでください。川にでも捨てに行きましょう」
「……あ、はいぃ……」
辺見からとろりとした熱視線を受けるミョウジは、そのまま囚人4人を連れて去って行った。白石達は我に返った看守の号令で再び伐採に励むことになったのだが、それからその日はずっと、薄ら寒いものがまとわりついていた。
──白石の話を聞いた門倉は、苦笑いを浮かべて「いやいや……」と首を振る。
「ミョウジに限ってそんなこと……。あったとしても、そら、囚人側から見て恐ろしいってだけだろ?」
「いいや! ありゃ得体が知れねぇよ……。とにかく! ミョウジは外せよな!」
「うーん……」
煮え切らない返事をする門倉に、白石はドンドンと拳で机を何度も叩く。
「覚えてねぇのかよ! 鈴木と河合! 遺体はすぐそこの川に捨てられたんだよ!」
「労役で囚人が死ぬなんて、ここじゃそう珍しくもねぇからなぁ……。それにお前らが脱走したおかげで看守はほとんど入れ替わったが、アイツは残ってる。真面目さは犬童典獄のお墨付きだぜ?」
「……その信頼の厚さが今や恐怖でしかねぇっつの……」
「ミョウジ先輩ってなんでここに勤めてるんですか?」
「ご縁があったからだよ」
宇佐美が問うと、ミョウジは至極全うでつまらない返事をした。
「結構長いんですよね?」
「そうだね。犬童典獄、門倉部長……その次の次くらいには」
網走監獄典獄、犬童四郎助は刺青を掘った囚人24名が移送中に脱走した、という事実を知った時、そもそもその移送に関わった疑いのある看守をすべて解雇した。宇佐美はここ最近網走監獄へやって来た新人であったが、他の看守も大多数は宇佐美とそう変わらない。なので、あの犬童四郎助の信頼を、真面目さ故に勝ち取って勤め続けているミョウジは、宇佐美の大先輩と言える。
しかし──
「えーでもよく言われません? ミョウジ先輩、看守っぽくないって」
「そうだねえ」
のんびりとした口調で答えるミョウジは、宇佐美の言葉を否定しなかった。
門倉にも、他の同僚にも、囚人にも。宇佐美の言った通り、よく言われていた事だからだ。「網走監獄なんて似合わないな」「もっと向いてる職があるだろ?」と。その度にミョウジは困った様な表情を浮かべて、「でもここでの仕事はやりがいあるよ」などと答えていた。
「軍に入ればよかったのに」
眉を下げていたミョウジは、今まで一度も言われたことのないセリフに対し、しかし驚くことはなかった。
「軍は少し規律が厳しすぎるよ。僕は真面目だとよく言われるけどね、少し違反してもお目溢しされるくらいが丁度いい。上下関係も、門倉部長は緩いから」
ふふ、と笑いながら、ミョウジは門倉への親愛を言葉の端に滲ませる。宇佐美はこの場にいない少しくたびれた上司を思い浮かべて、同意を示すように頷いた。
「徴兵はされませんでした?」
「ああ。検査の時にね、僕は大怪我をしてしまって」
「えぇ〜!? どこ怪我したんです?」
「足をポッキリ」
大変だったよ。そう言ってミョウジは自身の太腿を軽く叩く。宇佐美はそんなミョウジの顔をじっと見つめると、口を尖らせて「僕は日露行きましたけどぉ」と話し始めた。
「規律とか上下関係とか、そんな苦にならなかったけどなぁ」
「軍人さんなんだね。ご苦労様です」
「ミョウジ先輩が思うほど、窮屈な所じゃないですよ」
「宇佐美君を見ているとそんな気がしてくるよ。勿体なかったかな?」
「絶対骨折り損のくたびれ儲けですって!」
周りからは“怪我の功名”だと、特に両親は泣きながらそう言っていたけれど、とミョウジは力強く断言した宇佐美を見て思う。
「褒めてもらえるんですよ? ヨシヨ……、よくやったって。露助を殺せば殺すだけ」
「ろすけ? ……ああ、ロシア人の事をそう呼ぶのか。人の名前みたいで面白いね」
「ミョウジ先輩、人殺しても何とも思わないでしょ?」
「ええ? そんなことはないよ。人を殺せば、誰だって罪悪感は抱くものだろうに。僕だって例外じゃない」
「嘘だあ」
心外だとでも言うように、ミョウジは目を丸くした。宇佐美は眉根を寄せ、「白々しいッ」と厳しい口調で言う。
「分かりますよ、僕には! 他の……門倉部長とかがどうかは知りませんけど。ミョウジ先輩、どうせ人殺しても咎められない環境を求めて、この場所にいるんでしょ? 罪悪感なんて感じる人じゃない!」
宇佐美はどこか楽しげだった。もっと薄情な人だと、誰が聞いても悪口だと感じるであろうことを、まるで賞賛のように口にする。責められているのではないというのは、ミョウジにもきちんと伝わっていた。それでも宇佐美の言葉は、的外れであったから、宥めるように肩を叩く。
「宇佐美君、落ち着いて。君に僕がどう見えているかは分からないけど、そうも言われるのは傷つくよ」
「はぁ〜? なんでそんな頑ななんですか。大嘘つきッ」
「……宇佐美君……すごく言うね。困ったな」
「カマトトぶって!」
「カマトト」
何度か言われたことのある暴言だな、とミョウジは過去の記憶を回想する。当たり障りのない接し方をしているせいか、少しばかり性格が捻くれた相手には、いい子ちゃんだなんだと吐き捨てられたことがあった。
「じゃあなんで
「そうだね。どうしてかあ……ここに勤め始めたのは、それこそ縁があったからなんだけど」
ご縁、では宇佐美が納得しないのはもう分かっている。宇佐美の方こそ頑なだろうにと思いながら、ミョウジは彼の求める答えを口にした。
「楽しいから。囚人の話は面白いよ。誰を、どうして、どうやって、何人、殺したのか」
「へえ、そうなんですか。聞くだけで満足するようには思えないんだけどなぁ……」
「宇佐美君のその勘はなんだろうな? 軍人さんにこんなことを言うのは、よくないかもしれないけど、人を殺すなんて僕にはとても」
「カマトトッ!」
キッと眉と目尻を吊り上げた宇佐美が叱責する。
「小銃や剣は飾りですか?」
「宇佐美君は僕にどうしても人殺しをしていて欲しいのかなぁ」
「囚人の一人や二人、殺したことあるでしょう?」
「え?」
宇佐美の指摘に、ミョウジは目を丸くした。またしらばっくれる気かと宇佐美は眉を顰めたが、ミョウジは顎に手を添えて独り言ちる。
「そうか……宇佐美君はそういう見方をするのか……」
「僕がなんです?」
「いや、宇佐美君は偉いなと思って」
「はあ?」
突然の褒め言葉に、宇佐美は首を傾げた。
「一寸の虫にも五分の魂と言うものな」
「え? ……あー、そういう感じですかぁ」
感心するように頷くミョウジ。カマトトだなんだと騒いでいた宇佐美は大人しくなり、「やっぱり軍に入ればよかったのに」と言った。
この後は第七師団に普通に殺されるルートとどうにか逃げおおせて「門倉部長〜」となるルートと特に金塊には関わらずに樺戸集治監とかで働くルートがある夢主。
宇佐美が絡みに行っているのは同族の気配を感じ取ったから。夢主は別に精子探偵はできないけど、人殺しに罪悪感を覚えないという点では一緒。
「人? 殺してないです。この前の発砲? 虫がいたから……」を素面で言う。人を人として認識していない。脱走した囚人を撃つのがやたら早かったのは、視界の端に蚊がいたら秒で潰しに行くのと同じ感覚。囚人たちのことも狭い場所に虫がもぞもぞしてて面白いなぁ、へええ人を殺すのってそんな感じなんですねえというノリ。
周りを観察して、それらしい良い人っぽい言動をしているので、信頼を勝ち得る。
でも宇佐美のことも門倉のことも人として見ているかというと微妙。人の形をしているとは思ってる。