因中有果

 ガラス瓶の中を満たす液体に浮かぶ肉塊。カーテンの取り付けられていない窓から射し込む西日にそれを透かし、興味深そうに見つめる儚。

「呪胎九相図=c…なるほど、言い得て妙ですね」
「だろう?」

 その肉塊の正体は、かつてひとりの女が孕んだ呪霊との合いの子だ。1番から9番まで存在する物のうち、1番から3番までを、先日真人と花御らが呪術高専東京校の忌庫から、両面宿儺の指6本と共に盗み出していた。
 ゴトリと重厚な音と共に床に置かれた三つのガラス瓶を見て、真人は「こういう呪物ってさぁ、なんで壊さないの」と疑問を口にする。

「壊せないんだよ、特級ともなるとね。生命を止め、他に害を為さないという“縛り”で存在を保障するんだ」
「宿儺の指は有害じゃんか」
「アレは特別。呪物と成って、その上20に分割しても尚、時を経て呪いを寄せる化物だよ。それ故に器を選ぶ」
「フーン。じゃあ、九相図コッチは誰でもいいわけだ」

 そう言う真人の目の前には、無地の壁に磔にされた男がいる。両手を杭で穿たれた痛みから呻き声を上げていた男だが、夏油が声を発したことで顔を上げ、必死の命乞いを始めた。

「おいっ!! アンタ!! 金……金っ!? オレ!! そんな持ってないけどさっ、サラ金とかなんとかあんだろ!?」

 同じ空間に特級呪霊が二体、加えて命の危機とあっても、男は真人と儚の姿を認識できていなかった。「マジで才能ないよ」と真人は呆れ気味に男を評価する。

「可哀想にねー。俺達が見えれば最期にイイもの見れたのに」

 真人は九相図・3番の瓶を開け、中の肉塊を手掴みにする。空いた手で男の顎を固定し、そのまま口の奥へ呪物を押し込んだ。粘膜にそれが触れた瞬間から、男の魂は呪いに浸食される。「口から飲み込むんですね。宿儺の指も?」「そうだよ」男が最期の雄叫びを上げる空間で、儚と夏油は全く持って場違いな声色で会話をした。実質的な死の間際、果たして男にその声が聞こえたか否か。

 末端から肉が蠢き、形状が変わっていく。3番は呪いらしい異形の見た目をしていた。大きな口と、その上に乗った男の面影。肌の色は青緑に、頭部と胴体の境界線は曖昧で、目や口からは血液を垂れ流しにしている。
 意識が覚醒した頃合いを見計らい、真人が気さくに声をかける。

「やぁ。起き抜けに申し訳ないんだけどさ、ちょっとお遣い行ってきてくんない?」





 3番・血塗の受肉が完了した後、続けて2番・壊相、1番・脹相も同様に受肉させる。150年の時を経て、ようやく直接顔を突き合わせることの叶った兄弟は、話し合いの末に呪霊一派へつくことを決めた。
 壊相は血塗のために、血塗は脹相のために、脹相は壊相のために。──そう生きると、強い絆で繋がる兄弟は決意する。自分達は三人で一つであると。

 八十八橋に潜む呪霊から、宿儺の指を回収するというお遣いに壊相と血塗が駆り出されると、一人残った脹相は“人間のルールを学ぶ”という名目で人生ゲームに興じることとなった。

 順番にルーレットを回し、コマを進めていく。ビギナーズラックというやつか、今日初めて人生ゲームに触れる脹相が、中間ポイントである“結婚”と書かれたマスに一番早く辿り着いた。
 言葉の意味くらいは分かるが、ゲーム内で何が変化するのか。終始退屈そうな仏頂面を貫く脹相は、目だけを動かして他三人の様子を見る。

 まず、儚がにこやかに手を合わせた。

「おめでとうございます、脹相。愛し合う者同士が結ばれる儀を祝し、僭越ながらぼくから言葉を授けましょう」
「ねぇ儚、それマジで一々やんの?」

 真人がうんざりしたように舌を出す。
 人生ゲームを筆頭に他のゲームでも、人間が生まれる時、死ぬ時、婚姻を結ぶ時。──儚は本当の神父らしく、聖書からの引用を読み上げたりそれらしい言葉を長々と話してみせる。最初の一、二回は気にならなかったものだが、真人は既に飽きていた。神とかいないし、人間の馬鹿さ加減は知ってるし、ゲームだとしても祝福って……というような具合で。

「呪術を用いた儀式においても、言霊や祝詞は重要な役割を持つ……けどまぁ、儚のこれは道楽だから聞き流して問題ない」

 若干二名から文句を言われようと、気分を害すこともなければ「ではやめましょうか」と言う儚ではない。

「……──主なる神は言われた。“人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。”主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形作り……」

 ゆったりとした口調で儚が言葉を紡ぐ間、真人は落ち着きなく自身が稼いだお金の整理をしていたが、意外にも脹相は真剣に聴き入っていた。銀行役を務める夏油は真人の両替に応じながら、脹相の態度に少しばかり関心を向ける。

「──アーメン。……この辺りでよいでしょう。ゲームですからね」
「いつもこんなことをしているのか」

 淡々と問う脹相。儚が「えぇ」と頷くと、徐ろに手を差し出す。

「まだオマエから3000$受け取っていない」
「それは失礼しました。どうぞ」

 その後も、結婚する立場にある自分の番を除いて、儚はきっちりゲーム内における結婚を祝福した。

 それ以外は特に支障もなくゲームが進む中で、回転するルーレットをぼんやり見つめていた脹相が、突如自身のコマを指で潰す。パキ、とプラスチック製のそれが割れる音に、真人は「コマ壊すなよ!!」と憤慨する。

「弟が死んだ」
「おや」
「そういうの分かるんだ」

 脹相と同じく、壊相・血塗もまた特級に区分される程の強力な呪いを宿した存在だ。両面宿儺の指は取り込んだ呪霊の力を増大させるが、今回の標的は指一本分。如何に両面宿儺と言えど、ドーピングには限度があるというもの。
 どういうことだと眉を寄せる脹相。夏油は「待ってね」とスマートフォンを確認し、その因果に思わず笑みを零す。

「報告が入ったよ。壊相・血塗を殺したのは呪術高専一年、虎杖悠仁とその一派だ」

 不満げに口を尖らせていた真人は、一転して心底愉しげに嗤う。脹相は弟たちの仇の名を噛み締めた。

「不思議な巡り合わせですね」

 儚が虎杖悠仁の存在を意識したのは、里桜高校で直接対面した時以来だ。高専襲撃の際には“出来ることが特に無い”という理由で、漏瑚と共に留守番をしていた。──協力者として夏油が連れて来た呪詛師、組屋鞣造からなるべく遠ざけられていたというのもある。閑話休題。

 事を起こす際には何かと姿を現す虎杖を、宿儺の器であることを抜きにしても、意識しないというのは難しい話だ。
 現に真人は虎杖と対峙し、殺意という名の執着を得た。脹相は言わずもがな、愛すべき弟達の仇だ。個人的な興味を抱く相手など過去に一人や二人いた程度の儚でさえも、虎杖には少なからず好奇心がくすぐられている。

「ふふ……ひとまずは、天に帰った子らの為に祈りましょう」

 短い再会でした。儚の言葉に、脹相は強く拳を握り締めた。