昔噺

 悩み、眉を寄せる表情ですらも、とかく絵になる。鑑賞物としては他の追随を許さないその呪霊は、そこはかとない色を含んだ息を吐いた。

「きみの話に乗ったはいいけれど……どうしたものやら」

 ──儚はすっかり困り果てていた。最近知り合った人間……加茂憲倫の提案に面白そうだと協力することを決めたのはいいが、儚は人間の女を孕ませる方法など知らないのだ。人間が人間と行う営みくらいは知っているが、呪霊である儚に生殖機能はなく、真似事すらできない。
 儚が悩まし気な表情を浮かべていると、憲倫は「気負う必要はない」と儚の肩を抱く。そうして人差し指を向けた先には、意識が混濁した状態のひとりの女がいる。「ここに、」憲倫は下腹部に指を置く。

「呪力を圧縮させて核を入れてやれば、後は勝手に孕むさ」
「簡単に言ってくれますね。……まぁ、やってみない事には分かりませんか」

 普段壁抜けをする時の要領で、女の下腹部──子宮の辺りに手を沈める儚。徐々に呪力を集中させ、胎を満たしていく。女は白目をむいて身体を痙攣させ始めたが、儚も憲倫も意に介さない。儚は珍しく両眼を開いて意識を集中させる。ほんの小さな核を作ったところで、憲倫が自らの血を胎に注いだ。憲倫自身の呪力が濃く溶けだしたそれが、核を肉付けする。人間の基となる卵子にそれらが染み込んで、混ざって、蕩けて──……。

 儚は瞼を下ろし、手を抜いた。ふう、と息をつく。

「お疲れ様」
「これほど呪力を消費したのは久々ですよ……」
「まぁ、本来なら呪霊をそっくりそのまま胎に入れるからね」
「聞いていないけど?」
「言ってなかったかな? それはすまないね」

 別に女を孕ませる過程で儚が消滅しても構わないと、憲倫は親しげに接する癖に思っていたのだ。薄情、と儚は控えめな文句を口にして、女の方へ顔を向ける。情けなくもか細い呼吸を繰り返し、自身の腹に手を添えている。呪力の渦巻くそこが重苦しいのか──無意識下の行動に、儚は母の片鱗を見たのだった。





 街へ下り、適当な人間の顔面を掴む。呪霊を視認できない人間は突然のことに驚き、声をあげる間もなくずるりと皮を持っていかれる。
 気持ちよく剥がれた皮を被ると、儚は寺へ戻った。「お帰りなさいませ」と儚を迎えたのは、玄関先を竹箒で掃除している身重の女だ。にこりと微笑んでやるだけで、女は顔を綻ばせる。

「体調が優れているご様子で」
「えぇ、はい。憲倫様は安静にと気遣って下さるのですけど、何だか落ち着かなくて……」
「多少動く分には問題ないでしょう。ですが、きみだけの身体ではないことは、ゆめ忘れることなきように」

 儚がそう言うと、女は少し俯いて自身の胎に触れる。

「あの……本当に、また……?」
「えぇ。きみの胎には子が宿っています。純潔を保ったまま尊い命を授かるなど、聖母マリアの様ではありませんか。安心して、子に愛を注いであげなさい」

 産まれてくるのが呪いの子と知っていても、生物としての本能故なのか、女は母性を抱いている。“不義の子を孕んだ”と生家で散々な扱いを受けたこともあり、女は呪いの子を宿す特異体質を受け入れる憲倫と儚を盲信しつつあった。この方達が尊いものだと仰ってくれる我が身、我が体質は、きっと幸せな子を産む為にあるのだと。

 今度こそ元気な産声を聞かせてちょうだいね──女は胎の化生へ向けて愛を注ぐ。


 ……憲倫は、まさかその言葉が呪霊の口から出てくるとは思わず、「何?」と怪訝そうな顔で聞き返した。

「愛ですよ」

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。額の縫い目周りを引っ掻き、憲倫はひとまず言い分を聞いてみようと、目を向けて言葉の続きを促す。

「素晴らしいじゃありませんか。二度……彼女からすれば三度ですか。異形を孕んでは堕ろしているにも関わらず、尚も子を宿せば慈しむのですから」

 女が胎の子を慈しんでいる様に見えるのは、一種の自己防衛だろうと憲倫は予測している。現段階では未だ正気を保っている女であるが、二番目の子どもを堕ろした時点で擦り切れ始めていた。人らしい形を形成し始めた段階の肉塊が瓶詰にされる光景も、女にとっては耐え難いものだ。女は一番目を堕ろそうと憲倫が提案した時、臨月にはまだほど遠いのだからと食い下がった。今度こそ健常な状態で子どもが産まれてくるのだと信じたかったらしい女は、結局儚が術式を用いて適当に言いくるめたのだけれど。

 女はずっと願っている。
 異形ではない子が、愛しい我が子が、産まれてくる。今度こそは、次こそは。
 たとえそうでなかったとしても、母として、私は己の内で育つ子を愛せれる。──まだ、大丈夫。

「……私としては扱いやすくて助かってるよ。君が呪霊のくせに、どうしてそれを愛なんて形容するのかは分からないが」
「きみは愛と愛情の違いが分からないので?」

 心底憐れんだ様子の儚に、憲倫は微かにこめかみをひくつかせる。

「きみ自身に愛がなかろうと、ぼくは構わないけれどもね。違いが分からないとは嘆かわしい」
「それじゃあ、お聞かせ願おうか。君はどうやら違いの分かる呪霊のようだから」
「いいでしょう。ふむ……ぼくの術式で得られる感覚的な違いを分かりやすく伝えるのなら……、氷と水でしょうか」

 儚が何故かよく読んでいる聖書にまつわる何かしらの屁理屈が飛び出してくるものだと予測していた憲倫は、存外独立した思想を持っているのかと片眉を上げる。

「氷が愛、水が情です。水は如何様にも形を変えますが、氷はなかなかそうはいかないでしょう?」

 なるほど、と憲倫は頷いた。
 人間と何ら遜色のない高度な知能、独自の価値観を持っている、人間とほぼ同じ姿の呪霊であるが、やはり根本は人間とは違うのだと。

「良い話を聞けたよ。気が向いたら覚えておこう」





 脹相が未だそう名付けられていなかったある日、母の嘆きを聴いた。

「あぁ……あぁ……! 私、きっと呪われているんです! 満足に母としての役目も全うできないから! お医者様、お医者様、どうか、お助け下さいませ……。毎夜、あの子たちが私を呪うのです。瓶の中から私をじっとりねめつけて、地獄に堕ちろと吐くのです」

 骨の髄まで凍り付くような恐怖が、ガラス越しに伝わってくる。母は震え、全身を黒い服で覆い隠した痩身の男に縋りついた。「そのような事があろうはずがありません」──その声を脹相らは知っている。母を労わり、兄弟に語りかける、柔らかな真綿の様な声の主だ。医者は、棒切れの様に細い両腕で母を受け止める。

「きみが子らを愛するように、子らもきみのことを愛していますよ。大丈夫、ぼくにはきちんと分かりますとも。子どもたちは新たに生まれる兄弟を楽しみに待っているに過ぎません。感謝を伝えようと、必死に念じているのです。母であるきみを、想ってのことですよ」

 医者の言葉は母を傷つけない。するりと音が意味を伴って身体の内側に沁みていく。母が心地好く思うそれを、脹相らも同じ様に感じていた。他の弟らと比べて意識のハッキリしている脹相は、不快感を覚えないことを不可解に思った事もあったが、害はないのだと判断を下していた。
 随分とやつれた様子の母はうぅ、と蹲って泣き始めた。医者が母の背を撫ぜる。

 声を発することができるのであれば、人間として生まれることが叶うのならば。脹相は医者に代わってやりたかった。自分も弟も、母を憎んだり恨んだりなどしていないのだと、真実を伝えて慰めてやりたかった。息子として、相応の孝行ができたのならと、瓶の中で思っている。……その思念を、母は歪んで受け取っているのだろうか。

 不意に、医者が脹相の方に顔を向けた。
 奇妙なことに、医者は真っ直ぐと脹相を見やり、視線がかち合っている気さえした。何故だか、偶然にも、脹相から医者の顔を窺うことはできなかったけれど。

「きみの子は優しい子ですね」

 まるで脹相の想いを感じ取ったかの如き口振りだ。母は脹相らに視線のひとつもくれやしなかったが、医者はうっそりと口許に弧を描き、脹相らを見て、いつも通り祝福を口にした。