氷炭相容れず

 無限城に落とされ、晋之丞が少し歩いた頃。ふと感じる血の匂いに胃の腑が重くなるようだった。
 体感、まだそう時間は経っていない。道中襲ってくる異形の鬼はすべて、そう苦労することもなく頸を斬ることができた。けれどそれは、仮にも晋之丞が炎柱の位を得ることができる剣士だからであって──複数の鬼に囲まれ、命を落とす隊士がいてもおかしくはないのだろう。もう犠牲者が、とはあまり考えたくはなかった。

(……この中からか)

 血の匂いを辿ると、鬼の気配も濃くなるようだった。この襖の先に、きっと鬼がいる。──それも雑魚鬼ではない。間違いなく数字を持った上弦の鬼だ。
 平静を装いつつ、意を決して晋之丞は襖を開ける。ぐち、と粘着質な水音が耳についた。

 蓮が浮かぶ池に、不規則にかけられた橋の上。こちらに背を向けて、積み重なる死体の中で胡坐をかいている男がいた。骨を噛み砕く音がする。部屋の中には血の匂いが充満していた。

「ん? わあ! 不思議な髪色だねぇ」

 親しみさえ感じさせる笑顔と声音で晋之丞の方をぐるりと向きながら、人間の血肉を喰らう鬼。瞳に刻まれた文字は『上弦』『弐』だった。

(上弦の参じゃない……)

 些か肩透かしをくらった気分だ。晋之丞は特に、首魁である鬼舞辻無惨と、仇敵である上弦の参・猗窩座に復讐の念を燃やしていたから。とはいえ数字にしてみれば猗窩座より上位に位置する鬼だ。討伐対象であること、脅威であることに変わりはなく、深く呼吸をして──踏み込む。

 ──炎の呼吸・伍ノ型 炎虎

 真正面から突っ込み、上弦の弐の頸を狙う。目を見開きながらひらりと身軽に躱してみせたことは、想定内であった。すぐさま片腕で足下に蹲っていた女性を抱え、後ろに飛び退く。

「おいおい、取らないでおくれよ。俺が救わねばならない子だというのに」
「た、た、たすっ、け」
「…………」
「それにしても君、速いねぇ! 柱かな? 炎の呼吸の柱は、以前に猗窩座殿が殺したと聞いたけど、後任かい? その子を優先すると思ったんだけどなぁ、俺の頸を真っ先に狙ってくるなんて当てが外れたよ」

 女性は幸いにも大きな怪我は負っていないようだった。酷く怯えた様子で晋之丞の袴を握り締めている。晋之丞は上着を脱ぎ、女性の肩にかけた。本当は藤の匂い袋でもあればよかったが、生憎と今は持っていない。
 鬼殺隊の隊服は、雑魚鬼の爪を防げる程度には強度のある特殊な布で縫製されているが、相手が上弦の弐ともなればそんなものは気休めにもならない。あってもなくても同じなのだから、脱いでも構わないと判断した。隊服を肩にかけていれば、他の鬼殺隊士がすぐに保護してくれるだろう。……女性を逃がすには晋之丞がこの部屋に残らねばならず、一般人をこの城に彷徨わせることは不安であったが。

「同じ服を着た人間を頼ってください。逃げて」

 短くそう告げると、女性は震える身体に鞭打って部屋から出て行った。上弦の弐が眉を下げて言う。

「酷いことするね。ただの人間が鬼から逃げられるはずもないのに……その辺をうろついている奴でも、下弦程度の力はあるんだよ。きっと苦しくて辛い思いをすることになる……それが嫌で俺に救いを求めてきたのに。助けてあげたかった」

 虹色の双眸からはらはらと涙を流す上弦の弐を、晋之丞は鋭く見据える。

「…………」
「俺とはひと言も話してくれないね。お喋りは嫌い? 髪を切ったこと怒ってる?」

 最初から涙など流していないかのように、ぴたりと泣き止んだ上弦の弐の手元には、晋之丞の髪がひと房。頸を狙い、女性を助けたあの一瞬で切り取られていた。無傷であるのは、挑発するためか反応できなかったのか──晋之丞としては後者と思いたいところではある。

「男なのに、本当に綺麗な髪をしているね。絹糸みたいだ、藤のような夜のような色は生まれつき? 家族みんな同じ色なのかな。染め粉かと思ったけど違うんだね。綺麗だね。瞳も朝焼けのようで、きらきらと不吉だなあ」

 上弦の弐は晋之丞の髪を捨てず、そのまま口に運んだ。気色が悪い、と晋之丞の眉間のシワが深くなる。

「んー! 何も塗っていないのにこんなに柔らかいんだ! 女の子顔負けだなあ。椿油なんかを使って手入れしている女の子は多いけれど、やっぱり少し舌に付くんだよね。変な味もするし」
「…………」
「本当にだんまりだなぁ……。うーん……あっ! そうか、きっと何か辛いことがあったんだね。言葉も紡げなくなるほど、身を引き裂かれるようなことが……俺が聞いてあげるよ。話してごらん?」
「…………」
「あぁ、俺が何者か分からないと不安だよね。俺は童磨。万世極楽教≠フ教祖なんだ。安心していい。俺は人間の話を聞いて、救い、導いてやるのが仕事だから」

 晋之丞は長く息を吐き出した。びきりと額に青筋が浮かぶ。
 声色が、言葉が、表情が。晋之丞の神経を逆撫でする。元々晋之丞は口数が多いタイプではないが、人と話すことは嫌いではない。だが、人の命を奪っておいてヘラヘラと笑い、詭弁を並べる悪鬼と言葉を交わしてやるほど、お人好しでもなかった。

「お前に用は無い」

 短く告げて、晋之丞は童磨の懐に潜り込む。

「じゃあ誰に用事があるのか教えておくれよ!」

 ニッコリと笑った童磨が金の鉄扇を振り払う。

 ──炎の呼吸・弐ノ型 昇り炎天
 ──血鬼術・蓮葉氷

 氷で作られた蓮を切り裂き、晋之丞は距離を取る。手足が凍り付くような、肺を切り裂くような冷気を、童磨の血鬼術は纏っていた。咄嗟に日輪刀を咥え、深く息を吸い込む。口腔から微かにシュウ、と音がした。

(少し肺に入ったか……? 厄介だな。肺が凍れば呼吸術は使えない。体温が下がれば動きが鈍くなる……)

 正しく、天敵だ。
 上弦の弐という位も頷ける。この初見殺しとも言える血鬼術にやられた隊士は数多いだろう。鬼殺隊を殺す為の術と言っても過言ではない。
 刀を握り直す晋之丞に、童磨は目を丸くしていた。

「勘が良いというかなんと言うか……俺の血鬼術をそんな風に対処した鬼狩りは初めてだよ。鬼の頸を斬れる刀なんだから、血鬼術の対処にも使えるというのはそうなんだけど」
「…………」
「あれぇ? 褒めてやったんだけどなあ。嬉しくない?」

 晋之丞は深く呼吸をし、体温を上げることに努める。敵の血鬼術で体温が下げられるのであれば、その分熱を持たなければならない。

(ふざけた奴だが、上弦の弐……まるで隙が無い)

 頸を斬れるイメージが微塵も湧いてこないのだ。童磨は先程、城内をうろつく鬼ですら下弦程度の力はあると言っていたが、それとは比べ物にならない。数字持ち──上弦の鬼。初めて相対する存在に項が冷える。
 戦わないという選択肢はない。いくら恐ろしくとも、命が惜しくとも。退きそうになる足をどうにか律して、前へと。





 晋之丞との攻防の中、童磨は思考する。

(この鬼狩り、ひと呼吸が長い。戦いながら、俺の血鬼術を吸わない様に徹底できるだけの呼吸。一度にたくさんの酸素を取り込むので、体温も下がりづらい。動きが鈍らない)

 依然として言葉を交わしてはくれないが、確信した。間違いなく柱の位であるのだろう。そうと思って刀をよくよく見てみれば、『惡鬼滅殺』の文字が然と刻まれていた。

 頸を狙った一振り。鉄扇と刀がぶつかり合い、高い金属音を鳴らす。弾かれる勢いで後退した晋之丞は、また深く息を吸い込んだ。

「ここまで俺に対して余裕のある鬼狩りは初めてだよ。でも──浅いね」

 閉じた扇で、童磨は自身の首元をとんとんと叩く。

「あと一歩深く踏み込めば、刃先くらいは届いていたかもしれない。そんな場面は何度かあったよね。時間稼ぎをしているのかな。──それとも、怖い?」

 晋之丞はやはり何も言わなかったが、童磨は気の毒そうに眉を寄せる。

「ああ……そうだよね。死を恐れるのは人間として普通のことだ。大丈夫、恥じる必要はない」
「…………」
「安心していいよ。君は柱だからね、首から下は俺がきちんと喰ってあげる。俺の中で共に永遠を生きるんだ。他の信者達もそうして救ってやってるんだ、俺は」
「…………」
「首から上は、いっとう綺麗な壺に生けてあげよう。玉壺という鬼を知っているかい? 上弦の伍だったのだが。彼の作る壺は綺麗でねぇ。以前貰った壺には、今は女の首を生けてあるけど、君の綺麗な髪の方が映えると思うから」

 ──晋之丞は己を恥じた。
 この上なく恥ずかしい。穴があったら入りたい。
 化け物に立ち向かう恐怖と、生き物を切り付ける忌避感で、いつも足が竦む。けれど経験と鍛錬が身体を突き動かし、そうして鬼を狩ってきた。

 相対したばかりの鬼にその恐怖を見抜かれ、指摘されることの屈辱感たるや。顔には同情の念が浮かんでいて、晋之丞は臓腑が焼け付く吐き気を覚える。

(……お館様から柱の位を賜っておいて、この体たらく。…………杏寿郎、なら)

 ああ、きっと。こんな情けない指摘はされないだろう。恥ずかしい、消えてしまいたい。





 ひ、ひ、とまともに言葉も紡げない程に怯え切った女性。その女性が縋るように握り締める隊服には見覚えがあった。

(柱の隊服……)

 蟲柱・胡蝶しのぶは、女性に寄り添い、己が懐にしまっていたハンカチを渡した。匂い袋ほどではないにしろ、藤の花の香りが染み付いている。何も無いよりはマシだろう。
 偶然、一般隊士が近くを通りがかったので、女性を預けてしのぶは駆ける。

 剣戟の音。その激しさから、相手は上弦の鬼であろうと表情を険しいものとした。戸を勢いよく開け、刀を抜く。

 ──蟲の呼吸・蜂牙ノ舞 真靡き

 鉄扇が晋之丞の腹を開こうと迫っていたその刹那、童磨の意識の外から繰り出された突きが、側面から頭部を穿つ。

「胡蝶、離れろ!!」

 援軍に喜ぶでも安堵するでもなく、晋之丞は鋭く叫び、童磨の血鬼術を斬って自身も距離を置く。
 上着を纏っていない晋之丞の白いシャツは、所々赤い染みが出来上がっていた。並び、敵を見据えたまましのぶは告げる。

「女性は他の隊士に預けました。目立った外傷もなく、酷く怯えていましたが無事です」
「そうか、ありがとう」

 童磨は新たに現れたしのぶを見て、顔を華やがせる。

「わあ、今度は女の子だね! 若くて美味し、そう……」

 次の瞬間、童磨は吐血した。床に両手をつき、悶え苦しむ。

「毒……! これは……累君の山で使った毒より強力だね……」

 このまま童磨が毒で息絶えるか、毒を分解するか。どちらにせよ、結果が判明するのを待つより先に、満足な反撃もできないのであれば頸を斬った方が確実だ。

 ──炎の呼吸・壱ノ型 不知火
 ──血鬼術・凍て曇

 接近した晋之丞に吹き付けられる広範囲の冷気。晋之丞は童磨の頸ではなくその霧を払い、後退する。

「……そう簡単に斬れはしないか」
「そうですね。毒の効果が発現する瞬間と攻撃を擦り合わせましょう」
「ああ。奴が放つ冷気は肺を凍らせる。呼吸する瞬間を見誤るな」
「肺を……!? 燎さん……」
「俺は問題ない。今のところは……」

 情報共有をしている間に、毒を分解した童磨が立ち上がる。

「うわーーーっ! 楽しい!! 毒を喰らうのって面白いね、癖になりそう! 次の調合なら効くと思う? やってみようよ!」
「…………そうですね。いいですよ。まあ、このあたりまでは想定内ですから」
「あっお返事してくれるんだね、嬉しいなあ。君も見習ってくれたらいいのに」

 屈託なく笑い、童磨は晋之丞を見る。……晋之丞はやはり口を閉ざし、返事をしない。

「それにしても……さっきのは凄い突きだったな。君も、もしかして柱なのかな? 素早さだけなら彼よりも上だね」

 しのぶは童磨を観察していた。──にこにこと屈託なく笑う。穏やかに優しく喋る。使う武器は、鋭い対の扇。
 姉・カナエが死の間際に語った特徴と一致していた。柱であったカナエの実力は、しのぶが一番よく知っている。その彼女が負けた──殺された理由が、鬼殺隊士から呼吸を奪う血鬼術であるのだとしたら。

「……この羽織に見覚えはないか」

 しのぶは問う。

「ん? ……ああ! 花の呼吸を使ってた女の子かな?」

 しのぶの顔に青筋が浮かぶのを見て、晋之丞は「胡蝶」と諌めるように名を呼ぶ。

「優しくて可愛い子だったなあ。朝日が昇って喰べ損ねた子だよ、覚えてる。ちゃんと喰べてあげたかった」
「胡蝶! 逸るな!!」

 憤怒に震える小さい肩を掴む。フーッ、フーッ、と強く歯を食いしばって童磨を睨みつけるしのぶの気持ちが、晋之丞には痛いほどよく分かった。だからこそ、止めなければならなかった。その気持ちのままに刃を振るいたいだろうが、きっとそれでは上弦の鬼を殺せないから。

「えぇ? どうしたの、急に。そんな怖い顔をして。せっかく可愛い顔を……ん、ああ、そういえばあの子も『胡蝶』と名乗っていたっけ。妹なんだね。姉妹揃って可愛いねぇ」
「黙れよ」

 低く唸るように言う晋之丞に、童磨はきょとんと不思議そうな顔をする。

「……すみません、燎さん。ありがとうございます。もう……大丈夫ですから」

 そう言うしのぶの顔から怒りや憎しみが消えることはないが、ひとまずは冷静さを取り戻したらしい。晋之丞は手を離し、両手で刀を握って赤く染まった刃に目を落とす。

「──俺は、以前の胡蝶が好きだったんだが」
「えっ?」

 突然の告白に、しのぶは思わず晋之丞の顔を見る。

「明朗で賢く、怒りっぽかった。感情をハッキリと表に出すところを好ましく思っていた。……そのお前が、しばらく見ない内に笑顔を貼り付けて、本心をしまい込んで振る舞うようになり……何故かと思っていたが、そうか。…………あれが原因か」

 ギシリ、と。
 軋むほどに強く、晋之丞は柄を握り締める。

「わかった」

 その短いひと言にどれだけの怒りが込められているか、到底童磨には計り知れるものではなかった。



後書き

柱二人がかりで童磨を倒せるかって言ったらやっぱり無理そうだなと思います。
晋之丞は断固拒否したいところですが、しのぶさんの毒特攻は必須かと…毒特攻があれば晋之丞はスパスパッと頸を斬れるはず。

晋之丞は本編でも誰よりも早く上弦と接敵しています。丁度いい所に落とされているんでしょう。
今回は童磨の近くに落ちたIF。原作よりしのぶさんの到着が遅かったのは、晋之丞が逃がした女性を発見したから。
童磨に対して元々少ない口数がゼロ近くまで減って返事をしないの、対応の仕方が猗窩座殿一緒。(猗窩座殿の方が返事をしてくれている気がする。)

晋之丞のしのぶさんへの好意は恋愛感情ではなく、人間的な好感です。蝶屋敷にはあまり世話になることがなかったので、カナエさんが亡くなったことを知ったのも結構経ってから。ただ、それでも姉妹には世話になった感謝はあったし、身内を殺される痛みを理解できる(杏寿郎とはほぼ兄弟みたいに育ってるので。友達だけど)ので、絶殺スイッチが入った。まあ元々入ってたけど。
最後の「わかった」で痣が出てたらいいなぁとは思いながら書いていますが、追い詰められ具合が足らないのでどうかな。どちらにせよ、上弦と戦っているうちに痣を出しておかないと後がキツイ。

髪の綺麗さに関しては遺伝です。晋之丞は派手な髪色があまり好きではないので特に気を遣って手入れしたりしていませんが、どれだけ綺麗かは童磨が語った通り。
燎家の人は性別問わず髪が綺麗。サラサラツヤツヤストレート。さらさら過ぎて髪を縛ろうとしても解けてしまうなんてこともある。
戦国時代の燎家の剣士は「自分より髪が綺麗で嫌」という理由で女の子にフラれ、それを継国兄弟に泣きついたこともあります。

速さに関して、瞬間的な素早さはしのぶさんが上ですが、晋之丞はトップスピードを長時間維持することに長けています。スタミナタイプです。人より少し肺を大きく膨らませることができるのかもしれない。

鬼殺隊歴、及び甲歴が長く、危険な任務に何度も赴いているので、ある程度の初見殺しは対処可能。日輪刀に噛みついて鉄粉を吸い込んだイメージでした。

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