────…………死ぬまでやってりゃいいさ。
そう、背を見送った。
あの時かける言葉が違えば、あの人を止められたのだろうか。
……もしくは。
言葉を飲み込んで着いて行けば、何か変わっていたのだろうか。
仮に「着いて来い」と言われていたのならば、俺は。
「……嬉しいねぇ。マスターちゃんにそうも想ってもらえるとは」
斎藤は力なく微笑み──実際、口角を上げられていたかさえ、定かではなかった──その顔を見られる前に千尋の頭を押さえつけるようにして撫でる。「セイバー、」と自身を呼びかける声を無視して、短い髪がぐしゃぐしゃになるまでかき混ぜた。
口は禍のもととはよく言うが、斎藤の胸にこの諺がこうも刺さったことはない。斎藤は“また”止められなかったのだ。今度は、自分の不用意な発言が原因で。
いっそ聖杯戦争が始まる前に腹を切ってしまえば、千尋は聖杯を巡る争いに身を投じることはなくなるだろう。けれど、その後は? ……想像に難くない。
“ああ、やっぱり無理なんだ”と諦めて、斎条家で自分の心を殺して、潰して、無視して。彼が言う通りの何も感じない魔術師となり、最期の瞬間まで利用され尽くして死ぬ。
生きた奴が勝ち、死んだら負けと斎藤は言うが、肉体が生きていればいいという話でもないのだ。呼吸をし、心臓が動いていたとて、心が死んでしまえば人はどこにも行けない。何にもなれず、何もできず、肉が朽ちる時を待つ──そんな人生を千尋に課すことはしたくない。
「……マスターちゃん。俺の人生は羨ましいもんだったかい?」
斎藤は千尋の頭から手を離し、導き出した可能性を問いかける。顔を上げた千尋が深く頷いた。
「いつ知ったんだ? 本に書いてあるって訳でもなさそうだったが」
「ああ……刻印と回路の移植の後に……、夢で」
そういう事もあるのか、と斎藤は目を瞬かせる。マスターとサーヴァント、目に見えない縁と繋がり。「不思議だな」という感想がするりと口から零れ落ちた。
「どこまで見た?」
「ざっと一生を……。いや、多分だけど……セイバーが特に覚えていることを見た、気がする。新選組時代のことが多かったと思うから」
「……そうか。まあ、忘れたくても忘れられねぇよな、あの時の事はさ。『斎藤一』って名前も、…………あの一瞬しか名乗ってなかった名前だ」
“記憶”だけではなく『斎藤一』という英霊を構成するにあたって、“記録”として霊基に刻まれてもいるのだろう。自身の一生を、驚くほど鮮明に思い出せる。新選組時代のことはより、まるで昨日のことのように。
「セイバーが自分の人生をどう思ってるかは知らないけど、やっぱりオレはいいなって思うよ。綺麗な部分だけじゃなかったけど、うーん、なんて言うか……何だろうなぁ」
千尋は困った様に笑った。どうやら上手い言葉が見つからないらしい。
「名前が変わっても、立場が変わっても、時代が変わっても…………変わらないモノがあったのが羨ましい、のかな。縛りつけられたり、押さえつけてもない、自然体で……ありのままで?」
「──…………そう見えたのか?」
「ああ。そう見えたし、そう感じた」
だから一緒にいて欲しい。
そう告げる千尋に、斎藤は目を細めた。
当たり前であるはずの日常が、明日も当たり前であることを望むような──多くの人間が、わざわざ願ったりはしない、ささやかで無垢な大望。
斎藤の生き様に憧れた、だから、その姿をずっと近くで──隣で、見せて欲しい。
千尋が斎藤に望むものはその程度で。しかし、それを叶えるには、斎藤が生前一度も経験していないような壁を乗り越えなければならなかった。
斎藤は居住まいを正すと、令呪の刻まれた千尋の右手を取った。一角欠けたそれを見つめた後、千尋の双眸を真っ直ぐ見据える。
「マスター、俺はここに誓おう。この仮初の命を懸け、お前の望みを叶える為に剣を振るうと。……この令呪、俺に預けて欲しい」
千尋は令呪を見る。思えば、おおよそ三週間前、突然手の甲に令呪が現れた時から全ては始まった。
万能の願望機に願うは『自由』。そうするべきなのか、そうしたいのか、そうしてもいいのか──迷いが胸中から消えることはないのだろうが、葛藤を抱えたままでも、千尋は一歩を踏み出せる。
自由になることを、たったひとりが肯定してくれる。それだけで十分だった。
「──セイバー。オレの唯一の剣、オレは貴方を信じているよ」
◆
日没が迫る時間、街は緋色に燃え上がるようだ。高台から街を見下ろす千尋は、緊張を誤魔化すように瞼を下ろして息を吐いた。
「怖いか?」
斎藤の問いかけに、千尋は首を横に振る。
──数日前、聖杯戦争を勝ち抜く為の作戦を話し合っていた。
千尋が斎藤を召喚し、真名を聞いた時から抱いていた懸念。即ち、神秘の格差。あまりにも現代に近い英霊である斎藤では、他のサーヴァントの出力に敵わないだろうと。
では、どう勝つか。単純な事だ、サーヴァントを現世に留まらせる楔である、マスターを殺せばいい。
マスターが死ねば、その内にサーヴァントは消滅する。魔力供給がなくとも活動できるクラススキルはあるが、それでも弱体化する一方なのは確かだ。
自分の望みを叶える為に、誰かの命を奪わなければならない。実際に刃を振るうのは斎藤だが、その意志は千尋にある。
殺さなければならないという事に逡巡しながらも、千尋は覚悟を決めた。誰かを殺すというのは、誰かから恨まれることを意味する。だとしても、それを背負うのだと。
「怖くはない、セイバーがいるから。……改めて決意してたところだよ」
「ああ。…………そうだな、俺も腹を括ったよ」
他に道はないだろうかと、胸中でずっと模索していた。どうにか千尋の望みを叶え、且つ聖杯戦争から遠ざける方法を。──やはり千尋が斎藤との未来を望んでしまった時点で、聖杯を手に入れるしか道は無くなってしまった訳だが。
共にいたいと望むのは、何も千尋だけではない。共に生きていきたいと思うからこそ、斎藤は出来る限り千尋を危険から遠ざけたいのだ。
ただやはり、戦った先にしか、希望がないと言うのなら。
斎藤は腰に差した刀を鞘ごと抜き、千尋の前で少し刃を見せ、そして再び鞘に収める。
“金打を打つ”──武士として、斎藤は誓いを示す。些か形式は異なるが、己が使命を魂に刻みつける為の一連の動作だった。……千尋は斎藤の顔を不思議そうに見ていた。
「この戦争で俺はお前を護る。お前の意志を全うする為の剣となり、望みを得る為の勝利に臨む。俺はこの時を越えた後も、お前の傍にいよう」
千尋は目を見開く。吐く息は震え、白く染まって風に解けていく。
胸に宿るこの熱は何なのか、千尋は名前を見つけられずにいる。未知のモノであるにしては優しく、懐かしいモノとして思うにはどこか遠すぎる。己を傷つけるものではないことだけは確かなそれに、千尋は頬を緩ませた。
A.D.2004 日本・冬木市。
第■次聖杯戦争────開幕。
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