部活動が終わると、千尋は一緒に昼飯を食べに行こうという同級生からの誘いを断り、商店街へ向かう。肉屋でコロッケを計四つ購入すると、商店街を抜けた先にある公園を目指した。ほう、と吐いた白い息を攫っていく風で、揚げたてのコロッケが冷める前にと早足になる。
公園にいくつか設置されたベンチのひとつに腰を下ろし、千尋は「セイバー」と斎藤に呼びかけた。実体化した斎藤が千尋の隣に座ると、千尋は白いビニール袋の中に入れられたコロッケの内の二つを、斎藤に差し出した。
「じゃがいもとメンチ、一個ずつな」
「ありがとさん」
どうしたって肉屋で受け取った時と比べれば、コロッケは少し冷めてしまっている。千尋は今になって、魔術で温度を固定すればよかったのだと気づき、少しだけ後悔をしながらコロッケにかぶりついた。狐色の衣がざくりと心地好い音を立てる。ほくほくとしたじゃがいもは肉の油が染み込み、口の中いっぱいにうまみが広がった。
「ん! うまいなぁ! 片手でこんなにうまいモンが食えるなんて、良い時代だねぇ」
「おにぎりも買えばよかったなー」
コロッケ二つ程度で成長期の空腹は満たされない。工房に保管しているカップ麺の数々を思い浮かべながら、千尋はコロッケを食べ進める。
「なぁ、マスター」
「んー?」
日常会話の如きテンションで、何でもないことのように斎藤が問いかける。
「好きな子作るのやめたって、ありゃどういう意味だ?」
「そのままの意味だけど。オレの色恋沙汰に興味ある?」
「うーん、まぁ、結構モテモテで遊んでた一ちゃんとしては? アドバイスのひとつでもやろうかねと思ったんだけど」
聖杯にかける本当の望みを聞き出そうとしていた時のような真剣さは、今の斎藤からは感じられない。けれど何となく、千尋は(話さないと納得しねぇやつかなぁ……)と判断し、ベンチに凭れかかって空を見上げた。
「斎条家って魔術師の家系だろ?」
「ああ」
「魔術師ってのはさぁ、多分どこの家も、“根源”っていう場所……もの? に至ろうとしてるんだよ」
「言ってたな、それ。根源ってのは僕にはよく分からんけども」
「オレも分かんねぇよ。……んで、言っちゃうと、まぁ……その為なら手段を選ばないんだよな」
“根源”へ至るという悲願を叶える為ならば、どのような犠牲も厭わない。──それが身内ではないのならば、尚の事。
「オレはそういう魔術師的な思想が嫌いだし、だからこそ聖杯を手にしたいんだけど……何というか、自分の思想が魔術師に寄ってる自覚はあるんだよ」
ふとした瞬間に、他人への感情が冷めるのを感じていた。心の底から楽しいと感じているはずの友人との会話の中で、不意に過る斎条家の思想。魔術師ではない者を見下し、時には“素材”や“道具”とすら認識する、冷血と言うべきそれ。
「昔……斎条家に引き取られる前、元の家族といた頃には、そんなこと思いもしなかった……はず。…………当たり前のことなんだけど、記憶が薄れてて自信が持てないし……思い出せないことを寂しいとも、感じられなくなってきてる」
斎条家の魔術師になどなりたくない。なってたまるか。
都合が良いと見初められ、調整され、造り上げられ。千尋の意志など無いものとして扱う斎条家の人間への反抗心は、きっと消えることはないだろう。消えずとも、きっとこのまま成長していけば近い内に、反抗心を自覚したとて何も感じなくなるだけだ。
「だからやめた。好きになった子に対して、胎盤だとか思いたくないし……」
「…………そうか」
「オレの精神力の問題かもしれないけど。どんな環境でも、変わらない人は変わらないんだろうし」
千尋の言葉に、斎藤はひとりの男を思い浮かべる。……あれは最早、変わらないのではなく、変われなかったのだろう。そういう精神性、生き様が、時としてひどく滑稽に思えることもあれば、眩しく見えることもある。
「…………千尋、まだ迷ってるだろ」
「ん……? なにが?」
「聖杯へかける望み。自由になりたいって言葉は、疑わねぇけどな」
千尋は俯き、「……そうかな」と零す。
魔術師の思想は嫌いだが、千尋は魔術そのものを嫌っている訳ではなかった。斎条家で身に付けた魔術は、上手く活用すれば実に便利で、千尋を助けてくれる。
だからだろう。魔術を身に付けたからこそ、斎条家が今まで積み重ねた研鑽を知れてしまう。『“根源”への到達』というたったひとつの望みを叶える為、一族は時と労力を費やしてきたのだ。その全てが、千尋を痛めつける魔術刻印に刻まれている。
それこそ、聖杯へ願う様な大層な願望。幼い子どもから
家族を奪い取ってでも、成就を目指す。手段を選ばないということは、それだけ意志が強い裏返しではないか。
「良くしてもらったんだ。ホントに。死ぬ程苦しいし、辛いし、悲しいし寂しいけど。……“役割”を果たさせる為とは言え、良くしてもらったんだよ」
「ああ。……その役割ってのはなんだ?」
「有り体に言えば、種馬。オレはあくまでも斎条の血筋じゃないから……オレを傑作に仕立てて、次をより良い物にっていう……」
「…………なるほどね」
斎藤は苦虫を噛み潰したような表情をする。
斎条家のあの人間共が自身の子孫ではないらしい──という事実にはひっそりと安堵していた斎藤だが、それならばそれで、正真正銘自身の子孫である千尋を種馬として扱っていることに、激しい憤りを覚える。
(…………やっぱ、あの時斬っときゃよかったな)
今からでも遅くはないか、と斎藤は脳裏で暗殺計画を組み立てる。
殺すのは簡単だ。斎藤がいかに近代のサーヴァントであろうと、現代魔術師の魔術がその霊基に傷をつけることなどできない。斎条家の屋敷に侵入して、腰に佩いた刀で正面からでも背後からでも、一太刀で物言わぬ骸にすることなど容易い。
──しかし、
「魔術刻印のこと、家宝みたいなものって言ったろ? 今、オレはその八割を譲り受けててさ。……本当に、オレが逃げ出したら斎条家は終わりなんだよなぁ、って」
同じ剣道部員である女子生徒が、千尋に「真面目だね」と言っていたのを斎藤は聞いていた。確かに、とそのセリフを思い出し、内心同意する。
役割がある故だと理解していても、恩を忘れることができない。仇で返すことに、引け目を感じている。温度の伴わない情を与えられ、温かな心が迷いを生んでいる。
斎藤が自己判断で斎条の人間を殺したとして、千尋は、斎藤を責めることすらせずに、後悔と責任の全てを背負い込むのだろう。
「…………マスター。俺がお前を斎条家から逃がしてやる」
「……!」
「俺が勝手に、そうするんだ。お前に責任はない」
この提案は二度目だ。一度目は、千尋が魔術刻印の移植を受ける前。
あの時よりも、斎藤と千尋は仲を深めている。召喚されて二日目だったあの時とは違う。
体の芯から冷え切ってしまったかのように、恐怖で震える子どもへの同情──きっかけはそんなものだったろう。目の前の少年があまりにも憐れで、気丈に振る舞うことすら失敗している姿が痛ましくて、ならばいっその事……と、そう思った。
今も同情心はあるだろう。だがそれ以上に、斎藤は強く思っていた。千尋は、──自身の子孫であることを差し引いても──この子は、自由に生きるべきなのだと。たとえ自由になった後の方が険しい人生なのだとしても、縛られるべきではない。
提案を──差し出した手を、千尋は取ってくれるはずだ。そんな確信はあった。己の言葉がより真剣味を帯びている自覚があり、千尋からの信頼を知っていた。
斎藤には確かに、勝算があったのだ。
「……セイバーが言う通り、オレは迷ってるかもしれないけど……。聖杯を手に入れるって望み自体に迷いはないんだよ」
「俺程度のサーヴァントじゃ、自分を自由にするなんて無理だろうって?」
皮肉を込めてそう自虐すれば、千尋は力なく首を横に振った。「じゃあ何」と斎藤は問う。
「無理だとは思ってない。逃がしてくれるって言ってくれるのも嬉しいよ。……そんなこと言ってくれるのはセイバーが初めてだし」
だけど、と千尋は斎藤を見る。
「やっぱりオレには聖杯が必要だよ。セイバーと一緒にいたい、旅がしたいんだ」
──ああ、失敗した。
「…………そうか」
──失敗した。
千尋を逃がしてやろう、自由の身にしてやろう。……そう在るべきだと思っての提案だった。玄孫であろうとなかろうと、この少年にこれ以上苦しい思いをして欲しいとは思わない。逃げたっていいのだと、道を示し、できることならば聖杯戦争から離脱させたかった。
斎条家から解放されることが保障されれば、千尋は聖杯に固執する必要もないと考えていた。否、少なくとも、一度目の提案の時点ではそうだったはずだ。あの時は単に信用も信頼も無かったから、断られただけで。
今は、短い時間ではあるものの、培った信用と信頼がある。千尋が斎藤の手を取るのに十分なはずだった。
けれどやはり、千尋は斎藤の手を取りはしなかった。斎藤が『受肉』などという聖杯への望みを口にしたが為に。
あんなことを言わなければ、千尋は斎藤に「逃がしてくれ」と言ったろうか。
あんなことを言ってしまったからこそ、千尋は斎藤を信頼したのではないだろうか。
──受肉という望みに、嘘があった訳ではない。
もう一度人間として現代を生き、玄孫の成長を見守るのも悪くはないと、そう思ったのだ。本心からの言葉ではあった。……そんな時はどうせ来ないだろうと考えていたのは、斎藤だけだったらしい。
奇跡などなくとも叶う願いを、奇跡がなければ叶わない願いへと昇華させてしまったのは、その奇跡を巡る争いから遠ざけようとする斎藤自身だったのだ。
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