──頭上から降り注ぐ雨の如き炎を凌ぐ。
“それ”が槍であるのか、矢であるのか。金属か、真に炎であるかさえ、斎藤には分からない。
科学などでは説明が出来ない、神代の遺物だ。アスファルトを泥のように裂いては、夢のように霧散する。
(ここら一帯、焦土にでもする気じゃねぇだろうな!!)
斎藤に対するは、ライダークラスのサーヴァントだ。怪鳥が牽引する戦車を駆り、空中から斎藤を追い詰める。真名は分からない──飛び道具を持たない斎藤にとって、やりづらいことこの上ない相手であった。
自身にとって恵まれた環境が整っているはずだと、斎藤は自覚している。日本に生まれ育ち、新選組の名を聞かないまま育つ人間はほとんどいない。少しでも関心を持ったならば、『斎藤一』の名を知る事が出来る。
最高の知名度補正を、斎藤は受けているはずだった。それでもライダーを圧倒するどころか、防戦一方だ。
事前の懸念を無情にもつきつけられているようだ。神秘の格差、出力の違い。剣の技量ならばいざ知らず、それを発揮できる状況さえ作れないでいる。
マスター殺しを狙い、サーヴァントとの一騎打ちは避ける──そのつもりで動いてはいたが、避けられない戦いに直面してしまったのが今の状況だ。
『マスター! 今すぐここから離れろ、俺もすぐに引く!』
『分かった、魔力を多めに回す!』
無理するな、と念話で返そうとした刹那。ライダーが金の双眸を細めた。
「そこか」
「ッ──!! マスター!!」
斎藤は全速力で駆け、ライダーの標的にされた千尋を庇う。幸い、霊核は砕かれなかったものの、斎藤は深手を負ってしまった。腹部をライダーの武器が貫通している。灼けるようなそれが霞みと化すと、傷口からぼたぼたと鮮血が流れ出した。
「セイ、バー」
「……ッテメェ、ガキを狙うとはイイ性格してんなァ」
千尋が無傷であることに心底安堵しながら、斎藤は千尋を背中に庇い、ライダーと向き合う。
ライダーは斎藤の言葉に感情を動かす事なく、丁寧に指を揃えて千尋を指した。
「彼はマスターなのでしょう。貴方と共に聖杯戦争へ参加している。戦場に立つならば、大人も子どもも関係ありません」
「そりゃご尤も。同じ立場なら僕でもそうするわ」
マスターを討てる状況にあるならば、そちらを狙うのは当然の事。斎藤は込み上げる血を吐き捨てて、ライダーを見上げた。
「私は……心苦しくはあります。しかし、戦いに臨む者への加減こそ、侮辱に当たりましょう」
「はっ、真面目だなアンタ。心苦しいって攻撃じゃなかったがな」
「…………」
すぐ後ろに千尋がいる状態で戦うのは得策ではない。離れた場所へ逃がさなければならないが、ライダーがそれを許してくれるかどうか。……これだけ優位な状況に立っていても尚、“セイバー”である斎藤を警戒し、徹底して近接戦を避けている相手に、望めるはずもない。
(この傷じゃ長くはもたねぇ。ありったけの魔力を貰ったところで……、…………詰みか)
渇いた笑いが零れ落ちた。
「……マスター」
その呼びかけだけで伝わったのだろう。今にも泣き出しそうな千尋は、しかし凛々しい声で告げるのである。
「令呪を以て命ずる! セイバー、宝具を開帳しろ!」
「ああ。──それでこそだ」
パスを通じて、斎藤の全身に魔力が迸る。──浅葱色の羽織が、千尋の眼前で翻った。
「ここに──旗を立てる」
そこに在るは『誠』の一字。
在りし日に、より善い明日を望んだ者達が、心に掲げ続けたもの。その身に背負ったもの。
ライダーは目を見張る。旗の下へと集う、数多のサーヴァント。揃いの羽織を纏い、各々が煌めく意志を瞳の奥に宿している。
「連鎖召喚の宝具とは……」
感嘆の息を漏らすライダー。斎藤の宝具に呼応する様に、彼の魔力が微かに揺れる。
召喚されたうちの一人、白髪を束ねた小柄な隊士が、斎藤を横目に見るとからかうように言う。
「死に体ですね斎藤さん。無敵の剣はどうしたんですか?」
「いつまでそうしてやがる斎藤。さっさと立て、さっさと斬れ」
「斎藤君。君の要望は?」
……こんな状況でなければ、この宝具を使う事はない。しかし、こんな状況でなければ、腹を抱えて笑いたい気分だった。抱える腹には大穴が空いているけれど。──来るのか。応えるのか。俺の声に。
「やるべき事があるんで時間稼ぎと……あのライダーを地面に叩き落としてくれ。後は俺が殺す」
その言葉を合図に、全員が一斉に刀を抜いた。浅葱の中、ただ一人だけ黒い男が叫ぶ。
「──新選組、出るぞ!」
斎藤は片膝をつき、千尋の両肩を掴む。
「逃げろ」
力強く、ただ一言そう告げる斎藤。
その姿は千尋が一度夢で見たものに変わっている。癖の強い髪は肩口まで伸び、肉体までもが若返っているようだった。
「セイバー、」
「お前はお前がしたい様にしていい。逃げてもいい、斎条家に戻ってもいい。好きに生きていいんだ。縛りつけようとする奴は斬れ、その為の無敵の剣だ」
「セイバー」
「お前の心が死なずに、天寿を全う出来るなら、俺に……心残りはない。……、…………いいか。何が何でも生きろ。生きてる奴が勝ちなんだ。生きてさえいれば、逃げた先にも何かが見つかるはずだ」
斎藤は千尋の頭にぽん、と手を乗せ、立ち上がった。
「あなた方の信念、誠意に応えよう。──駆けよアンズー! 我が戦車は貴様らの尽くを蹂躙し! 私は彼の王の道を切り拓かん!!」
ライダーが宝具の真名を開放し、斎藤が召喚した新選組隊士のほとんどが消滅する。辛うじて残った面々も、そう長くは戦えそうにない。
それでも、斎藤は一歩踏み出す。
千尋を連れてこの場から離れるという選択肢もあったが、結局それ程時を待たずして消滅する身の上での敵前逃亡など、とてもじゃないが彼らの前で出来るはずがなかった。……そもそも、そんなことをすれば士道不覚語で切腹だ。
「見せてやるさ、無敵の剣」
遠ざかっていく背中に、千尋は理解した。
──これが最後の稽古だ。
見取り稽古。
斎藤一の無敵流、その全てを網膜に焼き付けんと、千尋は袖で目元を拭い、彼の背中を見据えた。
「形無きが故に無形──」
空中にいたライダーが、不意に遠くを見る。その口が「マスター」と紡いでいたことには気づいたが、斎藤が足を止める理由にはならない。
ライダーの隙を突き、戦車に迫る隊士がいた。
「流れるが故に無限──」
戦車が落ちる。ライダーは即座に武器を持ち替え、最後の隊士が姿を消した。歩み寄る斎藤を、ライダーは睨みつける。……まだ刃が届く距離ではないと、冷静に見極めているに違いない。
「故に我が剣は──」
令呪よ。
千尋は拳を強く握り締め、最後の一画を捧げる。
「敵を討て、セイバー!!」
「──無敵!」
ライダーが気づいた時には、斎藤は懐に潜り込んでいた。令呪による魔力の乗った渾身の一撃が、ライダーの霊基を核ごと斬り裂く。
しかしライダーは倒れることなく、歯を食いしばりながら斎藤の胸を貫き、今度こそ霊核を破壊した。
「…………勝負はつきました。令呪も無い少年を殺す趣味はありません。さようなら。セイバーと、セイバーのマスター」
霊核が破壊されているにも関わらず、ライダーは再び戦車を顕現させ、その場から走り去っていく。「どういう耐久力だよ……」と苦笑し、斎藤は両膝をついた。地に伏さなかったのは最後の意地だ。
「セイバー……」
千尋は消滅寸前の斎藤の傍に行き、刀を固く握り締めている手に触れる。
「負ける勝負は、しない主義……だったんだが。格好つけが過ぎたかな」
「……セイ、バー」
「はは、泣くなよ男だろ。……聖杯なんかに願わなくなって、生きてりゃ奇跡に巡り会えるさ。それに……」
斎藤の手から力が抜け、地面に二振りの刀が転がる。
斎藤は声を上げることもなく、静かに息を詰まらせながら涙を流す千尋の目元を拭った。そして額を合わせる。
「俺の魂はここに置いていく。お前の傍にいると、誓いを立てたからな。武士として違える訳にはいかない」
大丈夫だ、と言い聞かせる斎藤の声色は、ひどく温かい。
置いて逝かないで、一人にしないで、ようやく取り戻した──この世界で唯一の家族のようだと、感じていたのに。
伝えていなかったこと、言いたかったことが、心の中で堰を切ったように溢れ出しては止まらない。全部声に出して、言葉にしたいと思うのに、千尋の口は何も紡いではくれなかった。
「千尋、元気でな。お前の顔が見られて良かった」
「……ッ、……セイバー、セイバー……! 大好きだよ、もっと……一緒にいたい……! セイバーと一緒に、……一緒、に……」
微かに感じられていた熱すら消え、初めからそこには誰もいなかったかのように、サーヴァント・斎藤一は退去した。
千尋の手の甲には何も無い。戦争に参加しておいて傷一つ負っていない事実だけが、斎藤の存在を証明していた。
「……セイバー」
──その日、ひとりの少年が行方を眩ました。
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