一期一会

 ふと、足を止める。見上げる程大きな窓から見えるのは、いつも通りの吹雪だ。
 千尋がこの施設へやって来て、晴れた空を見る事ができたのは、数えられる程だった。

 ──南極、標高6000mの雪山に潜む、人理継続保障機関フィニス・カルデア。所長であるマリスビリー・アニムスフィアにスカウトされる形で、技術スタッフとしてやって来たのが、約三年前の事。


 2004年の冬木市で行われた聖杯戦争で敗退した千尋。サーヴァントを失い、令呪も使い切り、命だけが残っていた。あの戦争で優勝したのがマリスビリーだと知ったのは、そこから三年後のことだ。
 斎条家から逃れる為、日本を飛び出していた千尋の前に現れたマリスビリー。まるで接点の無い人間が己の存在を知っていることに関しては、その時の千尋にとってはさほど珍しいことではなかった。気品を感じさせる微笑みで、マリスビリーは「聖杯戦争では君達が優勝したことにした」と、世間話でもする様に言ったのである。

 マリスビリーは魔術協会の総本山・時計塔の君主ロードの一人である。巨万の富を求めて聖杯戦争に参加し、順当に優勝した。しかしその事実を他の君主ロードに知られたくはない。故に、最優と称されるセイバー及び、そのマスターが優勝したと、偽の情報を流していた。

 ……千尋は頭を抱えた。その場でマリスビリーの胸倉を掴んで殴らなかっただけ褒めて欲しいと、心底そう思った。
 聖杯戦争に参加し、行方を眩ませれば、斎条家の人間は自分が戦争で死んだものと思うだろうと考えていたのだ。血眼になって死体を探すくらいはするだろうが、であれば国外へ逃げてしまえば問題ないだろうと。
 しかし、斎条家の追手は国外まで及んでいた。……自由を得る為に、千尋は武器を手に取った。

 何故、と思い続けていたが、聖杯戦争で優勝したのに戻って来ないとなれば、そりゃあ追う。魔術刻印と聖杯を持ち逃げしたと思われたに違いない。

 ──息が詰まるような三年間の謎が、ようやく解けた。
 もちろん、悪い事ばかりではなかったし、旅行と言えるほど楽しめなくとも、世界を見ることはできた。良い出会いだってあったと、千尋は胸を張って宣言できはするけれど。

 マリスビリーが吐いた嘘のように、優勝できていたらどれだけ良かったことだろう。……今もセイバーと共にいられたなら。

 そんな千尋の胸中を見透かしたように、マリスビリーは言った。

「君のセイバーにもう一度会わせてあげよう」

 あまりにも馬鹿げた甘言だ。
 聖杯戦争という特殊状況下においてこそ、叶った出会いだった。それをもう一度、などと。

 マリスビリーはしかし、至極真っ当に、千尋に語り聞かせた。アニムスフィアの悲願、人理の保障、その為の研究──聖杯を必要としない英霊召喚システムを確立させようとしていると。

「君がこの三年で培った知識と技量は評価に値する。斎条家の魔術刻印も、ね」

 自分の様な人間が必要であるとは、千尋には到底思えなかった。しかしマリスビリーにどのような思惑があろうと、もう一度『セイバー』に会えるのなら。

 ──千尋は希望を見出し、マリスビリーの手を取った。


 マリスビリーから“守護英霊召喚システム・フェイト”の動作確認をすると伝えられたのは、昨日の事だ。彼は律儀にも「約束を果たそう」と、そう言っていた。

 定刻通りに召喚部屋へ迎えば、マリスビリーと幾人かのスタッフが既に揃っていた。

「触媒は?」
「必要ない」
「……そうか。では、守護英霊召喚システム・フェイトの稼働実験を行おう。成功すれば、召喚例第二号となる」

 触媒は必要ない。
 何故なら、己こそが『セイバー』を呼び寄せた縁であると、千尋は知っていた。

 聖杯戦争から六年。今こそ、今度こそ、セイバーと。

「──素に銀と鉄、礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国へ至る三叉路は循環せよ。……」





 ハァ、と息をつき、ついにロマニは痺れを切らした。

「千尋、そこはボクのベッドだ。寝るなら自分の部屋へ戻ってくれないか?」
「……寝てねぇ……」
「知ってるよ。もう……突然来たかと思えば、何も言わずに人のベッドを占領するんだから」

 呆れたように言うロマニは、椅子ごとくるりと回って千尋の方を見た。頬杖をつき、面倒臭そうに「何があったんだい?」と問う。
 千尋は突っ伏したまま何事か喋るが、声が籠っていて何を言っているのかさっぱり分からない。

「え? なんて?」
「……罪悪感に苛まれてるとこ!」

 いっそ魂が抜けそうなほどの溜息と共に、千尋は寝返りを打って仰向けになる。無機質な天井を見上げ、ぽつりと呟いた。

「やっぱ一度きりの奇跡をもう一度望むとか、無謀だったかなぁ」

 ロマニは千尋から顔を背け、瞼の裏に記憶を映し出す。

 ──あれは五年以上前、紅葉が美しい時期だった。京都の街中で、ロマニと千尋は出会った。
 いま思えば、当時逃亡生活中だった千尋が、道に迷って困り果てていたロマニに声をかけたのは、生来の優しさの発現なのだろう。
 彼は常に命を脅かされていて、周囲にいる誰もが敵のようなものだった。いつ、斎条家から襲撃されるか分からない。どこに、千尋の居場所を漏らすような者がいるか分からない。誰が、味方で敵で、そのどちらでもないのかすら分からないのだ。

 それでも千尋は、“困っていそうだったから”という理由で、ロマニに手を差し伸べた。

 一度は日本を出た千尋が帰国していたのは、斎条家の動向を探る為だ。まさかこの短期間で日本に戻っているなど思うまいと、“灯台下暗し”を狙って。実際、この作戦は成功したと言える。
 そしてもう一つ、知りたい事があったのだ。

 ロマニの道案内をする中で、何気ない会話をしていた千尋は自身が京都に来ていた目的を明かした。──「斎藤一の事が知りたい」と。
 新選組についての知識は差程なかったロマニだが、籍を置いている大学の教授に、新選組他幕末志士についてを趣味で研究している人物がいるのを思い出した。
 おいしい和菓子と道案内の礼だと、ロマニはその教授と千尋の仲介役を買って出る。

 思わぬところで得た縁に、千尋は浮き足立つようだった。
 後日、ロマニと共に教授の元へ向かい、見せてもらった資料は斎藤一の家系図だ。

 ずっと引っかかっていた。
 何故、斎藤一が召喚されたのだろうと。

 自分が父から教わった型が、斎藤のそれと酷似していたのは?
 斎藤が自分のことを“おじいちゃん”などと自称していたのは?
 あれ程……隣にいて心地好いと感じたのは?

 自慢げにうんちくを語り聞かす教授の声など、聞こえてはいなかった。斎藤一の家系図──子孫の方は、孫の代までで途切れている。しかし千尋が事前に入手していた曾祖父まで判明している家系図と、一致していたのだ。

 だからか、と千尋は真実を手にした。
 触媒は自分の中に流れる血。斎藤一は、自分の高祖父にあたる人だった。

 ──そうだったんだ、という独り言と共に千尋が流した涙。「セイバー」と呼ぶ声。
 その時、同じ空間にいたロマニは、未だ鮮明に思い出せる。


「召喚自体は成功した?」
「……ああ。凄い人が応じてくれたよ。千子村正、村正派の初代刀工だ」

 千尋は腰を軽く叩く。

「俺が持ってた刀、村正さんが打ったやつなんだと」

 守護英霊召喚システム・フェイトによる召喚は見事に成功した。
 千尋は自分の血こそが触媒なのだから、きっともう一度、彼を召喚出来ると信じていた。

 実際に現界を果たしたのは、赤茶の髪を持つ青年。真名を『千子村正』と語り、千尋がいつの頃からか腰に佩くようになった刀をひと目見て、「オレの刀だ」と言った。

「使いやすい訳だよなー。今まで何振りか持ったことはあるけど、俺が好き勝手振り回しても何の支障もなくて…………」

 めちゃくちゃな使い方しやがったな、と村正に少し怒られはしたと、千尋は笑う。

「召喚したかったセイバー……斎藤一はキミの肉親なんだろう? 聖杯戦争の時のように召喚できなかったから、落ち込んでいたワケか」
「…………まぁ、多少はそれもあるけど。何って……村正さんに申し訳なくて、さ」

 村正を召喚した時の自分は、落胆を顔に出してはいなかったろうか。
 聖杯戦争の時は、斎条の人間が用意した触媒を無視して召喚された癖に、今回はどうして来てくれなかったのかという憤りは、伝わりはしなかったろうか。

 村正にも、斎藤にも、非は無い。
 千尋だけが勝手に期待をして、勝手に拗ねているに過ぎない。

「村正さん、今は俺の脇差を打ってくれてんの。元々持ってた脇差は村正派のヤツじゃないらしいんだけど、なんか……ぼろぼろで見てらんないって」
「へぇー、それは良かっ……え? 打つって、刀を? カルデアここで?」
「〔陣地作成〕スキルあるらしい、村正さん」
「ああ。キャスタークラスなのか」
「いやセイバー」
「えぇー……?」

 千尋は体を起こし、ベッドから足を下ろす。

「はぁー……そんな訳で、村正さんへの申し訳なさと、おじいちゃんに会えない寂しさに苛まれている千尋くんなのでした」
「…………」
「……あの時聖杯が手に入ってれば、今もセイバーといられたかな」

 ぽつり、と呟いたそれは、紛れもない千尋の本心だ。六年前に芽生え、その時から変わらない、弱くて脆くて柔らかい部分。
 無意識下であろうとなかろうと、それを何気なく晒すという行為が何を意味しているか。もちろん、分からないロマニではなかった。
 知らぬ間に引き結んだ唇を緩め、短いながらもできるだけ深く、息を吸う。

「キミの行動原理を否定するワケじゃないけど……サーヴァントは所詮、過去を生きた人間だ。あまり死人に肩入れするのはよくない」
「……言うじゃねーか」

 はあ、と千尋は溜息をひとつ。
 そして“たられば”を考えても仕方がないと、千尋は頭を振って立ち上がる。

「……そうだな! 俺の望みが叶ってたら、ロマニと会えないのも惜しい」
「え。…………あ、あぁ、そうだね! うん、そうだよ」
「いつまでも凹んでちゃ、それこそセイバーに合わせる顔がないしな。珍しく世話かけた、ロマン」

 ひらりと手を振って、千尋は部屋を出て行く。ロマニは椅子に脱力した体を預け、長く息をついた。

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