──2012年がもうすぐ終わろうという頃。
人理継続保障機関フィニス・カルデア所長、マリスビリー・アニムスフィアが急逝。
アニムスフィアの家督、カルデアの所有権、そして所長の席は、マリスビリーの一人娘であるオルガマリー・アースミレイト・アニムスフィアが継ぐこととなった。
2013年、オルガマリーが正式にカルデアの所長として在籍するようになり──一ヶ月。
千尋は苦々しい表情を浮かべ、医務室でロマニと対面していた。
「ここ最近、ずっと管制室に詰めているそうじゃないか。ボクと顔を合わせるのも何日ぶりだい?」
「……どうだったかな」
「はぁ……まったく。レオナルドがキミを寄こさなきゃ、部屋にお見舞いに行くところだったぞ」
目元を擦り、眉間を揉む千尋の目の下にはしっかりと隈が刻まれてしまっている。覇気のない返事からも、寝不足であることは明白だ。カルデアの医療部門を預かる者として、ロマニがこの不調を見逃すことはできない。
そして、ロマニ以上に千尋の生活に目を光らせている人物がカルデアには存在する。千尋のサーヴァントである村正だ。
召喚例第四号ことレオナルド・ダ・ヴィンチに半ば無理矢理医務室へ送り込まれた千尋だが、ダ・ヴィンチの行動があと数時間遅ければ、村正に意識を落とされ、自室でこんこんと眠りについていたことだろう。マスターの適切な休息の為とあらば、村正は乱暴な手段に出ることも全く辞さない。
「万が一キミが倒れでもしたら、困るのは他のスタッフ達だ。村正を呼ばれたくなかったら、今すぐ仮眠を取ること」
「村正を引き合いに出すなよ……。あぁ、もう……まだ仕事が残ってるってのに」
「その辺りはレオナルドが上手いことやってくれるさ」
顔を顰める千尋は、マスターとサーヴァントという関係性ながら、村正に強く出られない。それだけ世話をかけている自覚があり、村正が自分の身を案じて気遣ってくれているのだと知っているからだ。
ロマニかダ・ヴィンチのどちらかが村正を呼ぼうものなら、隈が消えるまで部屋に軟禁されることだろう。休ませるという名目といえど、さすがにそれは避けたい。
「徹夜してる訳じゃねぇぞ。活動時間の方が長いだけで……」
「ハイハイ。働き者で結構」
ロマニに促され、千尋は渋々医務室のベッドに横になる。間仕切り用カーテンを閉め、ぼうっと天井を見つめた。
「……マリーはキミをどうしたいんだろうね」
カーテン越しに、ロマニが呟く。千尋は瞼を下ろし、電灯の眩しさから逃れるようにハンドタオルを目元に置く。
「怖いんだろ。まあ、当然の反応だと思うよ」
千尋が寝る間もないほど忙殺されているのは、所長となったオルガマリーから大量の仕事を割り振られているからだ。どれも技術スタッフとして熟さなければならない仕事ではあるが、千尋一人でやるべき事ではない。
周りのスタッフもそれを察し、仕事を手伝おうと申し出るのだが、千尋はいつも丁重に断っていた。他の誰かに任せたところで、自分かスタッフの誰かが、オルガマリーからの叱責を受けることになると分かっていたからだ。
仕事がそれだけ多ければ、自然と鍛錬の時間は取れなくなる。千尋が刀を持ち歩くこともない。……オルガマリーが望んだ通りの結果だ。
「そのうち落ち着くよ。今は慣れない環境で戸惑ってるだけで……。父親が死んだんだ、誰かに八つ当たりでもしなきゃやってられないんじゃねぇの」
「八つ当たりの対象になることに文句はないのかい?」
「あー……いや、別に……」
波のように訪れる眠気に身を任せ、千尋は意識を手放していく。完全に意識が落ちる直前、「一時間……」とだけロマニに告げた。きちんと伝わっていたかどうか、千尋には分からない。
◆
「わたしはあの子に惨たらしく殺されるのよ!」
そんな悲鳴にも似た叫びが、千尋を目覚めさせた。ビクリと体を震わせ、何事かとカーテンの向こう側に聞き耳を立てる。
「……どうして」
「だってそうでしょ!? あんな実験……恨んで当然だわ!」
オルガマリーの声だった。“実験”という単語から、マシュのことを話しているのだろうと分かる。
「お父様がいないなら……
娘を殺すしかないじゃない!!」
「…………。マシュはそんなことしないよ」
「──っ、保証なんかできないくせに!」
マシュがしないなら、とオルガマリーは続ける。
「千尋がそうするわよ! アイツだって、あの子のことを放っておかない……! 武器を持って、サーヴァントまでいて、……黙ってるわけない! お父様じゃない、わたしのことなんて、簡単に…………」
「……彼もそんなことしないよ。彼は……」
椅子が倒れる音の後、足音が遠ざかっていく。千尋が間仕切りのカーテンを開けると、ロマニは困った様に眉を下げた。
「あぁ、おはよう……よく眠れた? まだ一時間経っていないけど……」
「まあ。……信用があるんだかないんだかな」
マリスビリーは実の娘にすら、デミ・サーヴァント実験のことを隠していたらしい。父の跡を継いで所長となり、オルガマリーは初めて父の所業を知った。
マシュはマリスビリー、ないし、アニムスフィアである自分を恨んでいるに違いない。
彼女が許しても、彼女を想う人間が自分を許さない。このカルデアにおいて、自分を断罪するとしたら千尋であると、オルガマリーは考えているようだった。
「マシュに関しては時間が解決するだろ」
「千尋のことは?」
「俺は──……さぁ、どうかな。杞憂だったと思えるほど無垢じゃないから。正義感を見せても、そうしなくても、オルガはいつか俺に斬られると思い続けるだろうよ」
大きな欠伸をひとつ。左右に首を傾けると、ぽきぽきと音が鳴った。すかさずロマニが「あ! それよくないぞ」と眉を顰める。
「誤解されたままでも構わないのかい?」
「あぁ。別に今だって、無駄な仕事を押し付けられてるワケじゃないしな。俺が積極的に動いたら、それこそ怯えるだろ、今のオルガは。彼女一人にビビられてたって、支障がないなら気にしねぇよ。…………あ、いや」
「?」
「……クビにされたらさすがに、うーん……困らないか?」
思えば、千尋がカルデアで働き始めてから既に五年以上が経過している。マリスビリーの口車に乗せられる形で、遠い南極の地までやって来た訳だが、存外悪いものではないなと感じていた。……依然として魔術師の思考回路は嫌いと断言できるし、カルデア職員の中にも反吐が出る非人間的思想を持つ者はいるが、それでも。
とはいえ、いざお役御免となって放り出されたとしても、生きていけるだろうという自信はあった。
「英霊召喚も終えて、マリスビリーもいなくなった。考えてみれば、キミがカルデアにいる理由はもう無いな。……前、自由になりたくて聖杯戦争に参加したと言っていなかったかい?」
「そうだな。うん、確かに。……つっても、別に今を不自由だとは思ってない」
“
魔術師共の巣窟なんて、いつでも出て行ってやる”という考えを、捨てたことはない。誘導こそされたかもしれないが、誰からも強制はされていないと千尋は断言できる。
二度目の英霊召喚を求めてカルデアに来たのも自分の意志。技術スタッフとして働き続けているのも自分の意志だ。
「それに、俺がいなくなったら泣いちゃうだろ」
「? 誰が?」
「ロマニ・アーキマン君が」
「は……はぁ!? 誰が! いなくなって! 泣くって!?」
「ハハハ! その動揺っぷりは図星の証拠だな!」
「間違った事実をきちんと否定しようとしているだけだ!」
「照れるな照れるな」
「照れてない!」
からからと笑う千尋に、ムキになって噛みつくロマニ。
語彙の限りを尽くして反論するも、ロマニが何を言っても千尋は楽しそうに笑い続けるものだから、そのうちにこのくだらない言い合いがおかしくなり、ロマニも肩を震わせて笑った。
つかの間の医務室に、男二人の笑い声が響く。
◆
仮眠をとり、少しばかり顔色が良くなった千尋が管制室に戻ると、他のスタッフが安心したようにほっと息をついて出迎えた。
「席空けて悪かった」
「いえ、こっちは大丈夫です。千尋さんこそ、もう少し休んだ方がいいんじゃ……」
「そうもいかないよ。やる事山積みだから」
千尋が休憩をしていた間にまとめたらしい資料を持ってきたスタッフのひとりが、「最近……」と千尋の様子を窺いながら口を開く。
「シミュレーター、使ってないですよね。いつも手ぶらだし……」
「んー、まあなぁ」
「千尋さんが戦ってるところ見るの、好きだったんですけど……、……所長が変わってから……」
「いやいや、別にオルガマリー所長が悪い訳じゃない」
受け取った資料を確認しつつ、千尋は言った。
「マリスビリー所長が寛容だっただけさ」
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