中央管制室に、オルガマリーの鋭い声が響く。
「千尋! 千尋はどこ? 早く来なさい!」
「ここですよ。どうしました?」
所長である自分の声を聞いても、慌てることなくのんびりと姿を見せた千尋に眉を吊り上げつつ、オルガマリーはタブレットを見せながら指示を出す。はい、はい、と内容を把握しながら従順に頷く千尋に、話が終わると同時に人差し指を突き付けた。
「ここまでの作業が終わったら、この場から離れてちょうだい。後はレフが引き継ぐから」
「さすがにそれは……、……あーいや、了解しました。所長」
……──空き部屋のベッドに寝転ぶ千尋は、そんなオルガマリーとのやり取りを回想する。
「嫌われたモンだよなぁ」
特にこれと言って文句も言わず従ってきたつもりなのに、と口を尖らせながら、細長い棒状のチョコレート菓子を摘まむ。
中央管制室の状況は念の為タブレットで確認しているが、スタッフ達は千尋の指示した通りに動き、これと言った問題は起きていないようだった。
技術部門のトップとして、スタッフ達の優秀さを誇らしく思うべきか、今日という重要な日に外されたことを嘆くべきか。
──人類史は2016年を以て途絶える。
100年先の未来を保障するカルデアスからは文明の灯火が消え、その異常事態が真実であると示した。カルデアが過去2000年までの情報を洗い出した結果、発見されたのが空間特異点・F。
西暦2004年、日本のとある地方都市に、2015年までの歴史に存在しなかった異物、観測できない領域が発見された。
カルデアはこれを未来消失及び人類滅亡の原因と仮定。レイシフト実験を国連に提案、承認された。
そして、いよいよもってレイシフト実験が実証に移されるという時に、千尋は追い出されたのだ。
幾度目かの溜息が、誰かの物と重なった。
「はぁー、やれやれ……」
「入ってまーす」
「え……!? って何だぁ、千尋か」
ノックもなしに無断で部屋に入って来たのはロマニだ。溜息に返事をする者はいないと思っていたのだろう、驚いて一瞬体を硬直させるも、声の主が千尋だと分かると、遠慮もなしに「ちょっと邪魔だよ」と言いながらベッドに腰かけた。
千尋は頬杖をつき、小袋から出したチョコレート菓子の先端をぷらぷらと揺らしながらロマニに向ける。
「こんな所でサボってていいのかよ、ドクター・ロマン?」
「キミの方こそ、仕事はほったらかしかい?」
チョコレート菓子を口に咥え、「ハハッ」とどこか諦めを感じさせる笑いを零す千尋。
「なんて言われて追い出された?」
「“現場にいると空気が緩むから”だって。千尋は?」
「“後はレフが引き継ぐから”」
「ははは、所長に嫌われちゃってるな、お互いに。……一応、これでも全速力なんだけどなぁ」
そう言って眉を下げ、どこか遠くを見るロマニの背を、千尋は何回か叩く。
「お前の全速力に見えない所は長所だ、安心しろ」
「今、ボクのこと褒めた? けなした? どっち?」
「褒めてんだろうが、素直に受け取れよ」
「そりゃどうも。……ま、こんなこともあろうかと、休憩用の特別なお菓子を用意してるんだけどね」
紅茶も用意すればよかった、と言うロマニの手には小さな皿。その上には艶やかで真っ赤なイチゴが目を引くショートケーキが乗っている。「……サボる気しかなかったろ?」という千尋の指摘など、生クリームの前には無意味だ。ふわふわのスポンジ、とろける生クリーム、決して甘さ一辺倒ではなく、イチゴの酸味がアクセントとなり、ひと口食べれば舌の上に広がるのは最高のマリアージュだ。
頬を緩ませ、幸せそうな表情を浮かべるロマニに、千尋は呆れたような息をつく。
「おい、ちょっと生クリームくれよ」
「えぇ? いいけど……あっ! 取り過ぎだぞ!」
チョコレート菓子で直接生クリームを掬い、白く染まった部分を食べる。イチゴと違い酸味はないが、チョコレートのほのかな苦みが、深みへと変わるようだ。
「チョコと生クリームも合うよな。うまい」
「いいなぁ。ボクもやりたい」
「ん」
小袋を差し出せば、意気揚々と手を伸ばすロマニ。千尋の真似をし、生クリームを付けたチョコレート菓子を頬張ると「ラスいちだったけどいいの?」と首を傾げた。
「あっ? 言えよ、食べる前に。別にいいけど」
「うんうん、こういうのもいいなぁ。ケーキを食べながらお菓子の袋を開けるなんてこと、普段はやらないし」
「…………」
千尋は、ロマニがケーキを食べ始める前に、皿の端にどかした真っ赤なイチゴに目を付ける。少し生クリームが付いていておいしそうだな。よし、食ってやろう。──気づかれる前に、こっそり手を伸ばす。
「失礼しまーす」
「はーい、入ってまー──」
二人は、目を皿のようにして、突然開いた扉を見た。そこには橙色の髪をした少女が、同じく目を真ん丸にして立っている。
「って、うぇええええええ!? 誰だキミは!? ここは空き部屋だぞ、ボクのさぼり場だぞ!? 誰のことわりがあって入ってくるんだい!?」
片や我が物顔でベッドの上に胡坐をかいて座る体格の良い黒髪の男、片やフォークを突き付けながら驚くどこか緩い雰囲気の男。
少女は半歩退り、廊下にはもう誰もいなくなってしまっていることを確認すると、「えーと……」と戸惑いがちに言う。
「ここが部屋だと案内されたんですけど……」
「キミの部屋? ここが?」
ロマニと千尋は顔を見合わせると、揃って溜息をつく。
「あー……そっか、ついに最後の子が来ちゃったかぁ……。って、うおぉ!?」
「真面目に確認してなかったが、そういえば48番は女の子だったな。ほら、ロマンどいたどいた」
ベッドに腰かけるロマニを突き飛ばし、自身もベッドから下りる千尋。枕やシーツを整え、適当に浄化魔術をかけると、簡素な椅子を引っ張り出して再度腰を落ち着けた。「もし何か気になるなら洗濯に出してくれ」と言い、少女を迎え入れる。きょとりと一連の行動を見ていた少女は「ありがとうございます……?」と首を傾げた。
「オホン。予期せぬ出会いだったけど、改めて自己紹介をしよう」
そう口を開いたロマニに、少女は不思議そうな目を向ける。
「ボクは医療部門のトップ、ロマニ・アーキマン。なぜかみんなからDr.ロマンと略されていてね。理由は分からないけど言いやすいし、キミも遠慮なくロマンと呼んでくれていいとも」
「なぜか? 自称だろ? 浪漫なんてキザったらしい。まあ確かに響きはいいし、呼びやすくもあるけどな」
得意げに語ってみせた自らの愛称について即座に暴露され、ロマニは顔を赤くして小さく震えた。千尋は、ロマニから睨まれていることに気づいていたが気にはせず、少女に笑いかける。
「俺は藤田千尋。同じ日本人としてよろしくな。カルデアでは技術部門を任されてるけど、まあ、気負うことはないよ」
「ドクターと、藤田さんですね! はじめまして、藤丸立香です!」
「うん、はじめまして。今後ともよろしく」
互いに笑みを浮かべ、握手を交わす。
千尋はロマニの隙を突き、こっそりと素早い動きで皿に乗った魅惑のイチゴを掠め取った。藤丸だけが千尋の犯行に気づいていたが、指摘した方がいいのか迷っている内に、ロマニが話し始める。
「キミはどうしてここに? 今はレイシフトへ向けてのブリーフィングが行われているはずだけど……」
「え? えーっと、実は……」
藤丸は、ブリーフィングに参加して早々、最前列の席で居眠りをしてしまったことを白状した。カルデアに来てすぐに行った量子ダイブの影響で頭がぼんやりしていたことも付け加えながら、二人の様子を窺う。……ロマニも千尋も、藤丸が居眠りをしたことに関して怒るどころか、快活に笑い飛ばしてみせた。
「そうか、それは災難だったな。……フフ、ここに集まった俺達は言うなれば叱られ同盟か」
「そうだね。何を隠そう、ボクと千尋も所長に叱られて待機中だったんだ。やるコトがないわけではなかったんだけど……」
「所長に嫌われてるからな。ま、他のスタッフより先に休憩をもらったってだけだ」
「……緩いですね?」
所長の言動からも、カルデア全体の雰囲気からも、何となく厳格そうであると感じていただけに、藤丸は意外そうに目を瞬かせる。
「やる事はちゃんとやってるよ? 時間になったり、呼び出されたらすぐに向かうし。メリハリってのが大事なんだ。気楽にー、な?」
「多分そういうところが原因で追い出されたんだよな、千尋は」
「ははは」
軽快な会話を繰り広げる二人に、藤丸は肩の力を抜いた。
……所在ない者同士──所長に追い出された同盟の三人は、世間話に花を咲かせる。
来たばかりで右も左も分からない藤丸にカルデアの説明をしていると、不意にロマニが腕に付けていた通信端末が着信を知らせた。発信者は管制室にいるレフ・ライノールだ。
《ロマニ、あと少しでレイシフト開始だ。万が一に備えてこちらに来てくれないか? Aチームの状態は万全だが、Bチーム以下、慣れていない者に若干の変調が見られる。これは不安からくるものだろうな。コフィンの中はコクピット同然だから》
「やあレフ。それは気の毒だ。ちょっと麻酔をかけに行こうか」
《ああ、それと、千尋の居場所を知っていたらついでに連れて来て欲しい。こちらからも連絡はするが》
「千尋ならボクと一緒にいるよ。分かった、今から向かうよ」
《それは僥倖だ。いま医務室だろ? そこからなら二分で到着できる筈だ。急いでくれ》
通信が切れると、藤丸は「ここ、医務室じゃないですよね?」と苦笑いを浮かべて問いかける。
「……あわわ……それは言わないでほしい……。ここからじゃどうあっても五分はかかるぞ……。それにケーキも食べかけ──」
そこでようやく、ロマニはケーキに起きている決定的な異変に気がついた。鮮烈で魅惑的で悪魔的且つ天才的な、イチゴが跡形もなく消えている。
「ボ、ボクのイチゴがない!? 最後に食べようと思ってたのに!」
愕然としたロマニは、すぐに顔を千尋の方へ向けた。悪びれもせず、素知らぬ顔で口端を僅かに持ち上げている。
「おまえー! おまえ! おまえーっ!! こんな所業が許されていいのか!? いや、断じてよくない!!」
「うまかったぜ」
「そりゃあそうだろうとも! クソぅ、この人でなし! ショートケーキのイチゴだけをつまみ食いだなんて、人の心がないのか!?」
ロマニが千尋の胸倉を掴んだ瞬間、室内は暗闇に包まれた。──直後、離れた場所から聞こえる爆発音、次いで緊急アラートがけたたましく響く。
《緊急事態発生。緊急事態発生。中央発電所、及び中央管制室で火災が発生しました。中央区画の隔壁は90秒後に閉鎖されます。職員は速やかに第二ゲートから退避してください。繰り返します。中央発電所、及び中央──》
非常電源に移行したのか、部屋には辛うじて灯りが戻る。開いたモニターに映るのは、無惨に崩壊し、真っ赤な炎に包まれる中央管制室だ。
「……オルガマリー、」
「あっ、待つんだ千尋……ああもう! っ立香ちゃん、すぐに避難してくれ。ボクたちは管制室に行く。もうじき隔壁が閉鎖するからね。その前にキミだけでも外に出るんだ!」
ロマニは早口に告げると、管制室に向かって部屋を飛び出して行った千尋を追って廊下を駆ける。すぐ近くの角を曲がった先に、既に千尋の姿が無いことに気がつくと、魔術による身体強化をしたのだと察し、表情をやや険しいものにした。
一方、千尋はひと足先に管制室まで辿り着いていた。尋常でない熱が頬を撫で、あらゆるものが焼け付く匂いが鼻腔を刺した。「こいつァ……」と顔を顰めたのは、道中合流した村正だ。
「オルガマリー! いたら返事をしろ! 生存者はいねぇのか!?」
千尋の声は惨状と化した管制室に虚しく響き、返事をするのは燃え燻っている炎だけだ。
(断言できる……レイシフト実験でこんな事故は起きようがない。誰かが仕組んだ──いつ? 何の為に? どうやって……?)
技術部門のトップとして、千尋は管制室の設備を全て把握している。それ故にこんな事故は起こり得ないと確信し、人為的なものであると気づいてしまった。
己に気づかれることなく爆弾を仕掛けられる人物。管制室への出入りが自由な者。コフィンやカルデアスについての知識がある人間。
(……まさか……)
冷や汗が首筋を伝う。村正に「マスター!」と呼びかけられ、振り向くと、ロマニと藤丸が追いついていた。
「…………生存者はいない。無事なのはカルデアスだけだ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる千尋。無情な現実に追い打ちをかけるかのように、アナウンスが無機質な声を発する。
《動力部の停止を確認。発電量が不足しています。予備電源への切り替えに異常が、が、あります。職員は、手動で、切り替えてください。隔壁閉鎖まで、あと、40秒、中央区画に残っている職員は速やかに──》
アナウンスを聞いた瞬間、千尋は踵を返す。向かう先は地下の発電所だ。ロマニも藤丸に「急いで来た道を戻るんだ」と告げ、管制室を出て行く。
ひとり、残された藤丸は────。
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