欲と愛

あの子は群を抜いて可愛い顔立ちだとか、目を引くほどスタイルが良いだとか。そういう理想像のような見た目をしているわけではない。
けれども、笑った時に出来る右えくぼとか、あのまんまるな黒い瞳で見つめるその顔は、男を惹き付けるには十分すぎるものであった。

今日も彼女は、出水と米屋の三人で仲良く話をしているようだった。あの二人なら問題ないだろう。隣に居る水上は気を利かせて、隠岐に一声掛ける。

「あの子って隠岐の彼女やろ? ええんか? 他の男、しかも二人と仲良さそうに喋っとるけど」
「先輩なら怒りますけど、あの二人なら大丈夫ですわ」
「何で俺は怒られなアカンねん」

声を掛けに行こうか悩んだが、楽しそうに話をする彼らの水を差すわけにもいかない。後で何を話していたのか聞けばいい話である。

連絡がないっちゅうことは、今日はご飯は行かへんのやろな。
おれの用事が終わったあとに今日は、俺に付き合ってもらおかな。

自分が彼女と知り合うより前の交友関係を制限するつもりはない。だが隠岐自身は、彼女以外の交友関係はどうでもいいと思っているのはここだけの話である。



折角彼女との時間を作ろうと思っていたのに、予想よりも予定が長引いてしまった。ボーダーに所属している以上、イレギュラーなことが起きるのは日常茶飯事である。仕方ないと分かっていても、年頃の男の子である隠岐もそれなりにショックは受けるものだ。
彼女に何処にいるのか連絡をしても、珍しく既読が付かない。
今日はあまり話せていないから、話したいこともあるというのに。それに、さっき二人と何を話していたのかも気になるところだ。

長い廊下。他人の話し声が響いてくる。これは彼女の声だ。
隠岐は足早に声のする方へと向かっていく。

彼女の後ろ姿を捉え、名前を口にしようとする。しかし、彼女の視線の先には彼の知らない隊員が立っていた。どうやら連絡がつかなかったのは、この所為のようである。

「暇? じゃあこのあと飯でも行かね? お腹空いちゃってさぁ」

俺の知らない男と居られるのは、流石に腹が立つなぁ。
ボーダーで隠してるわけやないのに、なんであの子にはたまにこういう奴が寄ってくるんやろうか。

駄目や、可愛い可愛いあの子は俺のや。

「たった今暇じゃなくなったわ。すまんなぁ、他をあたってもらってもええか?」

隠岐は被っていたサンバイザーを彼女に被せる。視界を隠して、自身の汚い感情も一緒に隠す。
目の前の男は隠岐の笑顔に圧を感じたのか、引き攣った笑いを見せて早々にその場から離れて行った。奪う度胸もないくせに、一丁前に手だけは出そうとしてくるのが癪に障る。

「隠岐くん」
「暇ならおれを呼んでくれてええのに」
「隠岐くん、何だかいつも忙しそうだから……ごめんね」
「アンタが謝ることないねん。ほな、暇ならちょっとこっち来て」

隠岐のサンバイザーをちいさな手で握りしめて、こちらを見上げる。無意識に見せられる上目遣いに、彼は弱いのであった。



生駒隊ではないのに、この隊室にいる彼女を見るのはもう見慣れてしまった。彼女にこっちに座ってと促せば、ちょこんと素直に腰をかける。何も知らないような従順なところも、彼女の良いところではあるが悪いところでもあるのだ。
ソファに押し倒せば、驚いた顔を見せる彼女。赤くなっていくその顔を見るのが、彼はとてもお気に入りだった。

「自分、おれがどれだけ自分のこと好きか分かってなさそうやな?」
「ど、どういう事……隠岐くん」
「そのまんまの意味やで? 本当ならこのまま縛りつけてもええんやで。さすがに俺もそんなことはしとぉないねん」

頬に触れれば、彼女は反射的に目を瞑った。怒られる、とでも思ったのか少しだけ肩に力が入っている。嗚呼、可愛くて仕方がない。

彼は、そのまま彼女へ近づき触れるだけのキスを落とした。彼女はまさかキスをされるとは思っていなかったのか、唇が離れるとさっと口元を手で覆い、林檎のように顔が赤く染った。
視線を逸らし、恥ずかしさを紛らわしているが耳まで赤くなったことに気付いたのか、ゆっくりと顔全体を手で覆い始める。その可愛い顔が見たい。
彼女の手首を掴んで、退けようとすると案外簡単に彼女の表情が顕になった。

少し期待を含んだ目、羞恥で震える唇。この顔は、この感情を見せていいのは。

「……この顔はおれだけのもんや」

彼は親指で彼女の唇を撫でる。少しばかり期待しているその目は、恐らく無自覚なのだろう。
彼は下半身に力が入るのを感じながらも、一つ息をこぼして体を起き上がらせた。

「いつまでそうしてるん? ほら」
「隠岐くんがそうさせたくせに……」
「そうやったなぁ」

彼女に手を差し出し、体を起き上がらせる。そしてそのまま彼女を引き寄せて抱きしめた。
いつの日か買い物に行ったときに、彼が好きだと言った香水の匂いがする。自分に好かれて欲しくて、この香水を買ったのかと思うとたまらなく興奮した。

向き合う形で視線を合わせれば、彼女はまた恥ずかしそうに目を泳がせる。こっちを見てと言わんばかりに、彼は彼女の頬を撫でた。

「ちゅーしてや」
「へ、?」
「ちゅーして、って言っとるんよ。もう1回言うたろか?」
「聞こえ、てます……!」
「じゃあはよちゅーして」

わざとらしく唇をこちらに向けて目を閉じた。しかし、なかなか降りてこない口付けに彼は再び目を開けて彼女を見つめる。真っ赤な顔をした彼女は、何か言いたげにチラチラと視線を向けた。
はやく と口を動かし、彼女の腰を引き寄せる。すると、彼女の表情が崩れ、更に慌てふためいている。決意を固めたのか、細い腕が首元に回った。彼は満足そうに笑い、まぶたを閉じる。

どうやら、目を開けるのが見透かされていたのか。
彼女は彼の目元を手で覆い、可愛いキスを落とした。

「……ちょっ、なんやそれ」
「お、隠岐くん絶対目開けちゃうと思ったから」
「可愛ええ顔は見たいやろ」
「か、可愛くないし!」
「おれは可愛いってずーっと思っとるよ?」
「うっ」

あかん、可愛い。こんなん我慢しろなんて言う方が無理や。

彼は更に腰を引き寄せて、唇を重ねる。すーっと彼女の身体を撫でれば、びくんと跳ねた。
ちょんっと舌でつつけば、遠慮がちに開かれた口元。ねっとりと彼女の舌を捕らえると、ほんの少し彼女から甘い声が漏れた。
ぎゅうっと彼女の手に力が入って、隠岐の隊服にシワを作る。彼の誘いに懸命に答えるように、彼女も彼の口内へ舌を侵入させた。

ブーッ、ブーッ

二人の甘い空気を壊すように、彼の端末から音がした。無視しましょと笑う。しかし、音が止むことはなく幾度となく、連絡がやってくる。

「隠岐くん、流石に出た方がいいんじゃない……」
「しゃーないなぁ、せっかくええところやったのに」

彼は呑気な声色で「はい隠岐です」と出ると、彼女の耳まで飛んでくるような大きな声が聞こえてくる。

「おーーーきーーー! 隊室開けろや! お前がそこでイチャついてんのは分かってるんやで!!」
「そんな大きい声出さんといてくださいよ。今開けますから」

ごめんなぁ、続きは後でやろうな? と笑えば、落ち着いていた彼女の顔が再び真っ赤に染まった。


嗚呼、やっぱりあの子全部がおれだけのものになればええのに。閉じ込めてしまいたいわ。

優しく彼女の頭を撫でながら、彼はそう密かに考えるのであった。



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