星辰の節、10の日

 白鷺杯やら、ガルグ=マク落成記念日やら、舞踏会やらとイベントが沢山ある星辰の節に入ると生徒たちは一気に浮き足立った。
 特に、交わした誓いは必ず成就するとされる恋人たちの聖地、女神の塔に関しては一際噂を賑わせていた。

「舞踏会かあ」

 浮かれる何人かを見つつ呟いたナマエの発言を拾ったのはアネットである。

「踊る相手は選べるんだって!あ、でもナマエはシルヴァンと行くんだよね?」
「うーん、たぶん」

 返事が曖昧になったのは、まだシルヴァンに誘われていないからだ。
 とは言え、他に思い当たる人もいない。
 八割、いや九割シルヴァンと行くことになるだろうなあ、と思いながらナマエは手元にある理学の本を閉じた。

「アネットはどうするの?」

 訊かれるとは思っていなかったらしいアネットが目を瞬く。

「か、考えてなかった!どうしよう、誘ってくれる人とか思い当たらないよ〜!」

 せっかくの舞踏会だから踊りたい、と頬に手を当てて悩み出したアネットに、ナマエは「フェリクスとかどう?」と薦めてみた。

「フェリクスかあ……」

 件の歌を聞かれたという話をアネットから教えてもらい、案外お似合いなんじゃ、と思ったのは記憶に新しい。
 思い出して恥ずかしくなったのか勢いよく首を振ったアネットに、ナマエは大きく口を開けて笑った。
 ────というのが七日前、星辰の節に入ってすぐのことである。

「待てども待てども……?」

 十の日を迎えた今もなおシルヴァンから誘いの言葉はない。
 自分から誘えばいい話なのだろうが、ここまでくるとなんだかそれも負けた気になる。
 訓練でもして気を紛らわせるか。ぼんやり考えながらナマエは踵を返した。

「っと、悪い」

 いきなり進む方向を変えたのが悪かったのだろう。鼻を自分より大きな何かにぶつけて、若干よろめいたナマエの視界を級長の証である黄色いマントが掠めた。

「こちらこそ、ごめんなさい」

 体制を立て直して軽く頭を下げる。
 ぶつかった相手は金鹿の学級ヒルシュクラッセの級長にしてレスター諸侯同盟の盟主・リーガン公爵家の嫡男、クロード=フォン=リーガンだった。

「ん?あんたどっかで……」

 すぐさまこの場を去ろうと思ったナマエが引き留まったのは、クロードが眉根を寄せてナマエの顔をじっくりと見始めたからである。
 さすがに他学級の級長を邪険にはできず、ナマエは曖昧に笑ってみせた。

「ああ!シルヴァンの婚約者殿か」

 しばらく考えたクロードは潔く引っかかっていた理由に気づいたらしい。
 鷲獅子戦以来、こうやって名前でなくシルヴァンの〇〇と呼ばれることが増えた。
 広く認識してもらえているのはありがたいが、実際にナマエの名前を知っている人は少ないだろう。

「名前、なんていうんだ?」

 この数節で何度訊かれたことか。ナマエはため息をぐっと堪えて口を開いた。

「ナマエ=ミョウジです」
「ナマエか。何してんだ?こんなところで」

 気安く名前を呼ばれ、なんとなくクロードとシルヴァンが重なって見えた。
 よく見ると、笑顔の作り方も似ているかもしれない。

「訓練しに行こうかと思ってまして」
「ほう、訓練ね。ナマエは真面目なんだなあ」

 シルヴァンの真逆だ、とクロードが笑う。
 口元は笑っているが目は全く笑っていない様子は、シルヴァンが他人にするものとやっぱりよく似ていた。
 何かを見定めるような瞳にたじろいだナマエが一歩後退する。

「で?何か悩んでるんだろ?」

 疑問符がついているがほとんど断言に近い質問を投げたクロードに、ナマエが驚いて目をまんまるにした。
 この人、心の中を読めるの!?
 何も言えず、唇を開け閉めするだけのナマエにクロードはわざとらしく頷いてみせる。

「ははあ、なるほど。婚約者がいつまで経っても舞踏会に誘ってくれないから、気を紛らわせるために訓練場へ……」
「ぎゃ──────!」

 ずばり言い当てられたナマエが、クロードの声を遮るように叫んだ。
 何人かがこちらを向くが、ナマエにそんなことを気にする余裕はない。

「初対面!初対面だよねえ!?」
「ああそうさ。いやしかし、分かりやすいやつだとは聞いてたが、ここまでとは」
「それ誰情報です!?」

 感心するように顎へ手を置いたクロードに詰め寄るナマエは羞恥で若干涙目だ。
 
「あんたの婚約者だよ」

 シルヴァンか、あのやろう。
 今どこで何していか知らないけど覚えてろ。
 復讐を心に決め、改めて目の前の食えない男を見据えた。

「誰にも言わないでくださいね」
「人に何か頼むときはそれなりに対価が必要だと思わないか?」

 なあ、ナマエ。
 ぎらついた瞳が名前を捉える。
 ────あっ、やばい。逃げられない。
 少しばかり気づくのが遅かった。すっかりクロードによって囲まれたナマエが頬を引きつらせる。

「あんたは婚約者に誘ってもらえなくて寂しい。俺は学級長として最初に踊る必要がある」

 舞踏会は級長三人とそのペアによるダンス披露から始まるのだ。
 ディミトリは相手にイングリットを選んだというのはシルヴァンから聞いた話だった。

「悪い話じゃないよなあ」

 さらにあんたは口止めもできる。
 悪魔の囁きがナマエの耳を侵食し、その魅力的な提案に頷きたくなる。

「いっ、一応、いや正式にシルヴァンの婚約者ですし?あんまり不貞は……ほほほ」

 誰がどう見ても歪な笑いを浮かべたナマエに、クロードは綺麗すぎる笑顔を向けた。

「その肝心の婚約者に誘われてないなら問題ないだろ?」

 なんとも痛いところを突く。
 そう言われてしまえば、そうなのだが、いかんせん周りはもうナマエイコールシルヴァンの図式を公認している。
 そんな中舞踏会でクロードと踊るのは、いくら周囲の評価を気にしないにしても、きつい。
 悩みに悩んで唸るナマエの肩にクロードが左手を軽い調子で乗せた。

「最初の一曲だけでいいんだ」

 うっすら眉を下げて懇願されると、弱い。
 この短時間でナマエの弱点を十分すぎるほど理解したクロードはもうお構いなしにナマエへ揺さぶりをかける。

「頼むよ、ナマエ」

 切羽詰まったような、それでいて強制力があるような、不思議な力を持つ言葉にナマエは堪えきれず屈した。