赤狼の節、5の日
赤狼の節を迎えると気温は一気に下がり、本格的に冬が始まる兆しが見られる。おそらくゴーティエ領辺りは、もうかなり寒いはずだ。ナマエはそんなことを考えながら訓練場へ足を進めた。
鷲獅子戦後の宴以来、シルヴァンとの関係は士官学校中に広まり、さらにちゃんと交際を始めたことを言い回るシルヴァンによって二人の仲は公認のようなものになった。
シルヴァンはフェリクスに言ったとおり他の女性を口説くことはなく、そんな彼の様子を見て周りも納得したらしい。
色んな人に祝福の言葉を投げられるたびにナマエが照れていたのはつい最近のことだ。
「俺は忘れてませんからね、殿下」
「何をだ」
「ナマエを貰ってもいいとか言ったことですよ、忘れてませんよね」
「……冗談だと言ったよな?」
訓練場にたどり着いたナマエが見たのはディミトリに突っかかるシルヴァンの姿である。
そのすぐ近くには我関せずと剣を振るうフェリクスもいた。
一瞥しただけで面倒くさそうなことがわかる状況に、ナマエはUターンしようか悩んだ。
しかし、目敏くナマエを見つけたシルヴァンによってその悩みは無駄なものとなる。
「ナマエも訓練か?付き合うからさ、」
こっちに来い。有無を言わさない笑顔で手招きされ、ナマエの頬が引きつった。
可哀想なものを見るような視線をディミトリから送られ、同情するなら助けてほしいと心の底から思ったのは言うまでもない。
「私、最近理学の特訓してるからシルヴァンたちだとちょっと」
「なんだって?」
「……イエ、ナニモ」
それが仮にも恋仲の女の子に向ける顔!?
笑顔で凄まれたナマエは、シルヴァンに見えないよう小さく舌を出した。
「で、何してたんですか。三人……いや殿下とシルヴァンのお二人は」
フェリクスから、話しかけるな巻き込むなオーラがビシバシ飛んできたので訂正を入れる。
ナマエに訊かれ、ディミトリは額に手を当ててため息を吐いた。
「シルヴァンに言ってやってくれ。過去のことを蒸し返されて困ってるんだ」
「殿下に何したのシルヴァン」
ナマエはシルヴァンに甘いが、それ以上にディミトリに甘い。
甘いというより、格上の人なので甘くならざるを得ないという方が正しいか。
「なあ、ナマエ。殿下と俺だったらどっちと結婚したい?」
突拍子もない質問にナマエが目を剥いた。
「……どういうことですか、殿下」
シルヴァンに尋ねても話が進まなそうな気配を察知したナマエはディミトリに問いかける。
「いや、なんだ。以前シルヴァンとナマエが喧嘩していたときに言った冗談をだな」
大きくため息を吐きながらディミトリが説明をしているのを、シルヴァンはにこりともせず聞いていた。
────冗談でも面白くなかったのだ。
嫉妬されるのは嫌いだし、自分がそういう感情を持つとも思っていなかったが。
ナマエへの好意を認めてから、自分がいかに嫉妬深い人間かを知った。
「はあ、そんなことを。……本当殿下にはいつも迷惑をかけてしまって」
「いいんだ。俺はあまり冗談が得意な方ではないからな。それが駄目だったんだろう」
「いやいや、殿下は悪くないですって。というか、長い付き合いだしシルヴァンだってそこらへんわかって……」
ナマエの言葉が不自然に途切れた。シルヴァンが腕を引っ張ったのだ。
振り向いて腕の主を見上げる。
面白くない、と顔にでかでかと書いてある様子はなんだか可愛い。
思わず小さく笑ってしまったのを、シルヴァンはすぐ気付いて握る手に力を入れてきた。
「ごめんごめん、ごめんねシルヴァン」
「なんだよその適当な謝り方」
絶妙に手加減をされているので痛くはない。
けれどそろそろ本当に怒らせそうなので、ナマエは話を本題に戻した。
「殿下と結婚なんて恐れ多いし、無理ですよ」
殿下と結婚したら王家の一員になるわけで、ゆくゆくは王妃にならざるを得ないわけで。
そんなの無理だとナマエがかぶりを振る。
「そうですよ。ナマエに王妃なんて務まりませんって殿下」
「だから冗談だと……」
いや、それはそれで失礼じゃないかお二方。
頭ごなしに否定する二人に思わず眉間にしわが寄った。
さっきと打って変わって機嫌が良くなったらしいシルヴァンは笑顔でナマエの肩を抱く。
「喧しい!訓練をしないのなら他に行け!」
何か反論してやろうと口を開こうとしたナマエよりも早く、終始我関せずと剣を振っていたフェリクスが怒号を飛ばした。
「そんなに怒るなよフェリクス、甘いもの足りてないんじゃないか?」
「……どうやら相当打ち込まれたいようだな」
肩に回る腕を離し、今度はフェリクスと何やら口論を始めたシルヴァンにナマエは一つため息を吐く。
「ナマエも大変だな」
「まあ……殿下ほどでは」
ナマエが曖昧に笑ってみせると、ディミトリは優しく微笑んだ。
「幸せそうで何よりだ」
相変わらず真っ直ぐな言葉を投げかけてくるディミトリに若干照れつつ頷く。
「幸せ、ですね」
噛み締めるように呟いた声はディミトリだけに聞こえる大きさだった。