恋は思案の外

 痛いほどの沈黙の後、声を出したのはディミトリである。

「…………す、すまない、驚いてしまって。えっと、そうか、俺か……」

 ああ、最悪。間違えた。
 困ったように視線を右往左往させるディミトリに、ナマエの体が強張る。
 自惚れた矢先にこれだ。
 困らせたいわけじゃなかった。

「……いや、その、だな。考えたことがなかったんだ、ナマエが、その」
「いいんです! わかってました!」

 聞いていられなくて遮った声は思ったよりも大きくなってしまった。
 それでも遮らずにはいられなかったのだ。
 あと一言何か聞いたら決壊する。

「どうか忘れて、今までのままでいてください! お茶ご馳走様でした!」
 
 言い捨てて、その場から逃げ出した。
 追いかけるような声は一つもなかった。


◇ ◇ ◇ ◇

 
「終わった」

 死んだような表情で告げられた言葉には抑揚がまるでない。

「……どうした?」

 訊いたシルヴァンへ、ナマエはうわ言のように繰り返した。

「終わった。完全に終わった」

 一向に主語を出してこないナマエは、この麗かな陽射しが全く似合わないという程度に憔悴している。
 ともすれば泣き出すのではという程だ。

「なぁ、言ってくれないとわかんないぞー?」

 慰めようもない、と言うとナマエがさらに頑なになる気がしたので心中に収める。
 俯いたナマエの小さな声は震えていた。

「調子に乗らなきゃよかった」

 最初からなんとなく察していたが、この一言で明確になった。

「……殿下絡みか?」

 なるべく刺激しないような、あくまで普通を保って訊いたシルヴァンに、ナマエは項垂れたまま頷く。

「振られたというか、ほとんど振られた」

 シルヴァンが二重の意味で目を剥いた。
 まさかもう告白しているとは思わなかったし、まさか振られているとは思いもしなかったのである。

「欲なんて出しちゃいけなかったんだ」

 声をかける間も無く吐き出された言葉とともに、地面に滴が落ちて小さく染みを作った。


◇ ◇ ◇ ◇


「でーんか」

 相も変わらず熱心に訓練をするディミトリだが、どこか精彩が欠けているように見えるのは気のせいではないだろう。
 珍しく槍を片手に訓練場へ訪れたシルヴァンは軽い口調で声をかけた。

「……シルヴァン」

 形容しがたい視線を流して、一歩ディミトリへと近づくと、彼の手に持つ槍に若干のひびが見て取れた。
 力の強いディミトリが物を壊すのはいつものことだが、訓練用の槍にまでひびを入れるのは珍しい。
 
「聞きましたよー、ナマエのこと振ったんですってね」

 シルヴァンがあえてそのひびには触れずに本題を切り出した。
 途端、慌てたようにディミトリは口をもたつかせる。

「いや、振ったわけでは」

 おや。シルヴァンの瞳が微かに細まった。
 どうやらナマエとディミトリの間で齟齬が生じているらしい。

「え? そうなんですか? ナマエ泣いてましたよ、振られたとか言って」

 わざと神妙な顔を作ると、ディミトリは二、三度瞬いた。
 驚いた表情ののち、なにかを噛み締めるような、悔しさがわずかに混じる声でディミトリが吐き出す。

「……ナマエは泣くのか」

 その声色の意図が読めず、シルヴァンは首を傾げた。が、疑問は数秒で解けた。
 かっこつけの幼馴染のことだ。泣き顔を見せるのはきっとごく限られた人間なのだろう。
 そして、ディミトリはナマエが最も泣き顔を見せたくない人物であることは、火を見るより明らかだ。

「そりゃあ人間ですし、泣きますよ」

 若干挑発してみるもディミトリは動じない。
 ただ、悔しさはほんの少し増したか。

「俺は一回も見たことがない」

 吐き捨てた語気がさっきより強くなった。

「あー……」

 盛大な、すれ違いだ。
 シルヴァンは吐きかけたため息を飲み込む。
 もう少しはやく殿下が、その気持ちがなんなのか察していれば、うまくまとまっていただろうに。

「やはり、ナマエが俺のことを……なんていうのは勘違いだ。シルヴァンの方がずっとナマエのことを分かっている」
「いやいや」

 唐突にとんでもないことを言い出したディミトリをシルヴァンは慌てて諫めた。

「殿下、あんたがそれを言ったらナマエの気持ちはどうなるんです」

 ディミトリは答えない。
 珍しくシルヴァンの瞳が真っ直ぐディミトリを見た。

「あんただけは、あいつのその気持ちを疑わないでやってくれ」
「……そう、だな」

 ようやく絞り出したディミトリの声は普段よりもずっと掠れていた。