太陽と故郷



FINAL LIVEの挨拶のはなし。
おっきーさんと杉江さん編





おっきーさん

いるだけで嬉しい。って言うと変な感じだけど、でも、いつもにこにこしてて明るくて温かくて、いつもおっきーさんなりの気遣いやフォローがあちらこちらに散りばめられていて。
よく弄られるしよく滑っちゃうしよくみんなに遊ばれちゃってるけど、でも、間違いなくおっきーさんのそばにはいつも笑顔があって。

この挨拶を聞いて、ほわほわした雰囲気で感じにくいだけですごく細やかで敏感な人なんだろうなと思った。
歌詞をすごく読み込んで思いを拾って表そうとしているからこそあんなにパッと何個も歌詞が出てきて、思ったことが出てくるわけだし。

しんみりしがちな挨拶をちょっとでも明るくしようとしてくれるし、少しでも盛り上げようとしてくれる。
「まだ次もあるよ」「また会いましょう」「みんな繋がってる」って。
よく周りを見ていて敏感に色んなものを感じ取って、やれることを何でもやろうとしてくれる人なんだなぁきっと。
ちょっと天然かもだけど、その根底にはただただ優しさがあるだけだから皆に愛される。

ところで、おっきーさん、お父さんなんですね。
誰かの太陽になってるお父さんって素敵だ。ここだけの話、私のお父さん、よく食卓を凍らせる人だから困ってるんだ。滑るんならいいんだけど、思慮に欠けた事を言って凍らせるもんだから、ちょっと困ってるの(笑)
おっきーさんはよく滑るし、たまに、今そこ!?って発言をするけど、それが誰かを傷つけたり困らせたりすることはなくて、むしろ勝手に色々振られても「え〜」って笑いながらやってくれる懐の寛容さばかりで。

陽の光で花は開くから、「太陽のよう」っていうりょうきくんの言葉は、周りを笑顔にするおっきーさんに似合うすごく素敵な言葉だよね。





杉江さん

幕張で全員にメッセージを送る杉江さんを見て、なんてかわいい人だろうと思った。
いつも杉江さんの中国さんからは一所懸命にその時間を楽しんでるのを感じていたけど、それでこんなにも人に素直に好きとありがとうを言えて純粋に涙する、なんてかわいい人なんだろう。
なんて綺麗な瞳をしてるんだろう、って。何度見ても思う。



「踏み出せば、たとえ無くても、道はできていくと思うし、踏み固まったその道が、また誰かの道になることもあると思います。」
「そうやって、みんなで、全員が、道無き道を、何の頼りもなく、でも自分の心、みんなから貰った思いを糧に一歩一歩踏みしめて進んでいけば、たぶんどっかで交差する時が来ると思うし、もしかしたらまたこうやって奇跡が起きて、全員がおんなじ場所に辿り着く時があるかもしれません。」

何度目に見た時だったかな。ふと、大阪の挨拶の言葉、どこかで聞いたものと似ているなと思った。それが何か気がついた時にはもう、軽い衝撃。

中国の文豪・魯迅が書いた『故郷』という名作がある。
日本の教科書にも載っている魯迅の代表作のひとつで、その中にこんな名文がある。

「希望是本无所谓有,无所谓无的。这正如地上的路;其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。」

日本語訳は、こう。

「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」 光村図書(竹内好 よしみ 訳)

杉江さんが魯迅を意識したのかは分からない。勉強のために読んだのかもしれないし、ほんの偶然かもしれない。
けれど、私はこの挨拶に杉江さんのすごさを見たような気がした。

改めて、心から、ありがとう。中国さんが杉江さんで本当に良かった。
私も杉江さんにね、中国の美味しいお茶菓子の詰め合わせを贈りたいよ。ひとつずつ全部私が地元を歩いて集めてくるから、そのお茶菓子の詰め合わせを贈りたい。美味しいお茶もたくさんあるから茶葉も添えて、中国茶道でお茶を淹れて贈りたい。



2024/02/05



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