京都不浄王編/前編−11
布団を畳んだ畳の上でごろごろとしていると、廉造が戻ってきた。ピッチャーとコップを拝借してきた辺りの配慮はさすがである。
エアコンが効いているとはいえ暑い、とても助かった。
起き上がってピッチャーが置かれた机まで膝だちで進み、座椅子に座ってコップに注ぐ。廉造の分も入れてやると、礼を言って飲み干した。
「そういえば、朝祇は実家寄らんの?今日休みやし行ってくればええんとちゃう?」
「あー…そう、なんだけどな」
実は、今京都にいることはまだ母に言っていない。行くとすら言わなかった。帰省するか保留にしたままだ。
「…なんか、会いに行ったら、言っちゃいそうなんだよ」
「何を?」
「……京都から逃げてって。危ないことが起きてるから、連絡するまで大阪とか東京にいてって」
どうしても、母を前にしたらそう言ってしまいそうだった。まだ盗まれたのは左目だけだが、右目もどうなるか分からない。このままでは、京都に大量の瘴気がばら蒔かれるかもしれないのだ。
だが、騎士團がこうして尽力し、出張所の人たちも家族を持ちながら働いている今、自分だけそんなことをするのは恥ずかしいことだと思える。
「…そんなこと、できない」
「…俺はええと思うけどなぁ。やって、朝祇にとっては唯一の家族やん。悪いことやない」
「そういうもんなのかなぁ…」
「朝祇のしたいようにしてええと思うで。それに、もしかしたら何事もなく終わるかもしれへんし。朝祇の気持ちが楽になるかどうかやって」
ぽんぽん、と廉造は朝祇の頭を撫でる。どちらの選択をしても、廉造は本当に気にしないだろう。なぜなら、廉造は朝祇の心が楽になるかどうかに着目しており、選択の中身は何でもいいからだ。確かに、そう考えればどちらでもいいのかもしれない。他の人たちとの道理や義理、倫理を考えるかどうかがネックなのは変わらないが。
ただ、どちらを選んでも受け入れてくれると明言してくれたのは、それだけで気持ちが楽になった。
「ありがと、もう少し考えてみる」
「おん」
そうして、沈黙が落ちる。外からは蝉の鳴き声がうるさく鳴り響く。窓から見える入道雲が高く青空に立っていた。
「…今さっきな、子猫さんと話してきてん」
すると、また廉造が切り出した。
ここに来る途中のことだろう。
「……それで?」
「なんで奥村君と仲良うするんやって。考えが足りひんって怒られてもうた」
「廉造は何て言ったの?」
「子猫さんが考え過ぎなんやって。…やって、奥村君、ええ人やんか。それに、俺は五男で子猫さんは若当主、考えなあかん量もちゃうねん」
廉造はんー、と伸びをしてごろりと仰向けになった。エアコンがあってもすでにコップやピッチャーは汗をかきはじめていた。
面倒なことが嫌いで、考えることが嫌いで、明陀宗や友情なんてものに縛られていることも嫌で。そんな廉造がとりわけ自由と傍観にこだわるのも当然だ。
そして、そんなことを思いながらもそこから逃げ切れない、それらを捨てきれない弱さを、意識しているかどうかといった心の微妙に深いところで感じているのだろう。
朝祇は最初、そんな中でも割り切って、もがいて、頑張っている姿に自分にはないものを感じて惹かれた。朝祇はそのとき、京都と東京との間で望郷と母のこととの間で揺れていたからだ。
やがて、いじめられている中で支えてくれたことや、弱い部分を垣間見せてくれたことにも惹かれていき、一緒に歩きたいと思った。
高校に入ってからは、朝祇が自身と廉造との実力の差に焦るなかで廉造は常に支えてくれた。だんだん大人になる今という過程で、両親の離婚という少し難しいことがあった朝祇の動揺を包み込んでくれた。先ほど、母にこの状況のことを話すかどうかで迷っていた朝祇の葛藤を柔らかく受け止めてくれたように。
同時に、廉造は執着を見せない中で朝祇に対してだけは執着を見せ、朝祇は自身の気付かなかった弱いところを廉造に支えてもらった。お互いがお互いにとって、必要不可欠な存在となったのだ。
朝祇はそんなことを考えて、寝っ転がる廉造の側に行き、大の字になる廉造にくっつくように横になった。
廉造はくすりと笑い、横向きになって朝祇を抱き締める。胸元に顔を押し付ける形となった。
「廉造、俺さ、昨日の奥村じゃないけど、廉造は勝呂とか奥村みたいに男前なやつではないと思ってる」
「藪から棒になんなん!?」
「でもさ、俺はそういうカッコいい廉造が好きになったわけじゃない。弱いところを知りながら頑張って、俺の弱いところをさっきみたいに支えてくれる、強くないけど優しい廉造が好きなんだ」
「朝祇…?」
「俺は一緒に歩きたいんだ。お互いに支え合いながらゆっくりでも先に進みたい。だから俺は、廉造とずっと側にいる」
「……ありがとぉな」
言外に含めた様々なニュアンスも、しっかりと理解してくれたらしい。子猫丸に対して言ったことは本心ながら、100%割り切れていないことも分かっている廉造。そんなところも含めて好きなんだという気持ちが伝わってくれたようだ。
抱き締める力を強くして、朝祇の頭をゆっくりと撫でた。
相変わらず蝉がうるさい。
刻一刻と、そんな空の下で状況は動いていた。