冀うは、−9
2人の詠唱を聞きながら、朝祇は2枚の印章紙を取りだし、針で指を指して血を紙につけた。
「青春、朱夏が瑞獣、毛蟲が長、冀うを聞くは其の礼徳の大なる故ならずや……出てこい、聳弧(しょうこ)、炎駒(えんく)」
呼び掛けた瞬間、それぞれの印章紙から光が飛び出し、朝祇の両隣に着地し一際強く光る。そして、朝祇の両脇に控えるようにして、2体の麒麟が現れた。この前召喚した黄色いものではなく、青緑色の毛並みと深紅の毛並みのものだ。姿は2メートルほどの体長の鹿に角が生えたもので変わりない。
「に、2体…しかも色違い…」
廉造は驚いて呆然としている。出雲もそうだ。神獣とされる悪魔2体を同時に召還できたのだから。
青緑の方を聳弧、深紅の方を炎駒といい、麒麟の別種である。麒麟は四神と黄龍のように、それぞれの方角や季節などの五行を司る別種が存在する。
黄龍のポジションが麒麟、青龍が聳弧、朱雀が炎駒、白虎が索冥(さくめい)、玄武が角端(かくたん)だ。
そのため、聳弧は木や植物を、炎駒は炎を操ることができる。麒麟はもちろん土だ。ネイガウスの授業以来、呼び出せると思われる麒麟については調べてあった。
「聳弧、炎駒。俺に従うことに異論はないな?」
両隣の毛並みを両手で撫でれば、了承とばかりに朝祇へ頭を垂れる。
「ありがとう。…聳弧、緑男が出した木を使って新たに杉を出してくれ」
聳弧は頷き、バリケードに前足の片方をかける。すると、反対側や上部から杉が生えた。その杉を切断し、空中に浮遊させる。
「炎駒、あの杉に火を灯せ」
今度は炎駒に命じる。炎駒も頷いて、バリケードのこちら側と向こう側とで浮かぶ杉に火をつけた。その火によって、一気に部屋は明るくなる。その光に照らされて、ナベリウスは呻き声を上げて動きを止めた。
「ぐっ……、はぁっ、」
すでにこれだけで体力がごっそりと持っていかれた。思わず膝を着きそうになるが、廉造が駆けよって支えてくれる。
「大丈夫か…?」
「平気…俺もジョギングしようかな」
本気で体力をつけないとやばい、と感じた。2体の召還とそれを動かすだけで相当疲れてしまった。
勝呂と子猫丸はまだ終わりそうになく、しかししえみも限界が近い。
悪いことに、それから10分ほどして、勝呂が21章に入ったところで、しえみがついに倒れてしまった。白い煙とともに、バリケードは消失する。
光によってナベリウスは止まったままだが、ゆっくりと動き始め、廉造が錫杖を構える。少しでも生身である廉造を出したくない。今度はバリケードに代わってこちらで直接動きを止める。
「聳弧、杉を伸ばせ。炎駒、杉を燃やしつづけろ」
浮遊させていた燃え上がる杉を、ナベリウスに向かって伸ばす。燃え盛る杉はまさに炎の鎖、ナベリウスを囲むように縛り付け、炎で炙る。そのまま燃やせればいいのだが、これ以上の火力はだせない。むしろ、そろそろ限界だ。
「イエスは言いたもう、『船の右のかたに網を下ろせ…』」
「子猫丸、勝呂、どこまで来てる…?」
「まだ21章の10行にもいってないとこやと思う…!」
「何行あんの?」
「25行や!」
だめだ、間に合わない。燃え盛るナベリウスを囲む杉もどんどん炭となって脆くなっている。限界だ。
「くっ…戻れ、聳弧、炎駒」
朝祇が命じれば、2体は同時に霧散した。ナベリウスを包む杉と炎も消失する。途端に部屋は暗闇に戻った。シャン、という音とともに廉造が立ち上がるが、今度は出雲の声が響いた。
「私に従え!!」
いつのまにか召還していた白狐2体に、吹っ切れたように叫んだ。そして、指で五芒星を切り何やら唱える。
朴のことで心を乱していた姿は、もうそこにはなかった。凛としてナベリウスを見つめ、そして白狐による攻撃を仕掛ける。
「たまゆらの祓い!!」
白狐がぐるぐると目に留まらぬ速さでナベリウスの周りを回り、強い風が苦しめる。
せめて、朝祇にもう少し体力があれば追撃できたのに。そう思い悔しくなるが、ふとあることに気付いた。
(黄龍、お前の力を借りるのに俺の体力は関係なかったよな)
『あぁ。しかし、我が温存している力では何もなせぬぞ』
(あのナベリウスから体力奪って、その力で攻撃すれば差し引き変わらないんじゃないか?)
『…なるほど、お主にしては考えたな。よかろう、試すか』
(ありがとう。中庭の土を表面中心に持ち上げて塊にして、窓突き破ってこの部屋にぶちこもう。そんで、ナベリウスを包んで凝固させる)
『承知した』
そう、体力がないなら相手のを使えばいい。黄龍は他の力を吸い取ることができるのだから、キャッチアンドリリースしてやればいいのだ。
「しゃあない、俺が行くしかあらへんか」
「待て、廉造」
朝祇は廉造を止める。こちらへゆらりと近付くナベリウス。力を黄龍に奪われ、暗闇でも動きが鈍っているが、巨体のため一歩がでかい。すぐに近付いてきて焦りが生じるが、直後、廊下の窓ガラスが砕け、部屋の壁をぶち破って大量の土砂が飛び込んできた。
轟音とともにナベリウスは床に叩きつけられ、それを覆う土が一瞬で岩のように固まる。
その瞬間、部屋の明かりを含めて照明が復活した。眩い明かりに目を細める。
「我おもうに世界もその録すところの書を載するに耐へざらん!!」
そしてついに、勝呂が詠唱しきった。その最後の行が、ナベリウスの致死節だったらしい、ナベリウスは絶叫のような低い悲鳴を上げて、勝呂の声に吹き飛ばされるように消滅した。
「…お、終わった…」
明るい部屋に、もう異形はいない。
勝ったのだ。朝祇たちは協力し、この苦難を乗り越えたのである。