鬼ごっこ−8
その夜、朝祇は電話でメフィストに呼び出されていた。了承を伝えて寮を出た途端、瞬間移動してきたメフィストによって以前訪れたことのある邸宅の執務室に連れてこられる。
あのときはこちらから電話したが、今回はメフィストからの呼び出しだ。まさか、遊園地で暴れすぎたのを怒られるのか。当て付けのように机には『正十字学園局所地震被害報告書』なるものが置かれている。
ソファに腰掛けると、メフィストは相変わらず胡散臭い笑みを浮かべていた。
「まぁまぁ、まずはお茶をどうぞ。宇治から取り寄せたんです」
「…どうも」
目の前に出されたのは、湯呑みに入った緑茶。机も椅子も内装もすべて洋風なのに、緑茶だけ和風で浮いていた。
飲んでみると、少し薄いというか、茶葉本来の味が出ていない。温度から察するに、80度ほど。
「ひょっとして、80度でお湯入れました?」
「ええ。煎茶の基本でしょう?」
「宇治茶はもう少し低くて大丈夫です。でも、関東では茶葉に関係なく90〜100度で入れてもいいくらいですよ」
「おや、そうなんですか?」
「関東は硬水、関西は軟水で、茶葉が育つ水も飲むときの水も違います。硬水で飲むときは熱くしないとクセが出ちゃうんですよ。特に静岡茶と宇治茶はその違いが顕著ですね」
「ほう、それは知りませんでした」
「ちなみに、ロンドンは超硬水なので紅茶がマイルドかつ色が濃くなり、アッサムでミルクティーにすると綺麗な色の柔らかいものができます。ロンドンでミルクティーが流行ったのはそれが理由だそうですよ」
紅茶は硬水であればあるほど味はマイルドに、見た目は濁って濃くなる。軟水だと透明で茶葉本来の味が出る。ダージリンは軟水が良い理由のひとつだ。
「さすが京都にいらっしゃっただけある」
「まぁ。で、ご用件をそろそろ伺っても?」
「そうですね…お、ちょうどいい」
すると、そこに扉の開く音が響いた。無駄話をしていた空間に入ってきたのは、なんと昼間のシュラだ。
朝祇が驚くと、シュラも片方の眉を上げてみせる。
「なんでいるんだこいつ。てか、いてもいいのかよ?」
「彼は色々と知っていますから」
「はぁ?ったく、お前も謎だよな、一ノ瀬」
シュラは胸を揺らしながら朝祇を指差した。呆れた様子のシュラに謎呼ばわりされるが、シュラにだけは言われたくない。
「まぁいい。とりあえず、ヴァチカンへの報告は保留だ。だが、奥村燐への監視は続行する。だから日本支部にあたしの居場所を用意しといてくれ」
「わかりました。何にせよ、あなたのような実力者が日本支部にいてくださるのは心強い」
「…話は終わりだ」
シュラは立ち上がるが、メフィストは「あぁ、そうだ」と引き留める。シュラが振り返ると、メフィストは笑みを浮かべたまま切り出した。
「彼、一ノ瀬朝祇君の力はご存知でしょう?」
「…黄龍を憑依させ、麒麟を召喚し、その力を拳銃に憑依させる、ってとこか?サタンにまつわるものだけがあたしの監察対象だが、本来はこいつだって聞きたいことはごまんとあるぞ」
突然、話のトピックとなってしまった朝祇は思わず肩を揺らしてしまうが、シュラとメフィストはこちらを気にしない。何を聞きたいというのだろうか。
「彼は確かに大きな力を秘めています。しかし現状、一ノ瀬君は血縁と黄龍の存在によって上級悪魔の使役を助けられており、まだまだ実力不足なんです」
「おい、あたしは奥村燐で手一杯だぞ」
「あなたと同じ聖天使團にいるでしょう?そういうことに精通した人物が」
「…お前、本当に何を考えてる?」
2人は訳知りげに話すが、朝祇には何のことか分からない。呼び出されて好き勝手に話されているのに、目の前でおいてけぼりだ。
「ヴァチカンに隠れてこそこそ極東でやってると思ったら、今度はそっから中枢に近いところに送り込む…怪しさが留まるところを知らねえぞ」
「今、日本国内で降魔術を使った人体実験を行っている組織があります。一ノ瀬君の実力をある程度のところまで早めに引き上げなければ、彼自身にとっても私たちにとっても、非常に危険だ」
「はぁ〜?本当に面倒なことばっか起きてんなこの国は!」
「一ノ瀬君は奥村燐の正体も、その組織のことも、さらには京都の不浄王のことまで知っています。しかも、頭がいい。私にもヴァチカンにも、そしてあなたや他の聖天使團の方々にも扱いにくいことこの上ない生徒です。ここは、お互い当たり障りない範囲でやりませんか」
「…ったく、話は通しておく。向こうと一ノ瀬、両方の許可は取れよ。あと、アメリカ支部にはお前から掛け合っておけ」
シュラはそう言って踵を返す。メフィストは礼を言って見送った。そして、ついで朝祇に向き直る。
「さて、話は聞いていた通りです」
聞いていた通りと言っても、大部分は分からなかった。しかも、後半では面倒なやつ扱いではなかっただろうか。だが、分からない、で思考放棄するつもりもない。
「俺の実力は、降魔術士だった先祖や黄龍頼りで、それを確固としたものにしないとイルミナティとの関連性から危険だから、降魔術や手騎士のことに精通した人物のところに行かせたい、ってことですか?最初のところはよくわかってないですけど」
メフィストは感心したように頷いて補足をした。
なんでも、朝祇が麒麟などを呼び出せるのはそもそも先祖が使役したことがあったからで、血縁によって召喚しやくすくなっている上、黄龍が憑依しているため従ってくれやすいのだそうだ。
そして、廉造がスパイをしている島根県の秘密組織イルミナティは、降魔術によって非人道的な実験をしており、朝祇のような体質はまさに実験体に打ってつけ。
その手に渡らないよう力をつけるために、アメリカ支部所属で、四大騎士という聖騎士のひとつ下の階級に属する上級祓魔師のところに行かせたいのだそうだ。
「まずは向こうの許可が入るんですが、まぁ、悪魔が大好きな変態ですから…君のような存在には興味津々でしょう。あとはあなたの了承だけです」
「アメリカ支部ってことは…」
「ええ、短期留学という体裁を取ります。7月の中旬に合宿があるそうですから、そのあとからの約1ヶ月、みっちりアメリカでしごかれてください」
突然の話だ。突然過ぎて、頭が回りきらない。祓魔師関連とはいえ、まさか留学などということになろうとは。
「彼は日本語を喋れますし、現地生活はアメリカ支部が保証します。金銭面は日本支部で渡航費、生活費、保険料など全額負担します。彼は今、アメリカ支部のフェニックス出張所にいるそうですから、アリゾナ州での滞在がメインになるでしょう」
「…少し、考えさせてください」
「ええ、もちろん。できれば合宿明けには回答をください」
必要なのは分かっている。シュラがすぐ動いたのだから、客観的に必要だとヴァチカン所属の祓魔師に判断されたのだ。無料でアメリカに行けるというのも魅力的なのかもしれない。
だが、やはり廉造の顔が浮かんできてしまって、すぐには頷けなかったのだった。