縮まる距離−3




「なんつーか…志摩はすごいな」


思わず思ったことを溢すと、廉造は眠たげな目でこちらに視線を向ける。「何言うとるの」と面白そうな色を含んでいる。


「正直、俺が志摩だったら頑張れない…いや、置き換えなくても、変わんない」

「…まぁ、保守的な京都ん中でもさらに血統主義やさかい、ウチは。そういうしがらみからは逃れられんし」


廉造は頬杖をついて、窓の外に視線を移した。窓にその目が写っている。


「きっと、みんな何かしらに縛られてるよ。学校、家庭、会社…東京にいたときだって、人付き合いのために流行に乗ってないといけなかった」


関西などでは、商人の名残か、みんな野球やスポーツなど様々な共通の引き出しを持っている。一方で東京は、若者たちは流行の音楽やコンテンツ、ファッションが会話のネタになる。追いかけるには不規則で変則的だ。だから、大変だった。


「…すごいよ、志摩は。そのしがらみから逃げられないことを受け入れて、そこで生きてこうと決めて努力してんだから」

「そんな大層なことやあらへんよ」


苦笑する廉造だが、どこかその様子はいつもと違う。余裕がない、とでも言うのだろうか。その目に葛藤がありありと見えた。


「…俺はさ、ほんとは早く、東京に帰りたいんだ」

「帰らんの?」

「帰れないよ。親が離婚して、母親と実家に戻ってきてるんだ。父親は親権を拒否したし、何よりも、母さんを置いていくことはできない」


初めて身の上を話した。軽くはない、けれど昨今は珍しくもない話。だが、私立に通えるだけの層ではなかなかないことでもある。
廉造は軽く目を見開いていた。そりゃそうだ、突然聞くには重い。


「母さんのためって言いながら、ほんとは勇気がないだけなんだ。東京に帰りたいって言って、母さんとの関係を刺激するのが怖いんだ」

「…大変やったんやね」

「まぁな。でも、いいんだ。人間誰だって葛藤はある…逃げられないしがらみも。俺は逃げることも逃げずにいることも決心できてないけど…でも、それも生きるってことだと思うんだ」


それは朝祇の、そして人の弱さだ。でも、それは良い悪いの話ではない。時間が許す限り考えて、なるようになればいい。


「志摩もさ。そのしがらみから逃げずに生きることがつらくなったら、一緒に逃げちゃおうよ」


いつか、思いきって動きたくなるようなときがきたら。一人より、二人の方が楽だ。
難しいこと、複雑なこと、つらいこと、そういったことから逃げたくなったら、一緒に逃げてしまえばいい。


「―――は、口説き文句みたいやなぁ…」

「バカ、俺だって口説く相手は選ぶわ」

ちょっと泣きそうになった廉造に、つられて泣きそうになったのは秘密だ。


***


一緒に逃げちゃおう。
まさか、そんなことを言われるとは廉造も思っていなかった。
家に縛られた廉造の境遇を同情してくれる人はいたが、結局それは「人間には自由がある」という、戦後たかだか70年あまりで日本に根付いた考えが根拠になっていることに過ぎない。
廉造のしがらみは、数百年続いているのだ。

きっと勝呂は廉造が自由に生きることを許してくれる。だが、お互いそんなことをするわけにはいかない。血筋という縛り抗うことはできないことを分かっているからだ。
生まれてからずっと、勝呂を守ることを固く言い聞かされてきたこと、また、「青い夜」で亡くなった長男の影を聞かされてきたことも、全部全部煩わしかった。だが結局そこから逃げることはできない。

正十字学園に行くのも、勝呂が行くからに他ならない。逆らって許されるものでもないし、家業の祓魔師になるためにも通わなければならない場所だ。

さらさらとノートにシャーペンを滑らせる朝祇を見ながら、廉造はぼんやりと考えた。
縛られて生きることを選んだことに後悔はないけれど、いつか逃げられたら、なんて妄想は尽きない。朝祇も、東京に帰ることは夢に過ぎないと分かっているのだろう。シングルマザーが住むには厳しい街だ。

そんな夢物語であっても、朝祇はそれは許されることだと、そして一緒に逃げてしまおうと言ってくれた。もちろん、明陀宗から逃げることは、良いか悪いかでいえばけっして良くはない。けれど、そんなことは気にせずただ一緒にいてくれる人がいるならば。


(おもろい子ぉやな…一緒にいとうなる)


それは、とても幸せなことだと思うのだ。


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