カフェの街で−1
日常パラレル。
柔造→夢主気味
志摩柔造、25歳独身。
京都の大学を卒業後、東京へ引越し(京都人は決して上京とは言わない)、大手の百貨店グループに入社した。
大学では経営を学び、会社でも経営を勉強したいと思っていたのだが、入社して3年は店舗での営業をしなければならなかった。
その3年もあっという間に過ぎ、ついに本社での勤務が決まったのだが、残念ながら配属先は雑貨部門のバイヤー。ここから3年はここで働かなければならない。販売する商品の企画から仕入れ、在庫消化までやらなければならない仕事量の多さは社内でも随一で、柔造はすでに疲労困憊だった。
4月に配属されてから早くも10月、半年が経ったが、すでに企画は何度だしてもボツを食らい、煮詰まっていた。
そもそも京都では大家族だったし、長男と祖父が不慮の事故で亡くなってからは家督を継ぐものとして期待を一身に受けてきたから、雑貨などというものに縁がなかった。しかも、だいたいターゲットは女性や女性へのプレゼントをする男性。
このエッフェル塔の置物は何に使うんだ、と思ったら飾りと聞いて絶句した覚えがある。まだ柔造の家にある東寺の五重塔を模した文鎮の方が有用だ。東京モンはせめて大人しく東京タワーにしとけや、と思った柔造である。
そんなこんなで、すっかり企画立案に立ち往生してしまった柔造は、失敗した商品の在庫消化のためのセール案を作成するのに二徹し、さらにプライベートブランド枠で提出した企画書の大幅な改編を迫られもう一晩を寝ずに明かし、ついに倒れた。
さすがに会社も同情したのだろう、京都弁が抜けない可哀想な青年に1週間の休みを与えたのだった。
***
「休み言うても何すればええんや…」
自宅療養となり、都内中西部のアパートのリビングでぼう、とする。先程までいた弟たちは「好きなことせえや」と言って学校に行ってしまった。
柔造とともに東京へやって来たのは四男の金造と五男の廉造である。最初に柔造が初任給で大きめのアパートを借り、翌年に金造が都内の大学に進学して二人暮らしとなった。そしてこの4月より、廉造が都内の私立高校に通い始めて三人暮らしとなったのである。
三男の剛造は京都の大学を出て大阪の企業に就職した。
部屋は少し手狭だが、京都の実家とてそう大きくはなかったし、親がいないというだけで開放感があるというものだ。ちなみに、弛みすぎないよう柔造はきちんと金造と廉造を監視している。
そんな二人は柔造が倒れた際には半泣きになる可愛いげを見せたものの、大丈夫と分かると「早よう治したってや、柔兄おらんと東京に住んでられんもん」と手のひらを返された。そして、先程も投げ遣りに好きにしていろと言ってそれぞれ学校へ行ってしまったのだ。こんな薄情に育てた覚えはない。
「あー…リラックス、できるとこがええなぁ…」
何をしよう、と思い浮かべたのは、とにかく癒しの空間。医者からも、あまりストレスを溜めすぎると自律神経に異常が出て体調を崩しやすくなり、最悪躁鬱になってしまうと言われた。
特に決め手となる自律神経の内の副交感神経は、低気圧のときに異常を来して頭痛や吐き気、貧血をもたらすようなデリケートなものであり、コーヒーやチョコレート、またはその香りが副交感神経を整えるのに良いらしい。
まさか自分が鬱になるとは思えない、と一蹴したが、東京という闇の深い大都市の医者は首を振って諭した。そういう人から鬱になるのだと。
改めてこの世界最大の都市が抱える闇を感じた柔造は、素直に言うことを聞こうと、リラックスできそうな場所へ向かうことにした。幸い、ここからオレンジの電車で10分も東に行けば、日本一住みたい街の座に君臨し続ける街がある。そこで、公園で森林浴紛いのことをしてからカフェにでも寄ろう、そう考えた。