カフェの街で−2




二宮千秋、23歳独身。
生まれも育ちも東京三鷹市、生粋の三鷹市民である。市内北東部で暮らし、有名な某公園と美術館に程近いところでカフェを経営している。実家兼店舗の建物はそれなりに大きく、とてつもない地価を誇る吉祥寺エリアの三鷹市側地域でギリギリの経営を続けていた。
10分ほど歩くとはいえ最寄りは吉祥寺駅、しかもあの有名な森の妖精を象徴とする美術館の近くでもあり、よく雑誌にも掲載してもらっている。それもあり、客足は途絶えず、土日は列ができる。
大学では国際関係を専攻し、外国人へのアプローチを増やして新規顧客を生み出すことには成功したが、吉祥寺の繁華街から決して近くはないし、なかなか列をつくる客を捌けるだけの回転効率を出せない。
家族経営であり、バイトを雇うほどのことでもないため、正直現状を変える方法が分からなかった。
大学を出て本格的に店のオーナーとなってから1年、自分がうまくやれている自信はない。

父親から学び、父親を越えたと常連に褒めてもらえたコーヒーの焙煎技術と、同じく母親から学び、母親を越えたと評してもらえたフードの美味しさには自信がある。しかし、両親が他界して千秋一人で回すようになってからはなかなか自問自答が止まらない。そもそも大きくはない店の規模であったため、一人でも回せないことはない。だが、有効な新規戦略やビジョンが打ち出せないままただ過ぎていく現状に焦っていた。
両親が揃って事故で亡くなってからまだ半年であることも、その喪失感から逃げるように仕事をこなしていつの間にか1日を終えてしまっている原因かもしれない。

ただ漠然と、これからどうしよう、を無意味に繰り返しているだけだった。


***


ある日、平日の昼過ぎという半端な時間に一人の客がやって来た。この時間は1週間でもっとも人が少ない。
低気圧が近付いて雨が降る予報であることも、足を遠退けるだろう。

それなのにやって来た客は、まさにこの時間のたった一人の客だった。貸切状態のところへやって来たのは、少し草臥れたような青年。体格がよく、千秋より10センチ近く背が高いようだった。黒い短髪が爽やかだが、どこか疲れはてているようだった。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「はい……誰もおらんのですか」

「この時間は人が少ないんです。今日は天気もぐずつくって予報ですしね。運がいいですよ、お兄さん」


意外にもカウンター席を選んだ青年は、カウンターの内側で焙煎をする千秋の前に座った。


「何にします?」

「細かいこと分からんさかい、おすすめでお願いします」

「分かりました…お客さんにぴったしなのにしときますね」

「…おおきに」


関西の方言だろうか、観光客には見えないから、都内で働きながらも方言が抜けていないタイプだろう。それにしてもこの青年、生気がない。今にも倒れそうだ。働きづめなんだろうか。
空は時間のそれとは関係ない暗さになりつつあり、一雨予感させる。こういう気圧が低い日は気分が落ち込んで良くない。
香りが立って、リラックスできるものにしよう、と豆を選んだ。少し時間はかかるが、香りを大事にするためサイフォンを使う。
とりあえずお冷やを出して、伝票に書き込む。


「…今日はお休みですか?」

「ええ、まぁ。公園でゆっくりしよ思て来たんですけど、迷子になって全然違うとこ出てもうて…そこでこのお店見つけたんですわ」

「広いですもんね、あそこ。ゆっくりできました?」

「いくらか。せやけど、今日はあんま天気がようないさかいに、そうリラックスできまへんでした」

「久しぶりの低気圧ですもんね、春と秋は気圧の高低差がきつくて大変ですよね」


そんな当たり障りのない話を、至極ゆっくり進める。沈黙も長めにとり、声も少し低め、かつ小さめに喋る。頭に響かないようにするためだ。
やがて、サイフォンからだんだんと芳醇な香りが立ち上ぼり始めた。特有の立ち方をするコーヒーの香りは、カウンター周辺に程よい濃さで満ちる。
それから5分ほどして完全に淹れ終わると、カップを青年の前に置いて、そこにサイフォンの容器を外して注ぐ。
静かな香りが、この青年を少しでも癒してくれるように。


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