カフェの街で−4
次々と吐露される志摩柔造という客の話を聞きながら、どこか似ているな、と千秋は感じた。柔造は兄を、千秋は両親を亡くし、それぞれ家督や兄弟、カフェの責任を背負わされることになった。
千秋にとってこの店を継ぐことはやりたいことだったが、継いでからやりたいことは考えられないままここまで来てしまった。何ら新しいことが思い付かないし、考える時間を取れない。そんな時間を設ければ、両親の死という事実が現実味を帯びてしまうような気もしていた。
柔造もやりたいことをやれずに責任あることだけをやらされて、虚しくなっているようだった。倒れるほどに追い詰められたのは、本人も気付いていなかったのだろう、今吐き出されたようなことが心に巣食っていたからだ。
「志摩さん、甘いもの好きですか?」
「?まぁ、普通に」
そこで、千秋は冷蔵庫からガトーショコラを取り出した。作っておいたものだ。
「これ、サービスです」
「っ!そんな、悪いですよ」
「いえ、そもそも今日は人が来ないことを見越せず用意しちゃったんで、どっちにしろ無駄になりそうなものだったんです」
「…それは、マーケティングが不足しはってるんとちゃいますのん…」
少し呆れながらも、柔造は細いフォークでガトーショコラを口に運ぶ。甘すぎず苦すぎない、大人びた味わいを目指した。
「うま!めっちゃウマイで!二宮さん、これどこのケーキなんですの?」
「僕が作ったんですよ。この店はすべて僕が作ってます」
「ガトーショコラって作れるんか…」
驚いたように柔造はガトーショコラを見詰めた。確かに、既製品のイメージはある。だがさすがにどっかのブランドを転売することはしない。
「せやけど、コーヒーもフードもお一人で作ってはるんですか?」
「そうですよ」
「ホールもお一人で?」
「ええ。以前は後方は両親がやってたんですが…半年前に、事故で」
皆まで言わなかったが、察してくれたらしい。柔造は驚き、そして痛ましそうに相槌を打った。
「なるほど…せやけど、全部一人で回すんは、しかもマーケティングまでするんは、普通じゃあり得んですよ。俺やないけど、倒れてまう」
「そうはいっても、大学は経営やらなかったんで…今さらどうしたもんかな、と」
「サービスは非貯蔵性、無形性、一過性、不可逆性、認識の困難性の5つを基本特性としとります。せやから、需用と供給のバランスをコントロールするにはこの特性に合わせた対策が基本なんです」
「いやいや、難しいこと言わないでくださいよ…あー、いっそ、志摩さんがウチの経営してくれたら楽なんですけどね、」
なんちゃって。そう笑うと、柔造はハッとした顔をした。まさか、と思うと、柔造は「それや!」と立ち上がる。
「二宮さんもご両親亡くして大変やと思うし、俺かて現状に煮詰まっとります。せやから、俺と二宮さんでこのお店経営すれば、俺かて在学中からずっとやりたかったことやれてええんとちゃいます!?」
立ち上がった柔造は千秋の手を掴み、両手で包み込んだ。熱い温度は存外気持ち悪くない。確かに、傷を舐めあうというと聞こえは悪いが、似た者同士側にいるのはありかもしれない。経営を助けてもらえるのもありがたい。
しかし、頷くわけにはいかなかった。
「会ったばかりですよ、俺たち。何より、」
千秋はベトナム語や英語が記載されたコーヒー豆の袋を持ち上げ、柔造の前に差し出す。
「あなた、コーヒーの何たるやも知らないままカフェの経営やろうなんて甘すぎません?コーヒーは苦いんですけど」
「うぐ、正論な上に上手い言い方しはる…何も言い返せへん…」
そう、コーヒーはあらゆる意味で甘くないのだ。チェーン店をあえて選ばないような客の舌は大概肥えていて、妥協なんてできないし、こちらもコーヒーを愛する者としてしたくない。一般的な飲食店経営方法すら知らないのは確かだが、机上の空論という言葉だってある。現場はありとあらゆることを考えなければならない。それは時として計数で測れない人の感情をも包摂している。
「柔造さん、まずは知ってください。コーヒーのこと、店のこと、この街のこと、そして俺のこと」
「…おん、せやな。二宮さんの言いはる通りや。じゃあ二宮さん、今度デートしまへん?」
「……ん?」
柔造はにっこりと笑い、千秋の手を再び掴むが、今回は王子が姫の手を取るような恭しさを醸し出している。
「教えたってください、コーヒーやこのお店、街、そして二宮さんのこと」
どうやら、一筋縄ではいかない曲者のようだ。でも、悪くない。
面白い人に会えたな、千秋はこのとき、まだそんなことしか考えていなかった。
まさか、1ヶ月で柔造のアプローチに陥落して「結婚したってください!」という言葉に頷いてしまおうとは、思いもよらなかった。