カフェの街で−3


目の前に置かれた白いカップに、慣れた手つきで注がれる黒いコーヒー。そこから立ち上る香りは、まるで目に見えるのではないかとばかりに濃いものだった。




リラックスしようと訪れた吉祥寺、柔造は有名な公園に入るも、曇天の空からは見えない圧力が街にかかっているかのようにずっしりと空気が重かった。それでも木々の匂いは爽やかで心地よく、緑の景色と鮮やかな紅葉はそれだけで来た甲斐があった。
そのままプラプラとゆっくり歩いていると、だんだん疲れてきて、そろそろカフェにでも入ろうと大通りを目指した。
しかし、通りに出るとそこは思っていたところと違い、広大な公園でかなり繁華街から離れてしまったのだと気付いた。どこか入れないか、と見渡すと、近くにカフェがあった。しかも、以前金造の雑誌に載っていた有名店だ。
『イケメンオーナーとコーヒー、そして美味しいケーキで、目もお腹も眼福満腹!吉祥寺のお洒落カフェ』と題されたページだったと思う。確かに、オーナーだという若い青年はモデルのようだった。ダークブラウンの清潔感ある髪形に、白いシャツと黒いサロン型エプロンが似合っていた。
実物を見てみようか、という一種ミーハーな気持ちもあって店に入れば、意外にも誰もいなかった。水曜の昼過ぎ、しかも雨の予報と来れば当然か。そうひとりごちて、柔造は促されるままカウンターにつく。
注文はオーナーに任せる。オーナーは写真よりもさらに整っていて、手際よくサイフォンを調節する様は女性が見惚れるのも分かる気がした。

それにしても若いな、と思った。
見た目は柔造と同じか年下に見える。だが、纏う雰囲気は柔造より年上に見られても不思議ではない。それほど大人びた空気感を纏っていた。
喋る口調は堅すぎずラフ過ぎず、柔造の返答にも丁寧に返す。具合があまり良くないことを見抜いているのか、喋るスピードや声の出し方も気遣いが窺える。だが、それはとても自然で、あまり気を遣われているような感覚がせずこちらも自然体でいられた。なんというか、ビロードで包み込まれているような会話だ。それが、なんだか良く分からないがとても心地好かった。


そして出されたコーヒーは、気圧や倒れたことによる疲労やら不調やらを吹き飛ばす香り高いものだった。口をつけると、香りと酸味の抑えられた芳醇な苦味がまろやかに舌を転がり喉へ落ちていく。鼻腔を突き抜ける香りが、脳に薬のように広がった。


「お、いしい…」

「ありがとうございます」

「こないなうまいコーヒー、初めてや…!どんな魔法使いはったん…?」

「二宮家に伝わる秘技、とでも言っときましょうかね」

「二宮さん、いいはるんですか」

「あ、はい、二宮千秋といいます」

「志摩柔造いいます、」


柔造はつい癖で名刺を渡してしまった。なぜかカバンに入っていた。二宮というオーナーも名刺を渡してくれた。


「志摩さん、っておっしゃるんですね…超有名な百貨店のバイヤーさんだなんて、すごいですね」

「そんな大層なもんやあらへんのです。残業多いし、上手くいかへんことばっかりなんですわ…恥ずかしながら、それで倒れてもうて」

「えっ…もしかして、それでお休みを?」

「そういうことですえ。ちょうど、企画がなーんも通らんで詰まっとったさかい、心機一転せえっちゅう会社のお達しなんやろうけど…正直、やりたいこともやれんで、ただ金稼いで弟たちん面倒見るんも疲れてもうてん…」


つらつらと口をついて出てくる言葉が止められない。こんなこと、まったくこのオーナーには関係のない話だ。いや、まったくの無関係だから話せるのかもしれない。加えて、包み込むような優しさと素敵なコーヒーで迎えてくれるものだから、自然、自分でも気付いていなかったようなことが言葉になった。
今まで言ってはいけないと封じ込めたいたものが、この人になら言っても大丈夫かもしれない、と思えたのだ。


「事故で兄貴…長男亡うなって、俺が家継ぐことになって…方々から期待だけされて、東京の大企業入って、弟たち都内の大学と高校に進学させて、会社ではワケわからんことやらされて…もう嫌なんですわ、俺ばっかり責任取らされなあかん…」


それは本心だった。なんで自分にばかり、こんな責任が押し付けられてくるのか。やりたかったこともやれず、つらい仕事を徹夜でやらされて倒れる。そんなことのために東京へ来たのではないし、生まれてきたのではない。
そんな、柔造の悲鳴だった。


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