救いの祈り2−1
ライトニング(30)×主(20)
2009年5月。
マレーシア、首都クアラルンプール。高層ビルが林立するKLCCから南西にあるモスクの地下に、正十字騎士團マレーシア支部がある。ぽつんと扉だけがある広い空間、その扉から千秋とルーインは出てきた。
途端に感じるむわっとした熱気に、思わず千秋は顔をしかめた。扉の向こうはヴァチカン、気温は20度もない。今は5月で、地下ともなれば15度前後になるのが普通だった。
「クアラルンプールの気温は…」
「35度だね!」
「うわ…」
一方、この常夏の赤道国家マレーシアは、常に30度を超す国だ。優に15度以上は気温差がある。騎士團のコートの袖を捲っていると、マレーシア支部の支部長がやって来た。短パンにシャツ、襟元に辛うじて騎士團のバッジをつけているだけの浅黒い親父だ。
「クアラルンプールへようこそ、聖天使團の御二人!お会いできて光栄です!」
「どーも、アメリカ支部上一級のルーイン・ライトです」
「はじめまして、ヴァチカン本部の上一級、千秋・ジュマイエルです」
握手を交わすと、支部長はどうでもいい世間話を始めた。もともと流れる時間が遅いルーインは笑いながら応じている。千秋はといえば、早くここを出たかった。酷い悪臭が立ち込めているからだ。
「いやぁ、臭いでしょうここは!この上のモスク、近くにどぶ川が流れてまして。下水垂れ流しなんですよ」
分かってるなら早くしろ撃ち殺すぞ、と千秋は内心で毒づいた。
***
聖天使團のうち、今回派遣されたのはルーインと千秋だけだった。昨年発生したリーマンショックのあと、世界各地で自殺した者のゴーストなど悪魔が大量発生し、各支部が対応に追われていた。2人に任務が与えられたのも、クアラルンプールで悪魔堕ちした資本家がいたからだった。
マレーシアをはじめASEANはまだまだ騎士團の力が弱く、マレーシアに至ってはほとんど祓魔師がいない。もはや、力のあるシンガポール支部のクアラルンプール出張所と言っても差し支えなかった。
今も、クアラルンプールの祓魔師たちは通常業務とゴースト狩りで手一杯で、悪魔堕ちなどという上級悪魔を倒すことは難しかった。そこで聖天使團の誰か一人が行けばいいだろう、とヴァチカンが助っ人を出したのだが、それがルーインだった。ルーインはどうせならと千秋を道連れにし、こうして2人で太陽のぎらつくビル街を歩いている。
「…暑い…無理…」
「そんな暑いなら夜までマレーシア支部で待てば良かったのに」
「あんなくせぇとこいられるか!」
こんな昼間にわざわざ歩いているのは、あの悪臭の立ち込める支部にいられなかったからに他ならない。汗だくになりながらも現場となっている高級マンションに入る。正面にクアラルンプールの象徴、ペトロナスタワーを構えるマンションだ。騎士團の免許証を見せればすぐに通される。
エレベーターで最上階に上がれば、どうやらそこはワンフロアを部屋としているようだった。
「さーて、突入するか〜」
「…任せた」
「もうちょい筋肉つけないとね」
ルーインは苦笑すると、思いきり扉を蹴破った。よくも足だけで頑丈そうな扉をぶち破れるものだ。
暗く長い廊下の先からは物音がする。逃げられる前に仕留めなくては。
「主イイスス・ハリストス、神の子よ、我、罪人を憐れみ給え」
走りながら呟き、コンボスキニオンを巻く左手付近にラバルムの魔法円が展開される。そこから銃剣を取り出した。ライフルの先にピックがついたものだ。
ルーインがリビングへの扉を蹴破ると、そこには角と尻尾を生やした男が立っていた。こちらを見て驚く男に突っ込んでいく。後ろではルーインのいつもの略式詠唱が始まっていた。
ライフルを放ち、男が飛び退いたところへ銃剣の先を突き刺す。ぐさりと男の肩に刺さったところでもう一度発砲し、今度は千秋の方から飛び退く。
入れ替わりに、ルーインが呼び出した虎の悪魔が男に噛みついた。
しかし男はニヤリと笑うと、どこからともなく無数のゴブリンを召喚した。低級とはいえ、狭い室内で50匹近くいる。逃げるつもりだ。
「ルーイン!」
「おっけ〜」
叫んだだけで了解したらしい。ルーインはさっと男に詰め寄る。ゴブリンは千秋の担当だ。
「我は災いなり。我は汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者なり」
波のように、家具を薙ぎ倒しながら迫ってくるゴブリンに、焦らず唱える。すると、魔法円が左手だけでなく、千秋の前に円を組むように6つ並んだ。そこから、様々な銃器の銃口だけが出てくる。手に取らず、自動で発砲するものだ。
「キリエ・エレイソン」
最後にそう呟けば、魔法円から次々と銃弾が放たれはじめた。ゴブリンたちは一斉に被弾し、瞬く間に掃討された。僅か15秒のことだった。
魔法円を消せば、ルーインも悪魔堕ちを余裕綽々と倒していた。