林間合宿と動揺−7
カレーを食べ終わったあとの夜、入浴の時間になった。わらわらと大浴場に向かっていくが、灯水と焦凍は今日も同じタイミングで風呂に入った。普段から長風呂の灯水は、今日の訓練が冷水に浸かることだったのもあってことさらゆっくりと浸かる。一方、焦凍は縁石に座ることもせずにすぐに出た。
「ちょっと今日はもうお湯はこりごりだ」
「あー、確かに。先出ちゃっていいよ」
「おう」
対して焦凍はずっと五右衛門風呂にいたし、恐らく明日も同じなため、さっさと出て行った。代わりに、他の男子たちも入ってくる。
昨日と変わってそう騒がしくない。テンションが落ち着いたのと、疲れからだろう。縁石にもたれてじんわりと温まっていると、正面に切島と上鳴がやって来た。
かなり湯舟が埋まって来たからか、爆豪も灯水の右隣に1メートルほど開けて入ってくる。ちなみに灯水の左隣には緑谷と飯田がいた。
「灯水君は訓練大丈夫だった?」
「うん、なんとかね。ぎりぎりだったけど」
「轟君もそうだけど、もろに苛酷そうだったもんね」
「皆と変わんないよ」
苦笑していると、前にいた切島が「なあ」と声をかけてきた。そちらに目を向けると、真面目な顔をしている。
「ん、なに?」
「…灯水さ、ほんと、悩みとかねぇの?」
突然脈絡もなく聞いてきた切島に驚く。それは緑谷や飯田もそうで、「そうなの?」という目を向けてきた。
「えっ、どうしたの急に」
「最近、やっぱ思いつめた顔してること多いしよ。さっきもそうだったし…」
調理中に焦凍の様子を見て感じていた心の痛みが表に少し出てしまっていたのだろう。まずったな、と思いながら慌てて笑う。
「疲れただけだよ、期末とかでここんとこ忙しかったし」
すると、切島は上鳴と目を見合わせた。上鳴まで真剣な表情をしているため、いつの間にか周りも静かになってしまっていた。爆豪もこちらに意識を向けているのが分かる。
「あとさ、その…作り笑いも、やめた方がいいと思うっつーか…いや、そうじゃないなら本当にごめんなんだけどさ」
そして上鳴が言った言葉に、今度こそ体の内側がすっと冷えるような感覚になった。
「…、作り笑い?」
「今のもそうだけど…少なくともクラスで話してるときって、なんか、灯水の笑顔が貼り付けたやつっぽく見えて…」
「そうそう。灯水から話しかけてもらったことってほぼねぇし、全然踏み込ませてくれねぇ感じするしよ。なんか、俺らのこと、ダチだって思ってくれてんのか、不安になっちまったんだ」
指摘されたことを意識的にやっていたのなら、うまく対応できた。だが、灯水としてはまったくそんなつもりがなかったのだ。
確かに中学時代はそうだった。一線引いて、本心ではまったく違うことを思っていて、仮面のように貼り付けた笑みで話していた。そうすることで自分に素直なあまり敵をつくりやすい焦凍の敵を減らせると思ったからだ。
A組に入って、灯水はそういうことをする必要はないと分かって、焦凍自身も変わり、灯水はA組のメンバーと素で接しているつもりだった。しかし言われてみれば、そもそも他人と「本当に正面から」付き合ったことなどなかった。いつだって他人は焦凍を守るための要素のひとつに過ぎなかったからだ。人付き合いすら焦凍本位だった。だから、そもそも灯水は知らなかったのだ。まともな人との付き合い方を知らずに、表面的にうわべだけで仲良くするやり方しかしてこなかったのである。
それによって、こうして切島たちと本心でやり取りしているつもりでも向こうがそう感じられないようなコミュニケーションしか取れなかった。それは今まで普通の人間関係をないがしろにしてきた当然の帰結である。
また、自分が分からないという今の状況を人に話すわけにはいかないと無意識に切島たちの善意をブロックしていたこともあったのだろう。切島たちは何も悪くない。向こうは友達だと思ってくれているのに不安にさせた灯水が悪いのだ。
すべて、自業自得だ。
灯水は、人とのまともな付き合い方も分からない。自分のことすら分からないのだ、ここまで来たらもう「人格破綻者」と言っても差し支えない。
A組の中でなら頑張れると思った。だが、灯水はA組の優しい人たちをこうして傷つけた。そんな破綻者が拠り所にしていい場所ではない。そう思うと、何とか頑張る気力として維持していた最後の心の明るい部分も、割れたところからこぼれてしまった。こうして完全に、灯水は自分の心の器が空っぽだと、はっきり認識してしまったのだった。