気付けなかったこと−2
翌日、2人は母が入院している病院にやって来た。今までは焦凍の近況報告のために来ていたようなものだったため、今になってどんな話をすればいいのか分からない。母親と何を話せばいいのかも分からない自分に少しショックを受けるが、そんな些細な機敏すら焦凍は見ていたようで、病院の敷地内に入ってから歩くペースが落ちた灯水の腰をぐっと引き寄せる。
「焦凍…?」
「んな硬くなんなよ。大丈夫だから」
距離が近づいた焦凍の目を見上げると、落ち着かせるように薄く微笑まれる。それだけで緊張がほぐれていくような気がした。
頷いて返すと、距離の近さを思い出して離れる。途端に不満そうにする焦凍に、「いやおかしいから」とつっこむが、不貞腐れた様子を隠そうとしなかった。
そうして病室にやってくると、焦凍が躊躇いもなく扉を横に開く。いつものようにベッドに腰かけた母は、パッとこちらを向くなり笑顔を浮かべる。
先ほどの焦凍のような薄いものではなく、心からの満面の笑みだ。
「久しぶり、灯水」
「…久しぶりだね、母さん」
そんな笑顔を初めて見た灯水は一瞬動揺した。焦凍と会うようになって、母も目に見えて変わったようだ。そうした変化に置いて行かれているような、そんな動揺があったのだ。
「良かった、一応警察の方から伺ってはいたけど、どこも怪我なさそうね…本当に、良かった…!」
しかし母のその笑顔に、涙が一筋流れると、そんな動揺はすぐに掻き消えた。すぐに駆け寄って、その繊細な手を優しくつかむ。
「大丈夫だよ、ごめんね、心配かけて」
「いいえ、私こそ謝らないと」
母はそう言って、涙を拭って灯水を見上げた。焦凍は少し後ろで様子を見守っている。
「この2か月、焦凍とたくさん話をして、気づいたことがあるの。私、焦凍の話は知っていることが多かったんだけど、焦凍がしてくれた灯水の話はまったく知らなかった。今まで、あなたには焦凍のことばかり聞いて、灯水のことを聞いていなかったんだわ。ここに来てくれているのは、灯水なのに」
冬美もそうだが、そうなるのようにしたのは灯水だ。焦凍のために生きてきた一環として、家族の意識が焦凍に向かうよう、灯水は努力してきた。だから、無意識に冬美も母も焦凍だけを心配していたのだ。
「それに気付いて、私は周りが見えてなかったって反省したの。次に灯水が来た時に、謝らないとって。でも、その前にあなたが拉致されたって聞いて、私、もうあなたに謝れないんじゃないかって…もう、話せないんじゃないかって、思ったのよ…!」
「母さん……」
「ごめんね、ごめんなさい灯水、寂しい思いをさせて…あなたが無事で、本当に良かった…!」
あぁそうか、と灯水は納得する。家族の意識が焦凍だけに向かうように自分でしておきながら、灯水は寂しかったのだ。自分でも気づけないような深いところにその感情を押しとどめていただけで、本当は寂しい思いがあった。
再び涙を流す母につられるようにして、灯水の頬も同じものが伝う。手を握ったままで拭うこともできないでいると、温かいものが灯水の肩を抱く。焦凍だ。
焦凍は灯水と、合わせて母の肩にも手を回した。灯水よりも10センチ身長が高いだけあって、2人をまとめてその腕にやんわりと抱き締める。母と2人、少し驚いて焦凍の顔を見ると、焦凍はひどく優しい顔をした。
「…そのびっくりした顔、そっくりだな。やっぱ灯水はお母さん似なんだな」
声も優しく言う焦凍に、母と2人顔を見合わせると、2人して軽く笑って、笑いながら目元を拭った。そんな仕草までほとんど同じタイミングで、灯水は急に、目の前の母がとても愛おしく感じたのだった。