″必要″−1
「また随分綺麗なの入ってきたな」
「言い方おっさんくせぇぞ黒尾」
2年に上がった黒尾が、高校初の後輩を迎えたときのことだ。
初めて伊吹を見たとき、そんな感想を漏らしてしまい、隣に立っていた夜久に引かれた。
心待ちにしていた幼馴染の研磨の他にどんなヤツが入ってくるか楽しみにしていた黒尾だったが、そのクールな凜とした顔立ちの綺麗さに驚いた。モデルか何かと思ったし、最初の挨拶で聞いた声は思ったよりも低く明瞭なものだったため子役かとも思った。
その真偽が定かではないのは、まだ誰も伊吹に個人的な話をしかけていないからだ。
新入生の挨拶を終えて部活に混じった彼らは普通に練習をしているが、伊吹はマネージャー希望でドリンクを作っている。経験者らしいが怪我などがあるわけでもない。古豪とはいえ男子バレー部はいつも人が少ないため選手をやって欲しかったが、猫又監督も断られたそうだ。
「お、あいつ一人になるぞ。行って来いよ」
「俺が?」
「次期主将だろ」
「まだ2年になったばっかでしょーが…」
夜久に急かされて、黒尾は仕方なくスクイズボトルを持って出て行った伊吹について行くことにした。歩くのが速いのか、もう姿が見えない。
ゆっくりと歩いて体育館を出ると、蛇口が並ぶ水道で伊吹が3年に囲まれているのが見えた。練習中なのに3年がここにいるのはサボりでしかない。卒業した3年が引退してから兆候はあったが、いよいよ彼らのサボりは顕著になっていた。
「なぁ、お前、なんでマネージャー?」
「つかそんなイケメンならサッカーとかバスケとかやりゃあいいじゃん」
「…、先輩たち、練習戻んなくていいんすか」
「は?質問に答えろよ」
何やら険悪な雰囲気だ。3年はちょっと興味があるだけというより、なけなしの自尊心を傷付けるような、明らかに男として上位存在の伊吹が不愉快なだけなようだった。
慌てて黒尾はそこへ割って入る。
「先輩!監督が呼んでます」
「マジ?チッ…」
自慢ではないが、人に気に入られる処世術に長けた黒尾は上級生と夜久のような主張の激しいメンバーが衝突するのを防いできた。
猫又監督はもちろん呼んでなどいないが、呼ばれたと言って3年が来れば察してくれる。適当に指示を出すだろう。
3年が体育館に戻ると、黒尾はようやく伊吹のところへ向かった。
「あんま社交的じゃねえんだな?」
「…悪いすか」
「いんや?生きづらそうだとは思うけど、俺はそういうの気にしねえし。3年がいなくなりゃ、学年関係ねえ部活にするつもりだ」
「……ありがとうございました」
どうやら警戒はある程度解いてくれたらしい。礼を言った伊吹は、目付きも態度も口も悪いが、礼儀はあるようだ。
「どいたま。な、さっきの先輩たちの質問に答えなかったの、言いたくねぇ事情なのか?みんな気にしてっから、それなら言っとく」
黒尾自身、シングルの家庭であることもあり、今どき様々な事情が各家庭にあるものだと分かっている。そういうセンシティブなことにズケズケと踏み込まれている姿を、黒尾自身が見たくなかった。
「…や、別に。話すと長くなるから面倒だっただけっす」
「そっか。じゃあ、マネージャーやってる理由聞いてもいいか?人はいつも足りねえんだよ」
伊吹は嘘をついているわけではないし、口ぶりからして遠慮するようなたちでもない、本当に面倒だったのだろう。それならと黒尾が踏み込んでみると、伊吹はあからさまに面倒臭そうにしながら口を開いた。
「親が離婚したんすよ。母さんに親権渡ったけど、実家と揉めて体調崩して。俺、母さんの実家から疎まれてっから、母さんには実家に戻って休んでもらって、俺は東京の母方の親戚に世話になってるんです」
「選手やると親戚に迷惑かけるからマネージャー?」
「……察しいいんすね」
「気持ちは分かる。俺も片親だしな」
どうやら少し似た境遇なようだ。珍しい話でもないが、伊吹は母方の実家に嫌われているという自覚があり、母を優先して東京に出て来たということだ。友人たちと別れて一人。都外から来たと判断したのは、「東京の親戚」という言い方をしたからだ。
「どこ出身?」
「宮城です」
「遠いな!じゃあ、心細いんじゃねえ?」
都内で引っ越した黒尾だって、隣家になった研磨と仲良くなるまでは心細かった。友人たちと別れ、遠く宮城から東京砂漠にやって来て、親戚に気を遣ってやりたいこともやれない状況は察するにあまりある。
「……別に、黒尾さんには関係ねっすよね」
「ん〜?そういう可愛くないこと言われると余計に可愛がりたくなっちゃう黒尾さんに挑戦してんのかなぁ〜?」
可愛げのないことを言う伊吹の頭を撫で回す。「っ、ざけんな、」と拒否するのもお構いなしだ。警戒心の強い猫のようである。
伊吹がこうやって他人と距離を置くのは、恐らくそれが楽だと思っているからだろう。居場所をなくす怖さを、もう味わいたくないのだ。
その気持ちも分かった。黒尾は頑張って社交的にして友人を作ったが、それに疲れたとき、ふと、誰とも関わらない方が楽なのに、と何度も思った。結局は居場所を自分で作ることができたわけだが、研磨のような幼馴染がいたことや、社交的に育ててくれた親のおかげだ。
伊吹はコミュニケーション能力が元から高くないようで、どちらかと言えば研磨に近い。
髪をぐちゃぐちゃにしてしまったのを、黒尾は撫でつけるように優しく梳かした。伊吹はその手付きに困惑する。
「なんすか……」
「可愛いなぁって。悪いが俺はお節介な自覚あっから、覚悟しとけ?」
「意味分かんねえ」と言いながらも、今度は伊吹は拒否しなかった。