朝チュン猛禽類−2
やっとベッドから出ることにした伊吹だったが、足を下ろして立とうとした瞬間、力が入らず床に崩れ落ちた。
落ちるようなそれに「伊吹!?」と瀬見が叫び駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
「……いって……力入んねぇんすけど……」
「連れてく」
瀬見はジーンズに上裸で伊吹は全裸だ。爽やかな朝日に照らされるには嫌な格好だが、腰が痛く力が入らない以上仕方がない。
瀬見に支えられながらトイレに行くと、やっとの思いで用を済ませた。途中、瀬見が着替えを洗面所に用意したからシャワーしろと声をかけてくれた以外はその動向は分からない。
見たところ瀬見の部屋のようだし、基本的には誠実な男であるため、逃げることはないだろう。むしろ、どう謝ろうか必死に考えているに違いない。
すぐ謝らなかったのは、混乱と、伊吹への心配が先行したからだ。
なんとかシャワーも済ませると、下がお湯に触れてじくじくと痛む。渇いていて気付かなかった体液やらローションやらを落とすのも時間がかかった。
なんでこんな目に、と怒ってもいいのかもしれない。
酒に酔っていた上に同じ男であるため、抗拒不能を証明できないだろうから、どうせ告訴しても罪に問えない。女性ですら性暴力が無罪になることがあるのだ、男であればまず間違いなく無罪判決だ。
それでも警察に出ることだってできる。
そんな気が一切起こらず、怒りもないのは、単にそれだけ、瀬見のことが好きだからだ。
ふっ、とお湯を浴びながら自嘲する。
高校生のときの淡い片思いは消えず、上京してから距離を置いても瀬見への想いがなくなることはなく、そしてこんなことになっても怒りにすらならない。
まったくもって、恋は盲目だ。
壁伝いに立ち上がり扉を開けると、すぐに瀬見が入ってきた。相変わらず上裸で、逞しい体を晒している。
「出たか、つらいだろ、手伝う」
「や……別に……」
「いいから、ほら」
瀬見は強引にタオルを広げて伊吹を抱き締めるようにタオルに包んだ。そのまま、伊吹をゆっくりと座らせて、自身の胡坐の上に乗せた。
横向きに抱き締められて座っているこの状況は、相手が思い人ともなればドキリとするものだ。
瀬見はジーンズが濡れるのも構わずに、丁寧に伊吹の体を拭いていく。どこかを怪我したわけでもないのに、傷を労るかのようだ。
「……ごめんな、伊吹」
「瀬見さん……」
ぽつり、と上から落ちてきた小さな謝罪は、形などを作ることもできず、ただ、あまりの申し訳なさから漏れてしまったような、そんなものだった。
「……お前のこと、こんな傷付けちまって……」
「や……酔ってたんで、そこはまぁ……」
「俺は、どんなときでもお前を大事にしてえ。中出しして放置して寝るとか……」
大事にしたい、だなんてことをただの後輩に言えるのだ、本当にお人好しだ。
伊吹は、瀬見が伊吹に性的興奮をしてくれたという事実だけで十分とすら思っているというのに。
「ちゃんと、責任取らせてくれ」
「責任て……女じゃあるまいに……」
「責任取って、伊吹のことをそばで守りたい。今までの何倍も大事にさせてくんねえか?」
そのあまりに強い意志の籠もった言葉に、思わず顔を見上げる。もともと目力の強い男だが、なおさら力強く見詰められ、息ができなくなるような錯覚に陥った。
「…、勝手にすりゃいんじゃねえっすか」
「分かった。無理矢理こんなことしたヤツと一緒にいたくねえかもしんねえけど……これからは1番近いところで伊吹のこと守るから」
「空手黒帯の俺をっすか?」
「物理だけじゃねえよ。心も、体も、ぜんぶ」
ぎゅ、と抱き締められて頭を撫でられる。
同じ男で、なんなら伊吹の方が武力行使においては優位であるのに、瀬見は文字通り守ろうとするのだろう。それは瀬見が自身を上だと認識しているのではなく、瀬見にとっての「愛しさの発露」の形なのだ。それは高校時代の3年で嫌というほどよく分かったし、そんな瀬見の深すぎる愛情を持てる度量を好きになった。
これは、ズルだ。
一晩の過ちと瀬見の責任感にかこつけて好きな人のそばにいようという、同性でただの無愛想な後輩でしかない伊吹が打つことのできる最後の一手である。
(ごめん、瀬見さん)
騙して、良心につけ込んで、うまく事態を利用する自分を許して欲しい。そう思いながら、 伊吹はそっと瀬見の胸元に顔を寄せた。
瀬見はそんな伊吹の頭を撫でながら、内心で謝った。それは、あくまで形だけのもの。
(ごめんな、伊吹。でも、逃がさねえから)
何も覚えていないのも、過ちを犯してしまったのも確かだ。しかし、瀬見はただの責任感や優しさ、誠実さでこんなことを言ったわけではない。
高校時代から好きだった後輩とは上京しても疎遠なままで、なんとか距離を詰めようとした矢先にばったり出会して、その晩に酔った勢いで抱いてしまったわけだが、伊吹は意外にも怒りを見せなかった。
少なからず好意を抱かれているだろうことは分かっていたが、伊吹からの感情はどうしてもハッキリと分かるものでもなく、確証なしに告白して距離が置かれることは避けたかった。そこでこの反応だ、瀬見は冷静に、「本気で押せばいける」と踏んだ。
少しずつ距離を詰めて高校時代の距離感を取り戻してから、と気が遠くなるような工程を思い描いていた瀬見だ、降ってわいたチャンスを掴まないわけにはいかなかった。
一気に距離を詰めて、伊吹につけ込んで、周りを牽制し、囲って、瀬見への好意をはっきりとした形あるものに変化させるのだ。
知らず、瀬見は舌なめずりをしていた。サーブ前のようなそれはまさに、獲物を捕食しに行く鷲のようだった。