温室の鳥籠−1
伊吹は、水泳の授業の前に水着に着替えるべく更衣室で着替えているさなか、 伊吹を守るように立ちはだかる2メートルにそっとため息をついた。
それを横目に見ることもできず、周囲の男子は慣れたようにこちらを見ないようにして着替えている。
それもそのはずで、不動の防御にして笑顔でとんでもない毒を吐く190センチが睨みを効かせているからだ。
もしここに小さな巨人がいれば、鴎台バレー部の恒例ともなってしまった光景が完成するのだろう。
2年生のレギュラーたちが、伊吹に過保護すぎるのだ。
バレーの強豪校である鴎台高校は、最近になってイタリア人の監督を迎え入れてさらに全体の仕上がりが洗練されてきた。
高校からバレーを始めた初心者の白馬芽生は、つたないながらも持ち前の運動神経と2メートルという巨体でもってブロックを築く。
すっかりレギュラーとしての活躍も板についてきたところだが、それに前後して、期末試験対策で一緒に過ごすようになってから仲が深まった。
あまり友達付き合いというものが好きではない伊吹だったが、白馬と過ごす時間は嫌いではなく、むしろ落ち着いた。
だから、隣のクラスである白馬と休み時間なども一緒になるのはまったく構わないのだが、こうやって合同で行われる体育の際にはまさに伊吹と周りとの壁になる。
男である伊吹の着替えを好き好んで見ようとするのはむしろお前と昼神だろ、とはもう言うのを諦めた。
その昼神幸郎は、不動の昼神という異名で知られる有名なプレイヤーで、鴎台のブロックの要だ。身長は当然のように190センチあり、体格もがっしりとしているが、甘い顔立ちと柔和な笑顔、柔らかな物腰のおかげか普段はブロックのときの恐ろしさはなりを潜める。
しかし伊吹のこととなると、突然その表情をなくして温度も色もなくした瞳で見下ろしてくるのだ。姉の影響で女子の扱いに慣れた昼神が、女子にすらその冷たい目を向けるのは、伊吹に関するときだけだった。
「…いつまでやってんだお前ら。着替えたから俺もう行くぞ」
「なっ、ちょーっと待って伊吹、秒で着替える」
「そうだぞ伊吹、俺たちが着替え終わるまで待ってろ」
伊吹が着替え終わったので先にプールに行こうとすると、途端に二人は焦ったように着替え始める。アホか、と思いつつ、これで勝手に行こうものなら何をされるか分からない。
彼らが伊吹に向ける感情の類を理解できないほど、伊吹は鈍感ではなかった。
そうして水泳の授業が始まると、側には控えているものの、さすがに授業を優先するようになった。学業特待生の伊吹と違い、スポーツ推薦の昼神と白馬は体育の成績が肝要だった。
スポーツに特化し、一時は勉学よりもスポーツ優先という校風ですらあった鴎台は施設も充実しており、プールは体育館の地下にある温水プールだった。フィットネスクラブのような綺麗さだ。
しかし、真夏の暑さで冷水にして欲しいという要望が出ると、電気代を浮かせたい学校側の思惑とも一致し、一定の気温を超えると温水機能を停止することになった。
大半の男子にはそれでいいが、伊吹のような細身には堪える。地下というもともと涼しい空間ということもあり、少しだけ寒さで震えた。
「っくし、」
そして小さくくしゃみをすると、すぐに昼神と白馬が振り返った。
「大丈夫!?」
「寒いのか?よし、俺が暖めてやる」
抱き着こうとしてくる白馬の逞しい肩に肩パンを食らわせると、伊吹は心配そうにする昼神に呆れて溜息をついた。
「こんくらいで騒ぐな」
「でも、光来君いたら今頃教師のこと脅してたし、まだマシじゃない?芽生君はちょっとあれだけど」
沈めた白馬に特に同情もなく、昼神はここにいないもう一人を挙げる。それには伊吹も同意だった。
伊吹に過保護な最後の一人、それが鴎台のエースである「小さな巨人」、星海光来だ。
背の低さからは考えられないジャンプ力で圧倒するスパイカーは、ときに背の低さをコンプレックスとしてきたことの反動と元来の我の強さによって癖のある言動をするが、意外と基本はまともだ。しかし伊吹に関することとなると、昼神や白馬にも負けない過保護ぶりを発揮する。
ここにいれば体育教師を脅して温水機能をオンにさせていただろう。
行動力と、ともなう結果の大きさを考えれば、ある意味ではラスボス級と言えた。