水平線上の後悔−4
しかし、岩泉の気まぐれなのか分からず、もしかしたら嫌なことでもあったのかと不安になる。そこで、意図を聞いてみることにした。
「……どうしたんすか、岩泉さん。あんま、こうやってくっつくの、好きじゃねっすよね」
「…は?俺そんなこと言ったか?」
「え……はい、」
岩泉がきょとんとした声を出すため、伊吹は顔を離して見上げる。至近距離からも男前は男前だったが、その表情には疑問符が浮かんでいた。
「及川さんがいつだったかの彼女に甘えられて可愛いて話してたの聞いて、岩泉さん、そんなん鬱陶しいって」
「あー…言ったかもな」
思い当たる節はあったようで、岩泉は曖昧に肯定しつつ、自嘲気味に笑った。
「本気で好きっつー感情に向き合ってたわけでもなく、単に架空の彼女想定してうざく思っただけだな。本当に大切なやつに甘えられんのが幸せだって、知らなかったんだ」
そう言って岩泉はまた伊吹をぎゅ、と深く抱き締める。パーカーとジャケットに阻まれてもしっかりと分かる胸筋は引退しても健在だ。
「……なんだ、じゃあ、もっとくっついても良かったんすか」
「お前こそ嫌じゃねえの」
「嫌そうにしたことありました?」
「いや、お前いつも甘やかされると照れっけど、嬉しそうなの隠せてなくてくっそかわいい」
「そこまで聞いてねっす……」
気恥ずかしくてぐりぐりと胸元に顔を押し付ける。岩泉はくく、と喉で笑って後頭部を撫で付ける。
「……もっと早く知ってりゃ、もっとたくさんくっつけたんすよね。もう、卒業じゃねえっすか……」
そして、伊吹はついに深い部分にあった後悔を口にした。
もう、岩泉との高校生活は終わる。岩泉のいない学校が始まる。すでに部活にはその姿はない。
「……もっといろいろ、できたんすかね。終わんの、早くないっすか。俺、おれ、いやです、岩泉さん、」
鬱陶しがられるかもしれないと言わなかった感情を口にすると、口元が少し震えてしまう。さすがにこれは鬱陶しいだろうか、という不安もあった。
しかし、岩泉はカラリと笑う。
「はは、ホントにかわいいな。そんな殊勝な感じで及川に『アルゼンチン行くな』っつったらあいつ、マジで渡航辞めそう」
「…っ、」
「……さんきゅな、伊吹」
及川が遠くアルゼンチンへ行ってしまうことも、及川と岩泉の二人に支えられてきた伊吹にとってはきついことで、岩泉の言葉に胸が締め付けられるようだった。
しかし、岩泉が続けた言葉は静かで、穏やかなものだった。
「そうやって感情出してくれて、安心した。伊吹は自分だけのこととなるとすぐ、諦めか我慢に走るからな」
「……岩泉さんと、及川さんには、結構、いろいろ言ったっすよ」
「そうだな。でも、恋人っつーのは新しい関係性だったから、また我慢する方向だったろ」
自分でも無意識だったことを指摘されギクリとする。確かに、岩泉とは恋人になってから、どこまで許されるか分からず、また我慢してやり過ごすようになっていたかもしれない。
「これからは、伊吹が怖がってる通り、なかなか会えねえし、時間も距離も空く。だからこそ、密度濃くしなきゃなんねえだろ」
「……はい」
「ん。だから、後悔とか遠慮とか、そういうもん全部、海に捨てちまえ。……全部、流してくれんだろ」
「海に……」
ちらりとサイドミラーを見れば、海がギリギリ反射して見えていた。あの水平線の向こうに、後悔をすべて、捨てればいいのだと岩泉は言う。
「前だけ見りゃあいいんだ。俺たちで決めた未来に、俺たちで進めばいい」
「俺らで決めた未来……?」
「お前はどうなりたい、伊吹」
それはいつしか、離婚が決まって高校を青城以外で考えていたことがバレて、及川の部屋で岩泉に聞かれたことだった。
自分が、どうしたいのか。
「……ずっとそばにいたいです。一緒に、色んなモン見たいです。岩泉さん、」
「あぁ」
「……すきです、ずっと、好きでいたいです」
「俺もだ。……―――愛してる」
胸元に顔を埋めていた伊吹の頬を撫でながら上を向かせると、岩泉はそう言ってそっと口づけてきた。目を閉じて応えれば、波が打ち寄せる音が微かに聞こえてくる。
岩泉が海に連れてきてくれたのは、未来を不安がる伊吹に気付いていたからだろう。恐怖も不安も完全になくなったわけではない。しかし、過ぎ去ろうとする高校生活への後悔は少なくともなくなって、これからどう歩むのか、それを考え実行するために必要な信頼を岩泉に寄せることができた。
もう、大丈夫だ。
伊吹はそう確信できて、それこそが、今最も大事なことなのだと、そしてそれを別の側面でチーム全員にも感じさせていけるよう伊吹も奮い立つべきなのだと、そう分かった。