水平線上の後悔−3
寿司屋に入ると、またさらに店内の待機スペースで待ち、トータルで30分ほどしてから席に通された。すべてカウンターで、回転するレーンの向こうで板前らしき男性たちが忙しなく握っていた。
「これに書くっぽいな」
伊吹が茶などを用意していると、岩泉がペンと注文票を手に取る。どうやら、回転してはいるものの、基本的には注文して直接受け取るらしい。港町の回転寿司は得てしてこのようなスタイルが多かった。
テーブルに置かれたメニュー表、もしくは壁の季節メニューから選ぶようだが、値段がそこそこする。
一皿あたりスタバ1杯分あるかどうかくらいの価格だった。
「トロいってみっか」
「えっ、」
しかし岩泉はそう言って中トロを書き込む。驚く伊吹に苦笑して、岩泉はしめ鯖、えんがわ、びんちょう、ネギトロなどどんどん書き込んでいく。
「引退してからバイトもしてんだよ。だから金の心配はいらねえ」
「…、」
そうは言っても寿司は寿司、額は額だ。しかしながら奢ろうとしてくれる岩泉の心境も分かるため、あまり強く抵抗するわけにもいかない。
それを察したのか、岩泉は注文票を板前に渡してからぽん、と伊吹の頭を撫でる。
「じゃ、晩飯は伊吹が作ってくんね?」
「……わかりました」
妥協点としては適切だ。岩泉は確かにガサツだが、意外にもこうして機微を察してくれるし、きちんと折り合いをつけてくれる。考えていないようでよく考えているのは、青城の先輩たち全員に言えることだった。
そうして板前から差し出された中トロは、金色の皿に載っていた。高いということだ。
2貫をそれぞれ1貫ずつ箸で取り、少しだけ醤油をつけて口に運ぶ。ドキドキとしながら食べた瞬間、柔らかなシャリと同じくらい柔らかな食感でトロが溶けるように咀嚼され、マグロらしい風味は血生臭くなくそれでいて赤身としての癖が上品に香った。
「「ッ!!!うま!!!!」」
つい声を揃えて言ってしまうと、目を合わせてごくりと飲み込む。あまりの美味しさに先ほどまでの色々な感情は吹っ飛んだ。
「すべての憎しみを忘れる味……」
「これはやべえな」
食べ過ぎるわけにはいかないと思っていたが、一つ一つのボリュームがあるためたくさん食べる必要はなさそうだ。時間も半端で売り切れのものも多く、二人は程良くといったところで箸を止めることにした。
その後、会計を岩泉が済ませ、車に戻る。重ねて「ごちそうさまです」と礼を述べると、岩泉は軽くいなした。
「っし、じゃ、次は海行くぞ」
「今からすか?」
「おう。菖蒲田な」
県内有数の海水浴場だが、12月の海など行く酔狂はそういない。
断る理由もなく頷くと、すぐに車は南へと走り出した。今度はカーナビを起動させていた。
仙台市は海に面してはいるが、海まで距離があるため、市民全員がそこまで身近に感じているわけでもない。久し振りの海に伊吹は少しワクワクする。やはり大きなものは気分が良くなる。
30分もせずに到着した海水浴場は、車の影がなく、誰もいない。
車を降りた途端に強い海風が吹き付けてきて、その冷たさに目を閉じる。スタスタと歩き出す岩泉について行くと、白い堤防の上に出る。その先には太平洋が広がっていた。砂浜にも誰もおらず、荒々しく打ち寄せる海は灰色だ。空は曇りがちで、隙間から光が見えるだけだった。
「……さっむ、」
思わず呟いた声は風にかき消されて岩泉には届いていない。それでいい。
寒さにかこつけて岩泉にくっついてみたい気もしたが、そういう接触を好まない岩泉のことを考えて諦める。代わりに、「さみーんすけど!」と文句をぶつけてみた。
そうすれば、岩泉はいつも通り「しょうがねえな」と言って仕方なさそうに笑って振り向く。
「車戻んべ」
「っす」
解放感はあるが、やはりさすがに寒すぎた。12月の東北の海風に打たれるには二人は軽装過ぎて、そそくさと車に戻る。
すると、岩泉は後部座席を示した。促されるまま後部座席に座ると、岩泉は思いきり座席を倒してフラットにする。
伊吹もそれに倣えば、横になった状態で目が合った。
「伊吹、こっち来い」
「え……あ、はい、」
岩泉に呼ばれて近寄ると、寝転がったまま抱き締められた。胸元に顔を押し付けられ、突然の温もりに驚く。
「なっ、岩泉さん!?」
「やっぱ冷えてんな」
腕枕のようにして抱き締められ、伊吹は目を白黒させながらも、じわじわと温もりに嬉しさを感じる。岩泉から許してくれたこの距離は、今まで行為のときくらいしかなかった。