信じる覚悟−5


卒業後、伊吹はデザイン会社で働き始め、インターンでの経験もあって順調に仕事を任されるようになっていった。社会人になった途端に一日が急に短くなり、それが積み重なる一か月はもっと短くなった。納期という期日が頭の中に常に染みつき、指先が勝手に動くメールの挨拶もどんどん増えていった。

すっかり自分が変わったからか、高校の後輩たちが変わらず頑張っている姿を見ると変化のなさに驚いてしまう。もちろん彼らは成長しているし、試合を見るとそれを実感するのだが、そうではなくて振舞いや言動、見た目といった見てわかる部分のことだ。もはや、高校生という概念が変わらずに存在していること自体が新鮮と言ってもいい。

そうしてあっという間に時間が過ぎた夏の日、伊達工バレー部は、ついにインハイ予選を勝ち抜き、全国への切符を掴んだ。

観戦していた伊吹をはじめ茂庭、鎌先、笹谷も喜んでいたし、茂庭はこっそり泣いていたが、伊吹はその後駆け寄ってきた後輩たちがぼろ泣きしているのを見て自分の涙が引っ込んでしまった。しかし他の三年よりも長く彼らと一緒にいたからか、二口たちの代と黄金川たちの代は特に伊吹を見て泣いてしまっていて、それにはさすがに伊吹もつられて目の淵を拭った。
「年取ると涙もろくなるってやつっスか」と抜かしてきた二口は沈めたとはいえ、たった数か月前に卒業したばかりの場所なのに、卒業したというその事実だけでまるで保護者のような気分になってしまうあたり、人とは安直なものだと思う。

やがてまた日々が重なっていき、春高は烏野に譲る結果となって、いよいよ二口たちも代替わりとなった。
あっという間にほかの地方よりも早い冬がやってきて、凍てつく風の中で再び赤いバレンタインフェアが終わり、ホワイトデーの文字が躍る3月になった。


伊吹は二口に呼び出され、面倒な入館手続きを経てから懐かしい伊達工業の部室棟にやってきた。もう時間は遅く、すでに大半が帰宅して人気がない。体が覚えているはずなのに、目を通して脳が認識する光景はなぜか新鮮なもので、それは自分が異物だと強く自覚していることに起因しているのだろう。

バレー部の部室に入ると、中には二口だけがいた。外は暗く、部屋の蛍光灯が白々しいほどに明るい。ほかの部員は帰宅したあとのようだ。まだ空気の抜けたボールの残骸が放っておかれていて、こうして何年もここに残り続けたものだったのかと納得する。


「こんな時間に呼び出すとか用務員に怪しまれたわ」

「すんません」


出会いがしらに軽口を言えば、二口は笑って中に促す。伊吹はそれに従って二口の前に立った。少し身長差が開いたようで、もともと15センチ近かった差は15センチを超えたかもしれない。


「伊吹さん、俺も卒業して、OBなんスよ」

「そうだな」

「…就活も終わって、エネルギー会社決まったんで、職場は仙台港です。現場エンジニアっスけど、管理職登用が前提の職制で内定出たんスよね」

「そっか。良かったな。全国出場経験あるヤツは強いなやっぱ」


どこかよそよそしいような近況報告が終わると、二口は足元の鞄からラッピングされたものを取り出した。小さく薄いそれは、お菓子が入っているようには見えなかった。


「受け取ってください」

「ん…なんだこれ」

「開けていいっスよ」


それは開けろということだろう。伊吹は頷いてラッピングを解く。すると、中から革のケースが出てきた。キーケースのようだ。しかも軽い金属音がしたため中にすでに入っている。ケースを開いてみると、家の鍵らしきものが入っていた。


「春からの俺の新居っス。合鍵ごとそれ受け取ってください」

「っ、おまえ、」

「1年契約にしたんで、今年中に一緒に暮らせるとこ探しません?」


伊吹は確かに、1年前に覚悟を見せてくれと言った。言葉でよかったのに、二口はなんとここまで行動してみせたのだ。伊吹は驚きつつ、この後輩がいかに強かであるかを痛感する。そして、これはもう「後輩」ではなく、一人の男として伊吹とともに歩もうと覚悟してくれているということでもあった。


「…ふは、二口、やっぱお前すげーな」

「今更ですか?」

「知ってたよ昔から。だから、好きになった」


そう言って、伊吹は二口に正面から抱き着いた。今まではもっと距離を取っていた。一線を超える覚悟がなかった頃の、後戻りができる距離。それを超えて、伊吹は思い切り二口に抱き着いて、首筋に顔を押し付けるように背中に手を回した。

二口もすぐに応じて抱き締めてくる。


「俺も、俺も、好きです、伊吹さん。待っててくれて、ありがと」

「いつまでも待つっつったろ。くそ、かっけーことしやがって」

「伊吹さんばっか格好良かった先輩後輩の関係だけじゃないですから。恋人は対等がいいタイプっしょ?」

「よく知ってんじゃん」

「だって好きですもん」


二口は軽い口調だが、しかしその声は震えていた。背中に回って伊吹を抱きしめる腕は太く、力強く閉じ込めてくる。伊吹もその首筋にかかる柔らかな髪と厚い肩の感触に目を閉じた。

しばらくそうしてから、伊吹は少しだけ体を離して、至近距離から二口を見上げた。潤んだ瞳を見て、伊吹は薄く笑い、その頬をそっと撫で、そして口を開く。


「―――頑張ったな、二口。お疲れ様」

「ッ!ふ、ぅっ、伊吹さ、ん…ッ!」

「ただの先輩後輩で、ただの主将とマネージャーってだけの関係だったときからずっと、お前のこと、格好いいヤツだと思ってたよ」

「おれ、俺、引退しました…っ、部活…、好きでした…ッ、茂庭さんの頃も、伊吹さんがいる頃も、三年になってからも、ずっと、ずっと、ここが、好きだった…!」


再び伊吹を抱きしめた二口の背中を撫でてやりながら、嗚咽交じりに言う二口に頷く。主将として過ごした1年を含む3年間は、この先の人生のどこにもない3年間だ。かけがえのない時間をかけがえのないものとして過ごしたことこそが、きっととても重要なのだろう。


「お前が築いたものは全部、後輩たちがまた繋いでく。お前らがそうしてくれたようにな。だから、次はお前も見守る番だ」

「はい…っ!」

「これからは俺も隣にいるしな」


ぐっと抱き締めてくる力が強くなる。そろそろ苦しいが、こんなにも強く二口に抱きしめられたことはなくて、思いをすべて受け止めることができているのだとすれば心地よく感じられた。


自分たちを信じて努力して全国をもぎ取った二口。未来を信じて待った伊吹。信じるというのは、陳腐な言葉のようで、その実とても大変なことだ。それでも全力で互いのことを信じる覚悟を決めた。それができたのだから、きっとこれから先のどんな不確かな未来も、自分たちを信じて歩いて行けると、そう思った。



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