信じる覚悟−4
一頻り泣いた黄金川たちをなんとかあやして、ようやく部員たちは帰路についた。伊吹はこれから最後の仕事である日誌を書かなければならない。
部室には不釣り合いな、教室と同じ机と椅子。そこに座って日誌を書く傍ら、唯一残った二口が床にあぐらをかいて待っている。いつも、日誌を書く伊吹の横で試合の組み立て方や練習メニューの調整などをしていて、ちょうど伊吹が日誌を書き終わる頃に二口も切り上げていた。
椅子に座る伊吹が二口の柔らかそうな髪を見下ろすこの位置関係も、これで見納めだ。
そして伊吹は、日誌を書きながら覚悟を決めようとしていたのだが、なんだかそうやって考える方が余計に緊張してしまい、ついに日誌も書き終えてしまった。
「終わりました?」
「え、あぁ…悪い、待たせた」
「いつまでも待ちますよ。あ、もう一つの方も」
「…目敏いな」
二口はそう言ってにやりとしながら見上げてくる。先ほど滑津にクッキーを渡したとき、鞄からもう一つ見えていたらしい。
伊吹は立ち上がり、鞄のところまで行ってクッキーを取り出す。二口も立ち上がって、伊吹の正面に立った。
「あー…こういうのは作ったことねぇから、あんま自信ねぇんだけどさ、」
「とかいって、基本ができる人はなんでもできますよね」
「つかあれな、いつもの飯作るときの感覚だと、甘いモン作るときの砂糖の量マジでドン引きしたんだけど、それでも甘さ控え目なんだよな。信じらんねぇ」
「そーですか。伊吹さん、緊張すると饒舌になりますよね」
「えっ」
思いも寄らぬことを言われてつい見上げると、二口は見たこともないような優しい笑みを浮かべて見下ろしていた。それにドキリと心臓が音を立てて、そして、それが緊張を止めてくれた。緊張を上回るほどの感情が湧いてきたのだ。
「…二口。好きだ」
「はい、俺も好きです、伊吹さん」
クッキーを渡しながら言うと、二口は微笑みを浮かべて受け取る。その様子を見て、伊吹は同じことを考えているのだと確信した。
「……今年のホワイトデーはこっち来れねえし、来年のバレンタインも平日だから仕事だろ。だから、来年のホワイトデーに返してくれりゃいいから」
「…分かってますよ」
渡そうと思えば方法なんていくらでもある。それでもこう言ったのは、二口が引退するまで付き合うことはしないつもりだからだ。それは二口も同じで、それだけ二人は部活のことを考えていた。
こうして毎日遅くまで残って部活に打ち込んできて、その中で互いに好きになった。だからこそ、最後までやりきることを優先した互いの考えが一致したことが、溜まらなく誇らしくあった。
「…俺は先に社会に出る。広い世界に出て、それでも狭い高校で出会ったお前と一緒になろうって覚悟決めた。次は、お前が来年それを示してくんねえか」
「そのつもりです」
「おう。俺も、いつまでも待てるから」
先ほどの二口の言葉を借りて言ってから、伊吹はそっと、正面に立つ二口の肩口に顔を埋める。頭だけ二口の肩に預ける姿勢になって、伊吹はようやく、涙腺が弱り始めた。
「……茂庭たちが先に引退したとき、何も思わなかったわけじゃねぇ。でも、この半年、お前が主将やってるバレー部でマネージャーができて、本当に良かった」
「っ、はい……」
「…ありがとな。二口」
「はい…ッ、」
伊吹は顔を上げて体を離す。互いに語尾が震えていた。それでも、伊吹は拳を突きだした。二口も応じて、互いの拳がこつりと触れ合う。
「―――頑張れよ」
「はいっ、……はい、伊吹さん、」
二口の拳がそっと開かれて、指の第一関節まで触れ合っている伊吹の拳もつられて開く。その指の間に二口の一回り大きな手の指が噛み合って、指が絡み合う恋人繋ぎというやつになる。
二口はその手にそっと額をつけた。前髪に隠れた顔からぽたりと落ちたものを見て、伊吹も、二口のように手の甲に額をつける。二人の額は、互いの手を挟んで至近距離になっていた。
伊吹の瞳からも零れた水滴が床に落ちて、二口のそれと混ざる。
「二年間、ありがとうございました…ッ!」
「うん、」
「ぅ、っ、伊吹さん、好きです、待っててください…ッ!」
「っ、待ってる、二口…1番近くで、待っててやるから」
二人きりになって初めて、二人は別れを整理することができた。この部活を率いる二口と支える伊吹が経験してきた様々な出来事も経験も感情も、すべて、今日で過去のものになる。
今日、伊吹は部活を引退した。