連載: rack up, good luck !−ありふれた話


杜の都、仙台。

そんな雅称が今もなお使われる緑豊かな地方都市、伊吹はそこで生まれ育った。

宮城県は有名なコメのブランドを有しており、主要産業たる米農家の保護は県と市の共通の目標だった。そこで、仙台市内においても川沿いなどを中心に農家の保護が図られ、住宅地は制限された。

その結果、住宅地が近郊の拓かれた山に点在するような都市空間が完成した。そうして意図せずして都市規模のわりに緑豊かな街並みとなり、今でも杜の都と呼ばれる都市となったのである。

かくいう伊吹の両親も、もとは農家の生まれだった。
仙台ではないが、二人とも仙台市とは名取川を挟んで南側に広がる名取市で農家を営み、それなりに有名な家柄でもあった。

しかし過疎の流れは宮城も同じ、まして農家ともなれば土地を継ぐこともままならない。そこで、両親は互いの家の農地を統合することを前提に結婚を認めた。

そこからの展開は、よくあること、というほどではなくとも、珍しくもないような「ありがちな」話だった。

父には夢があった。母には、家庭があった。

空手教室を開きたいという父親の熱意に押され、両家の反対を押しきって、二人は農家を離れ仙台市内中心部に引っ越すと、空手教室の経営を始めた。
伊吹も小さい頃から空手を教わり、その実力は厳しい父親にも認められていた。

しかし空手教室は結局赤字続きで、疲弊した二人はもはや家庭を続けることなどできるはずもなく。
円滑に離婚し、父親は実家に戻って農家を継いだ。

一方、伊吹を引き取った母は、父親の血を引く伊吹が実家で受け入れられる気配のないことを悟り、シングルマザーとして市内の郊外、太白区に引っ越した。
大した悲劇でもなければ、大きな不幸でもない。家庭の在り方も人の生き方も多様化した今、昔ながらの農家を営む祖父母と両親との間に埋められない価値観の差があるのは致し方ないことだ。

ただそれだけであったが、恐らく、最も悪影響を被ったのが伊吹であったことは、自分でもそうだろうと客観的に感じるのだ。


伊吹が空手を始めたのは5歳の時で、父親が空手教室を開いたのは10歳のときだ。
14歳、中二のときには黒帯まで取得しかなりの腕を認められていたが、その年に離婚調停が始まり、中三のときには離婚は確定していた。正式に手続きがすべて終了したのは受験直前の冬だった。

もちろん両親の離婚はつらいことではあったものの、伊吹はどちらとも仲が良く、父親とは連絡を取り続けて空手の稽古もたまに名取の実家で行ってもらっている。
母親の実家からは拒否されたが、母はそれでも1人で伊吹を育てる決意をしてくれたし、シングルマザーに厳しい街でもない。

こうして、伊吹は特に受験に大きな影響のないまま両親の離婚という出来事をぬるっと経験し、高校に進学した。
むしろ受験を巡るごたごたとなったのは、実は家庭のことではなく、部活のことであったりする。




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