連載: rack up, good luck !−2
伊吹は父親が空手教室を開くのに合わせて名取から仙台の青葉区に引っ越し、仙山線沿線の住宅街のアパートから近くの北川第一中学校に通うことになった。
北川第一はバレー部が強いことが有名で、空手部がなかったこともあり、何かやらねばならないのなら伊吹は変な文化部や面倒そうなサッカーやバスケなどの部活をやるよりも、ボールが「遅く」、スピードも「緩い」競技という印象のあったバレー部に入った。
入ってみればどうだ、バレーボールはまったく遅くも緩くもなく、むしろスパイクによって放たれる剛速球は他の球技にはない威力と球速を誇るものである。入るところを間違えた、正直そう思った。
しかし練習に励むうちに、空手で鍛えた体幹によって支えられたフォームと、組手ばかりをする中で培われた腕力やバネが生かされるプレースタイルが確立されていき、いつしかレギュラーにまで上り詰めていたのである。
ウィングスパイカーとしてボールを相手の陣地に叩き込むプレーは、2年にして部の中心的存在となっていた及川徹、岩泉一にも注目されるようになり、それがレギュラー入りを果たした要因でもあるようだ。
こうして、先輩たる及川と岩泉の指導もあって、伊吹が試合で活躍する機会が増えていき、県内では注目株としてバレー雑誌の特集となったこともあった。
そして中3、及川たちには青葉城西に誘われていたものの、離婚によってシングルの家庭となることが決まっていた伊吹としては、金のかかる私立に行くことはおろか、選手を続けることも考えていなかった。
バイトをして家計を支えるつもりだったので、選手として練習に励むことは時間的に厳しい。さらに言えば、成績を良くすることで奨学金を得ようという心積りでもあったため、勉強する時間も確保したかった。
そうすると、選手として活動するには限界があることは明確だ。そもそも選手は色々とお金がかかる。
私立で、しかもバレー部で選手としてプレーを望んでいる及川たちのところへ行くのは様々な理由で難しいと判断したわけだ。
それでも、なんだかんだバレーが好きになっていた伊吹は、公立でバレーが強いところを志望した。選手でなくとも、マネージャーとしてバレーに関わりたかったのだ。
そこで受験したのが、烏野だった。伝説の監督である烏養監督が再任すると言われていることもあり、偏差値も低すぎず高すぎない。
及川たちに青城ではなく烏野を選んだことを話すのは、離婚のことなど複雑な事情がたくさんあったことや、二人にバレーをやろうと説得されて心動かない自信もなかったため、理由をつけては避けていた。
及川たちとバレーをしたいのは伊吹とて同じだったのだ。
やがて、受験を終えて烏野に合格したところで、3月、ついに重い口を開いた。
「なんで何も言ってくれなかったわけ!?言ってくれたら何かできたかもしれないのに!!」
及川は予想通り激昂した。バレー部の更衣室に三人だけ、静かで小さな部屋に響く怒鳴り声。
分かっていても、仲の良い人物から怒声を浴びるのは、正直つらい。岩泉は何も言わずとも同意のようだった。
「…あんたらに言えば、俺は今でも家族と暮らせたんですか。んなワケねっすよね」
だから、それに対してついそう返してしまった。もともと伊吹は口が悪く愛想も悪い言動をするが、そのときは輪をかけて態度が悪かった。それもあってか、及川は深く傷ついた顔をして、岩泉ももともと黙っていたが更に押し黙ってしまった。
その空気が耐えられなくて、伊吹は部室を飛び出した。いや、逃げ出したのだ。これまで伊吹に向き合い続けた二人に、背を向けてしまった。
その帰り際にスマホを落としてデータが吹っ飛び、SNSをしていなかった伊吹は連絡手段を失った。しかし二人にまた連絡先を求めるようなことも、まして連絡することなどできるわけもなく、ついに音信不通のまま、北川第一を卒業してしまったのだった。