アルコールと春の夜−3


この恋人はどれほど伊吹のことを気にかけるのがうまいのだろう。
ここが居酒屋でなければ抱き着いていたかもしれない。無性にくっつきたくなった伊吹だったが、ぐっと堪えて「あざす」と小さく礼をする。
しかし、伊吹は取り皿から枝豆を取りながら、ちらりと黒尾の顔を覗き見た。これほど伊吹の機微を察するのが上手なら、この気持ちにも対応してくれないだろうか、という、あまりにも分かりづらい甘え方をしている。


「…ったく、この1年でいつの間にそんなあざとくなったのお前」


それを見た黒尾はそう言って苦笑すると、立ち上がって少し離れた席の三年生の幹事にお金を渡す。驚かれていたが、すぐに納得していた。
そうして戻ってくると、伊吹に立つよう促す。


「俺らこのあと高校時代の部員と飲みあっから抜けます」


伊吹が立ちあがると、黒尾が近くの三年生たちにそう声をかけた。「えーっ!」と一斉に声が上がるが、もともと伊吹がサークルへの参加届を出していないことは知っているらしく、すぐに「まぁいいか」という表情になっていた。大学生の付き合いなどそんなものだ。
一年生からは少し惜しまれる目線をもらったが、伊吹は関わる気がないため黙殺する。

伊吹も適当に上級生に挨拶してから、黒尾に連れられて居酒屋をあとにした。


「…よく分かりましたね」


春の夜、冷えた空気が繁華街の熱を強い風で飛ばそうとしているかのような中に出て伊吹がそう言うと、黒尾は小さく笑う。


「分かるくらい好きになったってこと」

「…そーですか」


直接的な言葉に、伊吹は黒尾の方を見れなくなってしまい少し俯く。黒尾はそれを見下ろしておかしそうにしながら、伊吹の顔を腰をかがめて覗き込んだ。


「照れた?」

「……わりぃっすか」


気付いてくれるか際どいラインで甘えたことに、いざこうして気付かれてしまうと気恥ずかしさが勝る。伊吹の返答に黒尾はまた笑い、人込みから伊吹を庇うように軽く肩を抱き寄せて、すぐにその手を離した。
大学に近いここで「そういう」目立ち方をするべきではないのは黒尾も伊吹も理解している。


「…さーて、伊吹が可愛すぎるからそろそろ二人きりになるか」

「俺ん家っすよねそれ」

「だめ?」


実家暮らしの黒尾に対して、早く一人になりたくてすでに一人暮らしをしている伊吹が場所を提供することになる。黒尾はあえてそんな聞き方をしてきた。からかうような空気の中に、確かに甘さも含まれたそれに、伊吹が断るという選択肢は最初からなかった。
何よりも、伊吹は黒尾と二人になりたくて居酒屋を抜けだしてきたのだ。


「…鍵、あとで渡します」

「え……」

「…泊まりに必要なモンくらいは、置いてってもらっていいんで」


精一杯の伊吹のアピールだったが、黒尾にはダイレクトすぎたほどだろう。黒尾は少し顔を赤らめてから、「ずりぃー…」と呟いた。
意趣返しをしたつもりもなかったが、若干気分が良くなった伊吹は「さっさと歩いてください」と軽口を叩く。

その後、泊まっていった黒尾に意趣返しのように散々啼かされたのは言うまでもない。



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