居場所−1



「伊吹入って!」


よく通る声とともに美しい弧を描くトス。僅かに伊吹の打点を引き上げつつ、伊吹が空中で長くとどまって体幹をフルに活用しボールを振り落とすための高さだった。絶妙に調整されたそれは、長い間伊吹にトスを上げていた及川の実力だった。

そんな、及川のトスが好きだった。


「っしゃあ!!レフト来いやぁ!!」


低く野太い声が響いて、直後、ボールは相手のコートに轟音とともに叩き落された。圧倒的な腕力とコントロール能力によって、剛速球はブロックをぶち破っていく。見えているのにブロックを躱そうとしないのだ。とりわけ、及川の平行を確実に決めて見せるエースとしてのスパイクは目を見張るものだ。

そんな、岩泉のスパイクが好きだった。


もっと見ていたい、そう思った感情に蓋をしたのは、いつだっただろう。


***


仙台市中心部の中学校、北川第一の3年生である伊吹は、中総体の男子バレー県予選で白鳥沢に惜しくも敗れ、中学の部活生活を終えた。待っているのは受験だが、伊吹にはいくつかの学校からスポーツ推薦が来ていた。当の白鳥沢学園高等部からも来ている。
しかし同時に、両親が離婚することになった。もともと2年のときにはもう限界が来ているようだったが、伊吹のこともあり、離婚調停は子供最優先でやってくれていたらしい。調停も大詰めで、あとは伊吹の養育費についての協議を残すのみとなっている。

それにあたって伊吹には進学の希望を聞かれた。父は名取市の実家に帰って農家をやるというので、進学するのなら母と2人だけで暮らすことになりそうだった。母は実家と険悪な仲になっているからだ。

無難に公立にするなら、倍率や偏差値、そしてバレー部のレベルなどから烏野がちょうどいい。妥協するにはもってこいだった。すぐに就職して母を支えるのなら伊達工業。生活費が一切かからない特待生の制度がある白鳥沢学園も良かった。
ただ、いずれにしても生活のために選手としてバレーをやるつもりはなく、関わるならマネージャーとしてだ。それを前提とすれば、まずは働くかどうかで伊達工業とそれ以外とを選び、働かないのならあとは必要な金に応じて決まる。

部活に打ち込みつつ成績を高いところで維持して良かった。可能性や選択肢を多く残すことができた。
それだけで恵まれたことなのだ、それ以上を求めてはいけない。そう思って、必死に引退後に沸き上がる感情を抑え込んでいた。

特に、去年まで一緒のチームだった一つ上の先輩、及川徹と岩泉一には一切話していない。伊吹は2人とやるバレーが好きで、だからうまくなったのだ。その2人が通う青葉城西は、白鳥沢学園のような全額免除となる奨学金がなく、シングル向けの補助金しかない。そのため、私立というもともとお金がかかるところであることもあり、選択肢には上がっていなかった。
2人に話してしまえば最後、伊吹は感情を抑えられなくなりそうだった。また2人とバレーがしたいという感情が、合理的な選択を邪魔する。

「先輩と勝ちたかったっス、もっとやりたかったっス」と言って目を泣き腫らしていた後輩の金田一を見て、伊吹は一瞬かける言葉を見失った。複雑すぎる思考のせいだ。
素直に自分の気持ちを吐露できて、さらにそれを実現する余裕がある。伊吹はそんな感情、表に出すわけにはいかない。しかも、伊吹はもう選手ではいられない。それでもそうやって慕ってくれる後輩が大切だった。



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