居場所−5
2人は、本当に「全力で頑張って」くれたのだ。ただの後輩でしかないはずの伊吹のために。
伊吹が涙ながらに吐露した思いを、最大限、尊重して動いてくれたのだ。
思わず、視界が滲む。こんなにも強い優しさを向けてもらったのは、初めてだった。
伊吹はそれをぐっと堪え、2人の言葉を思い出す。今こそ、伊吹も頑張るときだ。全力で、怖がらず、諦めずに、ぶつかるべきなのだ。
「……父さん、母さん」
伊吹は2人に向き直る。ひとつ大きく息を吸った。後ろにいる2人から、頑張れとエールが送られているような気がした。
「…俺、本当は、青城に行きたい。さすがに選手はできねえだろうけど、マネージャーでもいいから、青城のバレー部で、また頑張ってみてえんだ。たくさん苦労かけるって分かってる。白鳥沢とかのが金がかかんないのも知ってる。でも、どうしても、やりてえことがあるんだ」
空手教室の赤字に項垂れる両親を見た。実家に反対されても、夢を追い掛ける2人の、幸せそうな笑顔だって見た。残念な形で2人の関係は終わろうとしているが、それでも、伊吹を愛して、向き合おうとしてくれているのを、知っていた。
そんな2人に我が儘を言うことが恐かった。面倒だと思われて双方に親権を放棄されることや、伊吹の希望が、2人の円満な解消を邪魔するのではないかと思うと、言い出すことができなかった。
しかし、こうやって自身のことを明かして頼むのは、相手を信頼することの上に成り立つ。逆に言えば、伊吹は両親を信頼していなかったのだ。
自分の感情や、両親の想いから、逃げていた。
「───だから、青城に、行かせてください」
伊吹も、2人に向かって頭を下げた。何事にも全力で取り組むなんて、言うほど簡単ではなくて、普通できることなどではない。どこかで妥協があるのが普通だ。
しかし及川と岩泉は、こうして忙しい合間を縫って動いてくれた。伊吹は、それに応えたかった。
「……僕が実家に戻っても、あの土地すべてを耕作するのは難しい。一部売却して、生前贈与にしてみようか。離婚調停の一部として君の実家名義の口座に振り込んで、君のご両親からの生前贈与にすれば、今回で220万円を伊吹に贈与できる」
「育英奨学金も国の奨学金も、使えなくはないわね」
「僕が養育費として支払う金額の根拠となる、農家としての年収、少し誤魔化してみるよ。自営業扱いなわけだし」
生前贈与は、受け取る側が1回あたり110万円までであるならば、非課税となる。父方と母方、それぞれの実家からという形であれば、それぞれ110万円で計220万円が非課税だ。3年間で660万円をこの形で非課税贈与できる。
もちろん、離婚の慰謝料も非課税となるが、その金額は母と伊吹の家庭に対する資産評価に影響するため、奨学金が通らない可能性も出て来てしまう。一度に大きな金額を非課税で与えるべく、生前贈与は有効な手段となる。
両親が前向きな検討を始め、伊吹と及川、岩泉が顔を上げる。両親は、そんな3人を見て微笑んだ。
「ありがとう、及川君、岩泉君。こんなにしてもらえるなんて。君たちがこうやって動くほどなんだと思うと、我が息子ながら誇らしいよ」
「伊吹も、我慢させてごめんね。楽ではないけれど、あなたに1番迷惑をかけてしまうんですもの、きちんと希望は叶えてあげたいわ」
きちんと両親は、向き合ってくれた。ありもしないことを恐れて、それにかまけていた伊吹だけでは、きっとこうならなかった。他でもない及川たちがこうして頭を下げてまで動いてくれたからこそ、両親も動かすことができたのだ。
しかしこれで終わりではない。むしろ、母を支えながら青城に入試で合格し、部活と勉強を両立させながら家計を助けるのが、これから伊吹が負うべき責任となる。自分で選んだこの楽ではない道を、伊吹はまっすぐ歩こうと思った。
***
季節が巡り、年明けすぐの真冬。
仙台市中心部にある青城の正門で、合格発表が行われた。推薦入試の発表で、スポーツ推薦を蹴った伊吹が受験したものだった。
自分の番号を発見し、すぐに父と母にメールを入れた。手応えはあったから、さほど驚いてはいない。
もうすでに両親は離婚しており、父は実家に、母は太白区で伊吹と2人で暮らしている。
これで、春から青城の一員となるのだ。
「伊吹」
ふと背後から、聞き慣れた優しい声がかけられた。振り返ってみれば、及川と岩泉が立っている。今日は土曜、部活なのか、2人とも白と水色のジャージを着ていた。
「おめでとう。まっ、伊吹は優秀だから受かると思ってたけどね」
「女子マネがクソ川のせいで入れらんねえから、コーチが喜んでたぞ」
「ねぇその情報今いる?ねえ岩ちゃん」
「事実だろが」
いつも通り軽口を叩き合う2人。中学時代は毎日こうだったし、これから、また毎日になる。
まったく煩わしくなどなくて、伊吹が進む厳しい道を、そばでともに歩んでくれる2人の象徴のようでもあった。
及川と岩泉がいてくれたから、伊吹はここに立っている。伊吹は滲む視界を誤魔化すように、思い切り2人に抱きついた。
「うおっ」と2人して似たようなリアクションで驚きながら、よろめきもせずに受け止められる。
「……ありがとう、ございます。大好きです」
「ふふ、知ってるよ」
「俺も好きだぞ、伊吹」
「俺は愛してるもーん」
「あ?てめぇが言うとキメーんだよ」
「すーぐ悪口言う〜!!」
2人の肩に顔を押し付けるようにして抱き付いていると、2人とも伊吹の背中に腕を回して返してくれた。耳もとでは相変わらず2人の言い合いが心地良いテンポで飛び交う。
ここが伊吹の居場所だ。それを2人が許してくれて、そして守ってくれたことが、堪らなく、嬉しかった。