騒がしい朝に−3


伊吹は、黒尾に同じクラスの夜久に告げ口してもらうためにも、先ほどのことを話すことにした。リエーフはその意図に気づいて「ちょ、伊吹さん!」と焦っているが、もう遅い。


「こいつ、腹減ったからって俺に噛みついてきやがったんすよ。パンの匂いするからってパンと人間の区別もついてねぇ」

「…は?噛みついた?どこに?」

「ここっすけど」


黒尾は面白がるだろうと思っていたが、意外にも冷静に尋ねて来た。聞かれた通り、噛みつかれた首筋を示すが、痛かったわけではないため、跡は残っていないだろう。


「…ほーぉ、よくもまぁ、音駒バレー部のアイドルにそんなことしたな、お前」

「だって伊吹さんがいい匂いするし可愛いしで俺の理性ぶっ壊しに来るのが悪くないですか?」

「鍛錬が足りねぇんだよ。俺だったらもっとぐずぐずに気持ちよくして自分からおねだりさせるね」

「黒尾さんのがよっぽどエロ親父っぽいじゃないですか!」


何を言うかと思えば、黒尾の言葉に伊吹は一気に冷めた。黒尾もよくセクハラしてくるが、電車内でこんなあからさまに言われては伊吹とてキレていいだろうと思う。


「…研磨、こいつらボコしていい?」

「いいよ。あと、夜久君と山本にも言っといた」

「なァに先輩をこいつら呼びしてんのかな?」


すでに手を回してくれていた研磨に礼を言う前に、後ろから黒尾に抱き込まれた。黒尾とも身長差が大きいため、抱き締められると逃げられない。しかも、伊吹はシャツ出しノータイという校則違反状態で、シャツのボタンも2つ開けているため、ガードはないようなものだ。黒尾の大きな手がするりと脇腹を撫でてきて、息を飲む。
抵抗しようにも、動けば黒尾の手がシャツの際どいところに固定されているために自ら弱い脇腹を黒尾の指に触れさせることになってしまう。

ため息をついた研磨に救けを求めようとしたところで、再び扉が開く。練馬駅で、乗って来たのは海信行、3年でバレー部のWSである。
面倒見がいい夜久、マネージャーだからか伊吹に対してなぜか過保護な山本猛虎に続き、海は音駒の良心にして仏のような人物だ。どうやら海にも研磨が連絡したようで、車両と扉まで指定していたらしい。乗り換えで乗って来た海は、拘束される伊吹ににっこりと菩薩の笑みを浮かべたかと思うと、黒尾の腕をミシミシと音を立てて握った。


「いてててて」

「朝から公共の場所で何をしてるんだ?」

「マジいてぇって!」

「あとで夜久にもっと痛くしてもらうからな」

「リエーフは、山本に報復してもらうから…」

「報復!?」


物騒な言葉にリエーフが慄く。山本は基本的に優しく、見た目は不良だが不良の程度で言えば伊吹の方が上だ。しかし気性が荒いときは見た目通りになるため、リエーフが恐れるのも無理はなかった。
海のおかげで黒尾の腕から脱出すると、ようやく、電車は音駒高校の最寄り駅に到着した。

電車から降りるときに、黒尾が懲りずに「手ェ繋いでこっか」と恋人繋ぎをしてきたため、さすがに伊吹は黒尾の鳩尾に一発決めた。声も上げられずに沈む巨体を放っておいて改札へ向かうが、すぐに黒尾は追い付いた。リエーフと違って、黒尾はがっしりとしているため腹筋に阻まれたのだ。
駅から音駒高校まではそれなりに歩く。住宅街を歩く生徒の群れはいずれも音駒高校が行先で、合間を颯爽と自転車通学の生徒が走り抜けていった。


「「おはようございます!」」


その自転車通学組のうち、2人が追い抜きざまに速度を下としてこちらに挨拶をしてきた。1年の犬岡走と芝山優生だ。癒し系の2人に、上級生組が癒されながら挨拶を返すと、今度は別の自転車組が後ろから続いた。
夜久と山本だ。
夜久は振り返りざま、リエーフと黒尾に向けて中指を立て、山本はメンチを切った。


「あとで覚えとけ黒尾!リエーフも今日のレシーブ練覚悟しとけ!」

「リエーフ後でしばく!!」


すれ違いながら凄まれたリエーフはブルブルと震え、黒尾は気にしていないのかケラケラと笑っている。更に、少し前をゆっくり歩いていた福永招平が騒ぎに気づいたのか、こちらを振り返りぺこりと会釈してから、また自分のペースで歩き出した。

改めてこうしてみると、灰汁の強いメンバーが揃っているな、としみじみとしてしまった。

正直朝からどっと疲れたし、授業に出るのが億劫で仕方なかったが、こうやってバレー部に囲まれている時間が、存外伊吹は嫌いではなかった。騒がしく面倒でも、たまにセクハラをしかける先輩と後輩がいても、伊吹にはここが大事な場所であることに変わりなかったのだ。




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