連載: rack up, good luck !−2
夕食の時間になると、わらわらと体育館から部員たちが施設にやってくる。食堂に駆け込んできた1年生に皿だしを指示すると、匂いにつられたのか上級生たちも続々と食堂に入って来た。1年が率先して盛り付けているのを見て、あとは任せていいだろうと伊吹は黒いエプロンを外す。
「清水さん、あとは任せてもらっていいっすよ。もう遅いんで」
「うん、ありがとう。任せた。明日の朝、しっかり火は通してね」
「俺がいないところで食わないよう厳命しとくんで」
清水もエプロンを外すと、帰宅するべく荷物をまとめた。騒ぎながらカレーを取り合う様子を見て苦笑してから、颯爽と帰路についた。武田と烏養の分も用意され、1年まで用意が行き渡ったところで、伊吹も自分の分を盛りつけて2年と3年の間あたりに着席した。去年と比べても、部員の数が増えて賑やかだ。
「よし、じゃあ武田先生と伊吹と清水に感謝して!いただきます!」
澤村の号令で、野太い「アーす!!」という挨拶が響き、一斉にスプーンが手に取られた。途端に、日向が「うま!!」とやかましく叫んだ。今日は初めての合宿ということでテンションが振り切れている様子だった。
烏養も「うめぇな」と言いながらがっついており、伊吹の隣に座る田中と西谷はもはや会話がなかった。
一方、伊吹の正面に座る菅原は何かを察したような表情をしている。
そこへ、黙っていた田中と西谷が、まるで示し合わせたように感極まった様子で感嘆の息を漏らした。
「うめぇ〜!さすが潔子さん!」
「俺らは幸せモンだなぁ!龍!」
どうやら清水が味付け等の本格的な調理をしたと思っているらしい2人。幸せそうなので放っておいたが、菅原がそこで口を開いた。
「これ、清水が作ったんじゃねぇべ?」
「俺もそう思う」
菅原の隣にいる澤村も頷きながら同意した。確信した表情を見て、菅原は少し呆れたようにする。
「大地……」
「これは俺好みの味だからな!清水が作ったんじゃなくて、伊吹が味付けしたんだろ」
「ちょ、澤村さん、」
慌てて伊吹が止めようとするも遅かった。澤村の言い方を疑問に思った田中たち下級生が首を傾げる。ここまで言って黙っている方が無理がある。伊吹はため息をついて諦めた。
「もー…」
「悪いな伊吹。実はな、俺はここ1年、伊吹の料理を定期的に食べてるんだ」
「え、そうなんすか!」
隣の田中は大仰に驚いて、伊吹と澤村を見比べる。そのどや顔に、3年は呆れていた。
日向は口をいっぱいにしていたのを水で流し込み、純粋に尋ねる。
「なんでっスか?キャプテン、バスで帰ってますよね」
伊吹が徒歩で帰宅し、澤村はバスであるため、帰路が違うのにどうして、ということだ。普通、先輩に食事を振る舞い続けるなど習慣にしない。
「伊吹が料理を上達させたいって言うから、俺が実験台になってるんだ。おかげで、すっかり伊吹の料理は俺好みの味付けになったな」
「なに調教してるんですか…」
月島は引いたように言った。否めない。澤村に「こうした方がいい」というアドバイスをもらって、希望する味を再現することで味付けの幅を広げ上達したのは確かだが、ふと気づくと澤村の好みの味付けになっていたのだ。アドバイスと単なる好みをわざと曖昧にしていたのだろう。
「これで、伊吹はいつ俺のところに嫁いでも大丈夫だな!」
「澤村さんめっちゃ食うからエンゲル係数バカ高いじゃねっすか。大変なんでお断りっす」
「そこじゃない!そこじゃないぞ伊吹〜」
どんな胃袋をしているのかというくらい食べる澤村は、伊吹の家で一食食べてから、帰宅して自分の家の夕食も食べる。それくらいは平気らしい。食費が大変そうだから結婚はちょっと、と断ると、正面の菅原が頭を抱えた。
「朝倉さん」
すると今度は離れた位置から影山に呼ばれた。そちらを向くと、飲み込んだ影山が何の他意もない目で言った。
「俺、温玉乗せが好きっス」
「……そうか」
「はい。なんで、もうちょい濃くても大丈夫っス」
「…え、なんで今要求した?」
「?だって、上書きすりゃ俺んとこに嫁に来てもらえますよね?」
その影山の呑気な言葉が響いた瞬間、空気が凍り付いた。2年生と3年生は、恐る恐る澤村の方をちらりと見てすぐに目を逸らす。月島は呆れたように「王様ってほんとバカ」と呟き、日向は「お前ほんとそういうとこあるよな!」と呆れていた。真正面から澤村に「お前の嫁を寝とるぞ」と言っているようなものだ。その嫁はここでは男である伊吹なので救いがない。
「…や、こん中なら縁下がいい」
「…ほう、縁下、あとで俺と話そうか」
「縁下さん、俺負けないんで」
「おいやめろバカ!」
そこで、伊吹が縁下の名前を出すと、一気に空気が弛緩した。澤村はふざけて、影山は冗談でもなく本気で縁下に次々と言い、巻き込まれて焦る縁下に周囲から笑いが漏れた。その合間に、澤村が一瞬だけ、本気で影山に殺気の籠った目を向けたが、すぐに笑いに加わった。
それを見てしまった伊吹は、内心でため息をつく。澤村は別に、恋愛感情は抱いていないのだろうが、後輩に向ける愛情からは些か脱線している。伊吹の事情を知り、そして料理に付き合ってもらう中で、それなりに伊吹の深い部分まで立ち入っているため、かなり特別に思っているのだ。恐らく、恋愛ではないが、恋愛関係になれと言われれば澤村はそれを簡単なことだと認識するだろう。それくらい、強い親愛を向けられていることは伊吹も察していた。
そして伊吹自身も、一切恋愛感情はないものの、交際しろと言われればできると思うくらいには澤村を近しく思っている。だからこそ、お互いに一線を引いているのだろう。それを超えれば、もう戻れないところまで感情が落ちていくと分かっているラインだ。それを互いに目の前にしながら、普通の先輩と後輩を演じている関係が、互いに心地よく感じているのもまた事実だった。