第一話: The Azure Sky is already dead−1


第一話: The Azure Sky is already dead(蒼天すでに死す)




イランとトルコによるクルディスタン攻撃から1年11か月。

一昨年の5月に始まった第三次世界大戦は、開戦から2年を迎える直前の4月にジュネーヴ終戦条約によって終わりを迎えた。

日本における死者は、北海道と青森・秋田・岩手で合わせて1300人あまり、山口県と福岡県で合わせて2万人あまり、そして沖縄県で8000人あまりの計2万9000人以上を数える。国外で巻き込まれて亡くなった在外邦人は2000人に達するため、この大戦による日本人の死者は3万人を超えた。そのうち83%が民間人である。
死者数最多を数えるのは旧イラクで800万人、旧シリアで600万人、旧中国で450万人、旧パキスタンで300万人となっている。
先進国では、日本のほかにドイツで2万人、フランスで5万人、ポーランドで1万人、ベルギーで8000人、フィンランドで6500人、デンマークで3200人、その他東欧で計1万人などとなっており、韓国では85万人、台湾では13万人、ベトナムでは18万人、その他の東南アジアで計42万人が命を落とした。
枢軸国ではロシアで80万人、イランで130万人、トルコで205万人である。

他にもインドや中央アジアなどを入れて、世界全体で実に3000万人もの死者が出ている。このうち半分以上が、連合国でも枢軸国でもない、戦場となったイラクなどの国だった。


この約2年間で世界市場からは数千兆ドルが失われ、世界全体の経済損失は日本円では京単位となっている。
サプライチェーンが破壊されたことで疲弊した東アジア経済ももちろん落ち込み、日本の失業率は戦後初めて20%を上回った。


しかし終戦前から中国との間では貿易が再開されており、東京条約によって中華連邦という形が国際承認を受けてからも貿易ルールは一部のみ変更となっただけで、戦前の貿易量の65%まで回復していた。もともと日中開戦は函館が封鎖された11月からであったこともあり、中国との貿易が完全に停止していたのは4か月ほどだったため、戦時中に騒がれた食糧危機というほどまでにはなっていない。

伊吹はイラクでもよく知っていることだが、意外と人とは逞しいもので、戦争が終わるとすぐに貿易や様々な経済活動が開始された。自粛されていたアイドルグループのライブは戦後すぐに始まったし、首都テレビは戦時中もずっとアニメを流していたし、欧米系SNSは中国のインターネット解放によってユーザー数が爆発的に増大した。
旅行会社は中国やロシアへのツアーを戦後3か月後から設定し始め、欧州の高級ブランドの新作発表も行われるようになり、物価は瞬く間に下がっていった。


そうして日本はあっという間に平穏を取り戻していき、それは人々が意図的に社会を元に戻そうと意識していたからでもあったのだが、M17による横浜議定書が批准された頃にはすっかり東京も活気を取り戻していた。



***



静岡県御殿場市・富士駐屯地。

第1魔法科大隊の寮の談話室には、珍しくジャージ姿の牛島がいた。誰かいるかと思って覗いてみた及川は、精悍な男前がソファーに座っているのを見て眉を上げる。


「珍しいこともあるもんだね」

「及川か。どうした」

「それこっちが聞いてんだけど」


及川は反対側に座ろうと動いたが、ふと、牛島の横にもう一人いたことに気付いた。牛島の体格が良くて見えなかったが、そこにいたのは伊吹だった。牛島の体の左側でもたれるように寝息を立てている。その肩を抱き寄せている牛島は、特にスマホなどを弄るでもなく、ずっとその姿勢でいたようだ。


「あれ、伊吹もいたのか。寝てる?」

「あぁ。風呂場で寝落ちしてしまったから連れてきた」

「部屋に連れ込まなかったんだ」


ニヤニヤとして聞いてやれば牛島は顔をしかめる。朴念仁である牛島の表情を動かせるのは気分がいい。


「連れ込んだらからかうのはお前だろう」

「そりゃあね。俺やウシワカちゃんのとこに伊吹が来ることはあっても連れ込むのはアウトだし。ウシワカちゃんだって侑君とか昼神君が伊吹を連れ込んだら指摘するでしょ?」

「そもそもそんなことはさせない。俺も、お前もな」


牛島はすぐに無表情に戻ってじっとこちらを見てくる。それを見つめ返す義理もないため、及川はため息をついて長い脚に肘をついて頬杖をする。


「俺は伊吹が同意してるならそこまでしないよ。決めるのも求めるのも伊吹だしね。まぁ、次の日から相手に対してちょっと嫌がらせするけど」

「……中には、伊吹に強引に迫って流されるよう仕向ける者もいるかもしれないだろう」

「昼神君とか?」

「…誰とは言わない」


昼神だけではないことは及川も牛島も理解している。この大隊には伊吹を少なからず特別視している者がいるが、中でも昼神や侑、二口などはそこそこ危ないと思っている。しかし伊吹も大尉だ、自衛くらいできる。確かに流されることもあるだろうが、それは伊吹が流されてしまうことを選んだということだ。及川はそれはそれで尊重されるべきだと思う。

牛島はそれっぽく正当化しているが、単に自分が嫌なだけなのだ。少しでも伊吹が傷つくかもしれない事態を、自分が防げないことが。守りたいのに守れない、そんなことを、伊吹に関して牛島は嫌になるほど経験してきた。それは及川にも言えることだが、そのうえで伊吹の意思を優先させている。そういうところが、恐らく人間的に牛島より及川の方が成熟している部分なのかもしれないが、それは牛島のいいところでもあるし、何より伊吹は牛島のそんなところに救われている。


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