第一話: กระต่ายหมายจันทร์−1
第一話:
กระต่ายหมายจันทร์
タイ王国・バンコク都チャトゥチャック区。
7月に差し掛かった真夏のバンコクは、湿度と気温が相変わらずひどいが、実はピークは5月ごろであるため少しマシになった方だった。
肌にまとわりつく湿気には多量の排気ガスが混ざり、香辛料などの匂いと混ざって顔をドロドロにする。街中に車とクラクションが響き、人の流れは絶えず、少し歩けばホームレスの人々が視界に入る。
そんなタイの王都バンコクは、ここ半世紀で最も富が集まっている時期といってもよく、人も車も電車も何もかもが勢いよく行き交っているような印象を受けた。
先進国のほとんどが第三次世界大戦の参戦国となり、東南アジアもベトナムとラオス・カンボジア、ミャンマーとバングラデシュが交戦したことから、タイは世界的にも地域的にも資本の逃げ先となっていた。華僑に対する弾圧が起きたマレーシアやインドネシアと違ってそういったこともなく、タイは大戦中に強かに中立の立場を堅持して生き抜いた。そのため、現在でもタイはインフラが整ったままということもあって資本がどんどん蓄積されており、東南アジアのサプライチェーンを再構築する軸となっている。
そんなバンコクのチャトゥチャック区にある大きな公園には、巨大な市場が併設されている。この市場はチャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットという週末限定の市場であり、規模として世界最大クラスのものである。バンコクらしい雑多でカオスな市場には、土日になると市民や観光客など大勢が詰めかける。
噎せ返るような人込みと立ち込める排気ガスの中、廃墟のような建物に面して露店が立ち並び、入り組んだ建物の中にも通路が張り巡らされたその空間を、一人の日本人が闊歩していた。暑さと人込みに辟易としながらも、刈り上げた後頭部の上に立たせた金髪とピアスを安っぽい蛍光灯に照らしてテントの合間を縫っていく。土曜日だというのにだらけて人を呼ぶ気のない店主たちをちらりを見ながら足を進めていき、目的の店に辿り着く。自分でもよく着いたとすら思った。
「おっ、久しぶりじゃん、佐久早」
「…相変わらずチャラいな、照島」
照島遊児は、適当な布を売っている体裁になった店の中に立つ背の高い男に手を上げた。適当過ぎる挨拶も慣れたもので、照島はずかずかと店の中に入った。
照島は177センチと決して低いわけではない身長なのだが、佐久早は190に達しているためはっきりと差があった。目つきも悪いため、佐久早はよく怖がられている。照島もビビりこそしないが、底知れない目を見るのは嫌だった。
「なんでわざわざこんなとこに呼び出したんだよお前。つか、こんなとこいて平気なのかよ」
「平気なわけねぇだろ。何もかも汚くて嫌になる。それでも、まとめてブツを渡すにはちょうどいいんだよ」
安っぽい、というか事実安い布の間から、佐久早はいろいろと準備していたものを取り出していく。よくもまぁこれだけ用意したものだ。
「さっすがテロリスト」
「お前も仲間入りしただろが」
「まぁね。金欲しいし。でもそれだけ。なんだっけあの魔法使い、佐久早がお熱なヤツ」
「バカにしたら殺す」
「バカにはしねーよ、だってたった一人で戦略核兵器級とかクソかっけーじゃん。でも、さすがにそいつのためにテロなんてしねーかな」
先日の深圳事変を引き起こしたテロリスト、佐久早はVASNAという組織に入っており、照島もその組織の一員だった。よくわかっていないが、とにかく魔法が使えたら格好いい、ついでに金も欲しい、というただそれだけの理由で照島もVASNAに入っている。この組織もいろいろいるらしいが、照島には大して興味はない。
佐久早は深圳事変を引き起こしたわりに指名手配になっておらず、うまく素性を隠しているようだった。共犯の百沢という男は国際指名手配となったが、照島もアジアのどこかにいるとしか聞いていなかった。世界大戦によってユーラシア大陸は秩序を失い、戦前とは比べ物にならないほど死角が多くなっているのだ。
そのため、こうして新たなテロが企てられている。
「お前のことはどうでもいい。人数は集めてんの」
「おー。俺みたいなもともとタイにいたヤツのほかに、周りの国から逃げてきた日本人中心に集めたぜ」
「それならいい。このテロは陽動みたいなモンだから、テロを引き起こしさえすれば逃げていい。お前、どうしようもねぇヤツだけど使えるしな」
「嬉しくねぇ〜」
褒めているのか褒めていないのか分からないが、恐らくこの男は褒めていない。照島はケラケラと笑ってから、リュックに荷物を一通り詰め込んだ。
明日、照島は名実ともにテロリストになる。