第五話: Evangelical Atheist−4
「……なぜわざわざ身体的接触を許した」
「なんでって…まぁ、別にそれで円滑に情報得られるならいっかなって」
牛島らしい言い方に伊吹もなんと言おうか考えながら答える。牛島の眉間にはきつく皺が寄っていて、苛立っているのが分かった。
「伊吹、お前のしていることはあまりに属人性が高すぎる。俺たちは国連の依頼と日本政府の指示で動いているんだ、組織に所属する者としての振る舞いじゃないだろう」
「それは重々承知してます。でも…VASNAは俺を名指ししてるんすよ、今更でしょ」
「作戦行動にふさわしくないという話だ」
「そういう次元の段階じゃねっすよね」
伊吹だって牛島の言っていることが間違っていないと理解している。しかし、すでに世界はそんな悠長なことを言っている場合ではないところまで来ている。
事前に万全の準備ができたベルリンだって数百人が死亡したのだ、魔法を使ったテロがいかに凄惨な結果をもたらすか、今回のことで牛島も再確認したはずだ。もし最初の爆発が市街地で起きていれば、あれだけ数百人が死んでいた。
やっと第三次世界大戦が終わったばかりの世界に、魔法テロなどという前代未聞の凶悪な犯罪を対処する余裕はない。
もちろん軍に属する者として、作戦行動中に勝手な判断が多かったのは事実だし、照島にある程度好きにさせたことだって必要かどうかで言えば決して必要ではなかった。
「ベルリンで命を落とした300人のほとんどはただの民間人でした。ただの数じゃねぇ、桐生や雲南が狂ったのは北九州でのことがあったからで、あの爆撃で亡くなった2万人がそれぞれ何倍もの人々の人生を狂わせた。1人でも多くの人を助けるのに、あらゆる手を尽くすことがそんな気に入らねぇんすか」
「タシュケントでも言ったが、俺たちは全員を助けられるわけじゃない。人を助けるために何でも許されるのなら、暴力装置である俺たちの行動が無限に拡大されうることになる。何が第二次世界大戦で日本を戦争に突き落としたのか忘れたのか」
秩序を維持するための警察や軍といった組織を暴力装置と言うが、かつて大日本帝国陸軍の関東軍は中国で好き勝手し、それが日本をなし崩し的に日華事変と第二次世界大戦へと動かした。シビリアンコントロールとは軍を文民が支配する形式であり、それは軍のあらゆる決定権が最終的に国民の選挙で選ばれた人物に集約されるようにするものだ。
それがなぜ重要なのか、とりわけこの国はよく分かっている。
もちろん、伊吹だって心得ている。
「牛島さんの言うことも理解します、ないがしろにしてぇわけじゃねっす。基本的には俺だって規律に従います。でも、それは臨機応変さや柔軟さを欠いてチャンスを逃す理由になるべきじゃねぇとも思います」
「そのために照島に体を許すのか。この先も雲南や桐生に対して足を開くなら好きにすればいいが、それは任務外でやれ」
「ッ……!!」
牛島が放り投げるように言った言葉を理解した瞬間、カッと頭に血が上った。途端に天井の照明が揺らめき、電灯が鋭い音を立てて割れてガラス片が飛び散った。火花が一瞬だけ光り、明滅のあと消える。トイレは入り口付近の照明だけが照らす薄暗い空間となった。牛島の表情は見えにくくなったが、至近距離にいるためその少し驚いたような表情に怒りを増長させるのは容易かった。
「あんたが…そういうこと言うのかよ……ッ!!」
「伊吹…?」
伊吹は大きな音を立ててしまったこともあり、トイレを後にしようと扉のところにいる牛島を強引にどかして個室から出る。牛島は抵抗もなく脇にどいた。どこか戸惑ったような空気を纏っているのは、伊吹を怒らせた理由が分からないというわけではなく、自分が口走った言葉とそれに起因して伊吹と最悪に険悪な状態となった事態にどうすればいいのか分からなくなっているのだろう。
そんなことに配慮してやる道理もなく、伊吹は入り口からの光を正面に受けながら、軽く牛島を振り返る。
「Secretの任務はこれで完了です。任務中もっすけど、これで名実ともにあんたが俺にいちいち意見する必要はねっすよね。今後、必要以上に口出ししないでください」
「っ、伊吹、」
「……もう、牛島さんのことは頼らないんで。二度と」
自分でも驚くほど冷たい声が出たと、どこか他人事のように思う。固まってしまった牛島を放って、伊吹はトイレを出て明るい廊下をゲートへと歩き始めた。気を緩めれば目元から流れそうになるものをプライドで必死に押さえ込みながら、搭乗案内が始まった東京行きのフライトのアナウンスを聞く。帰国すれば、もう2人は今までのような関係ではなくなっているのだ。
ふとそこで思い立って自嘲する。小さく笑って、拍子に零れたものを乱暴に拭う。
もともと、牛島を必要としていたのは伊吹の方だ。関係が変わっても、牛島に問題などない。そんなしょうもない一方的な関係だったのだ。