第五話: Evangelical Atheist−3
トイレの個室とはいえ、空港というユニバーサルな場所柄もあって空間は広く取られている。しかし、照島は密着して伊吹を抱き締めており、閉じられた場所であるという感覚もあって、伊吹は落ち着かない。
「…で、何の用だ」
「んー…せっかちじゃねぇ?せっかく会えたのに」
照島はぶすっとしつつ、少しだけ体を離して見下ろしてくる。至近距離で見下ろされ、まるでキスでもしそうな体勢だ。バンコクで突然キスされたことを思い出し、伊吹は思わず顔に集中した熱を誤魔化すように視線をそらした。
「…あんまかわいいことすんなって」
「はァ?」
「まぁいいわ。とりあえず、今後のVASNAの方針と、他の奴らの居場所教えるな」
「…、」
やはり照島は伊吹に対して情報をもたらすためにここに来たらしい。伊吹は視線を戻し、なるべく目線が合わないようにしつつ照島の方を向いた。
その瞬間、照島は伊吹に口づけてきた。唇が触れ合い、すぐ目の前に照島のチャラいが端正な顔立ちが迫る。
咄嗟に体を離そうとしたが、照島は唇を離すと身長差を利用して無防備な耳元に顔を寄せ、耳に舌をねじ込んできた。ねっとり温かく湿った感触と水音が聴覚を襲い、思わず声が漏れる。
「んんッ、おい、なにして、」
「すげぇ大変だったしさァ、対価あってもよくね?」
低くそう言った照島は、伊吹の首筋をつ、と舌でなぞりながら降りていき、腰を屈めていく。そして、伊吹を壁に押しつけると、シャツの裾から手を差し込んで肌を撫でてきた。
その手が伊吹の胸元を掠め、ぞわりとしたものが背筋を駆ける。シャツをたくし上げて、照島は伊吹の胸元に顔を寄せた。
「っ、おい、お前、ほんと、やめ、」
焦って上ずった声が出るのが自分でも分かる。熱い吐息が肌に当たる感覚がして身構える。
すると突然、個室の扉が思い切りノックされた。びくりとしてしまい、照島も動きを止める。
「伊吹、どうした」
低い声は牛島のものだ。咄嗟に伊吹は扉の鍵を開ける。すぐに扉が開き、牛島はこちらを見て目を丸くした。
「あーあ、見つかっちゃったか」
「…お前は、照島遊児だな」
「指名手配だもんね、そりゃ知ってるか。にしても牛島若利って実物はもっと男前なのな」
照島の正体に瞬時に気づいた牛島は、照島が伊吹の服の下に手を差し込んでいる状況に眉をぎゅっと寄せて、怒気を纏った冷えた声で言った。照島はそんな声を聞いても飄々としている。さすがに伊吹からは体を離したが、牛島を果敢にも睨み上げていた。
「男前だけど…なんかあれだな、中身は薄味っつーか。ナイトは選んだ方がいいぜお姫様」
「…マジで殺すぞ」
「怒んなよ、情報教えっからさ」
手を上げて降参のポーズを白々しく取ってから、照島は真面目なトーンになってこちらに視線を戻す。
「次は各支部が母国に対して一斉に攻撃する。ロンドン、モスクワ、テヘラン、イスタンブール、上海、ホーチミン、シンガポール、モントリオール、ニューヨーク…でも全部、陽動に過ぎねぇから。全員本気じゃねぇし、適当にやるっぽい。本当の標的は、東京だ」
「…日本が狙いか」
「そういうこと。詳細は知らねぇんだけど、大将、広尾、沼井を中心に、佐久早、古森、百沢も関わってる。全員今は日本にいるぜ」
「帰国してんのか」
「そう。俺が使ったこういう迷彩魔法兵器使ってな。俺が知ってるのはここまで。作戦の詳細は猯と雲南が知らせてくれんじゃね」
照島がもたらした情報は大きい。いずれにしても各国は最大限に警戒するはずなので各地で起こるテロはいいとして、問題は東京だ。VASNAの狙いからすれば、日本に対する攻撃が最も本格的なものになるだろう。狙いは伊吹なのだから。
そのために佐久早たちも全員帰国しているのであれば、これだけ全世界を巻き込んだ壮大な作戦を成功させたその手腕をかいくぐるのは骨が折れるだろう。先回りできるのは助かる。
「…分かった。助かった」
「いいって。あ、でも最後に」
そう言って照島は、突然伊吹の口元に顔を寄せて、三度目となるキスをしていった。目を見開いて、伊吹は慌てて壁に張り付いたまま離れるが、照島は笑っていた。
「これで勘弁してやるよ。じゃあな」
「おい待て」
照島はトイレを出ようとしたが、牛島が立ちはだかる。伊吹は咳払いをして口を開いた。
「牛島さん、照島は司令部も泳がしているヤツです。通してください」
「……っ、」
なぜか逡巡して、牛島は扉の前から離れる。照島はちらりとそれを見ておかしそうにしてから、現れたときと同じように一瞬で姿を消した。