第一話: Persona Non Grata−6
現在、伊吹たちが邦人救出のためにソウルで活動しているのも、開戦から1年半で突如として戦火が朝鮮半島に及んだからだった。これまで中東戦争であったものが、世界の二極化を告げる核の炎によって二つの勢力に収斂され、米国の多方面展開を実現するためにロシアがユーラシア大陸の両端で戦端を開いたのだ。
ソウル砲撃が始まって今日で3日、すでに大半の外国人はバスや電車で近郊に避難してから空路や海路で日本に渡り、日本からそれぞれの国へ帰国していた。
しかし当の日本人の退避は遅かった。理由は簡単、韓国政府が日本政府に対して自国民避難のための派兵を認めなかったためだ。米国や英国、フランスなどの国は朝鮮半島の国連軍として派兵されていたため、欧米の人々は早々に脱出できていたが、後回しにされた日本人は多くソウル市内に取り残されていた。
攻撃の前から、ソウルからはロシア人や中国人は退避していたようだ。現在、取り残された外国人でもっとも数が多いのは日本人である。
そこで国防軍は、秘密作戦を決行した。韓国政府の許可が下りていないにもかかわらず、部隊の一部を派遣したのだ。
しかし派遣されたのはただの兵士ではない。
連合軍が組織した多国籍部隊に参加している日本人部隊の一部が、ソウルに派遣されていた。
『SIA-87到着、米軍が接近してるから見付からないように』
「了解」
弧爪の無線に黒尾が返事をすると、ちょうどホテルの前に大型の装甲車が到着した。それは異様なまでに黒く、自然のものとは思えない。人々もその姿に眉を潜めつつ、街中に響く爆音におののいてすぐに乗り込み始めた。
「それにしてもこの黒さ、どうにかならないもんかねぇ」
「黒尾さんの迷彩魔法が早く兵器に転用できればいいんスけどね」
同じ黒の壁を出現させた二口が言うと、「ほんとにね」と黒尾は頷いた。
車内の整理をしていた昼神は邦人の収容を確認してから伊吹に目配せする。
伊吹は心得たようにホテル内の捜索を目を閉じて行い、透視して誰もいないことを確認する。
「これで全員だ」
「了解。あー、日本語話せます?」
昼神はホテルのスタッフに声を掛けた。最後に乗り込もうとしていた韓国人スタッフの一人が前に出る。
「話せます」
「この車はこれより、釜山に移動して日本の民間船舶に乗って日本へ向かいます。あなた方はどうしますか?」
「一度ソウルを出て釜山までご一緒させてください。その後、国民として義務を果たすべく軍に加わります。家族はもとから日本に行かせていました。我々全員、同じです」
「そうですか。それでは釜山まで同乗してください。あなたたちのおかげで、彼らは助かりました。日本政府を代表して感謝します。ご武運を」
「たとえ政府が対立していようと、私たちは同じ人間です。彼らは困って、怯えていました。助ける理由はそれで十分です。あなた方は引き続き活動するのでしょう、お気を付けて」
昼神は珍しく改まった口調で言って敬礼した。徴兵制のある韓国では、男性はみな訓練の経験がある。返した敬礼は様になっていた。
装甲車は静かに人々を乗せて走り出した。運転席は無人だが、遠隔操作で自動運転となっている。
国際法上、韓国政府の許可なしに軍事行動している伊吹たちはかなりグレーだ。一応、連合軍という立場ではあるものの、邦人の救出だけを行っているのだから。それを韓国人のスタッフたちも理解していたが、彼らはそれを気にすることなく、伊吹たちに礼を言ってから装甲車とともに去って行った。
『クロ、この後は予定通り、
南山公園と
龍山公園で、それぞれソウル駅や龍山駅から逃げてきた邦人を回収。そして漢江を渡って
九老デジタル団地の日系企業オフィス。最後に追加でスイス大使館とイギリス大使館ね。大使館の方は、スイス軍が輸送に協力してくれるって」
「見返りは?」
弧爪の無線を受けて、黒尾がにやりとして聞いた。どんなときでも飄々と冷静に思考を巡らせる黒尾は、まさに率いる立場に相応しい。
『行方不明のスイス人の捜索。伊吹、いける?』
「今やっておくか?」
『もし動線上にいたら回収して手土産にしたいからお願い』
「了解した」
伊吹は目を閉じて再び透視を行う。ソウル市街地を隈無く探していくと、地下鉄の構内にスイスのパスポートを持った4人を確認した。
「発見、地下鉄
堂山駅の9号線ホームにいる。一家4人ってとこか?」
『さすが、情報通り。ちょうど、九老地区から北上して火災で通れない青瓦台を避けて西側を通るルートに駅があるから回収可能だね』
弧爪は一瞬でルートを構築した。黒尾は効率的にことが進むことに満足しているようで、相変わらずの胡散臭い笑顔になった。
「了解、それではこれより我が隊は、『旧市街南部から江南を巡り最後にスイス人一家を救出したのち大使館に閉じ込められた邦人をスイス軍に輸送してもらう作戦』に移る」
「名前じゃねえ」
「黒尾さんセンスないよね〜」
二口が笑い昼神も柔和に微笑む。黒尾は鋭利な対応をしてくる壁担当二人に対して、およよ、と泣く真似をした。
「伊吹〜、慰めて…」
「作戦行動じゃないんで」
「みんな俺への当たりしょっぱすぎない!?」
『クロ早くして』
弧爪にまで急かされ、黒尾は仕方なく「原始不可視化魔法術式展開」と不貞腐れて言いつつ魔法を発動した。
これで一同の姿は迷彩となって見えなくなる。
この魔法が使えること自体が黒尾の尊敬すべき点なのだが、いかんせん本人がこれなのでよく弄られていた。しかし、何かあったときには必ず黒尾を頼るし、黒尾の言うことや指示に対して疑問を唱えることもない。そのあたりの信頼があることはきちんと黒尾も理解していた。
そうした信頼関係は、それぞれの技量のほかに、伊吹たちが魔法使いという非現実的な存在として組織化され、国防軍の中でも「特兵連」と呼ばれ差別されていたことによる仲間意識なのかもしれなかった。
いずれにしても、戦場に置いて頼れるのは自分と仲間だけ。それをよく知る以上、信頼はない方がおかしいだろう。
そうして、黒尾率いるSilentの4人は無事にソウル市内の邦人救助を完遂し、5日後に帰国したのだった。