第一話: Persona Non Grata−5
この長い戦争を語る上で、インドが枢軸側で参戦していた1年間に及ぶ地域紛争の拡大期のことを第一期と呼ぶ。
第二期は、インドがこの戦争を一度離脱してからだった。
米国とインドは特別な同盟関係にある。伝統的にロシアとも友好な関係だったが、米国との経済関係などに配慮して、インドは米国が協力していた中東戦争には関わらなかった。そのため、対立関係にはあったものの、あくまでこの段階では地域紛争が林立しているだけの状態であることもあって、米国とインドの貿易も外交も通常通り行われていたのである。
米国はインドに対して、秘密裏に交渉を開始。米国はパキスタンや中国とインドとの戦争がどうなろうと正直どうでもよく、関わる気など毛頭なかったため、戦後の国際秩序再建の中でインドに対して配慮することを提案した。それは、パキスタンと中国に奪われた領土回復の承認と、交戦国に対する賠償の拒否権を認めることだった。
中国との戦争を長引かせたくないのはインドも同じで、さらには中国も同じであったため、米国の仲介によってインドは提案を吞んで戦争を離脱。中国も、インドがウイグル動乱から手を引いたことで深入りを避け、停戦協定に調印した。
しかしこのとき、どの国にも分かっていなかったことがあった。
核保有国であるパキスタンの崩壊によって、核兵器がシーア派武装組織によって奪われていたのである。奪われたのは核弾頭で、混乱の中でバローチスタンを経由してイラン国内に渡っていた。ロシアは同盟しつつもイランの核武装を良しとしていなかったが、イランは秘密裏に核兵器を手にしていたのだった。
一方、イスラエルはトルコとエジプト、リビアによる東地中海封鎖によって追い詰められており、インドが離脱したことによる世界の講和ムードを許すつもりなどなかった。第四次中東戦争以来の損害を被っているイスラエルは負けるわけにはいかず、中途半端な勝利に終わるわけにもいかず、断固としてパレスティナを確保してアラブ人を約束の地から追い出さなければならなかった。
封鎖された地中海を通ってまで米国も欧州も助けようとはせず、EUは加盟国であるキプロスすら救出しようとしない。そんな状況で、イスラエルはもはや、最後の手段を用いるほか、戦争を自分たち優位の状態で終わらせることはできなかった。
イスラエルは、攻撃を続けるシリアのシーア派政権の居座る首都ダマスカスに、ついに、核兵器を使用した。
古都ダマスカスは数々の世界遺産とともに、短距離弾道弾による核攻撃を受けて焦土と化した。
死者38万人、行方不明者17万人という凄惨な古代都市への暴挙に対して、全世界がイスラエルを非難し、支援は打ち切られるかと思われた。
しかしダマスカスへの核攻撃に対して怒り心頭に発するアラブ人たちは、イランがシリアを経由して運んだ核兵器の使用に協力した。
中立国ヨルダンの首都アンマンからイスラエルに向けて飛びだった医療系NGOの飛行機に、X線検査機と称して運ばれた核弾頭は、飛行機がハイジャックされると同時にイスラエルの首都機能があるテルアビブへと向かい、そして市街地中心部で核兵器を起爆。
テルアビブは壊滅し、死者13万人、行方不明者6万人という惨劇を生み出した。
その中には大勢の外国人が含まれており、特に各国の大使館が軒並み被爆したため、100カ国以上の大使やその家族が死亡した。
最大都市の壊滅によって継戦能力を喪失しかけていたイスラエルに対して、欧米諸国の支援が集まり、邦人73名が死亡した日本もようやく戦争を引き起こしたイランやトルコ、ロシアへの批判が高まり米国側に立った。
米国の本格的な参戦を見越したロシアとトルコは、米国に多方面展開を強いるべく、西部戦線として対欧州戦争を、東部戦線として対日韓戦争を起こすことに決めた。
もはやこのとき、ロシアやトルコ、イランは戦争に勝つしか道はないと理解しており、イスラエルの国連追放を求めるアラブ・アフリカ諸国と枢軸の追放を求める西側諸国との間で国連の亀裂は決定的だった。
こうして、クルド人攻撃から1年と三カ月後、世界大戦が始まった。
まず、ロシアは域内で意見がまとまらず準備が整っていない欧州の隙を突くため、トルコとともに欧州への同時侵攻を開始した。イランはシリアやレバノンにおいてイスラエルと戦っていたが、イスラエルは核兵器を使えば米国に支援を打ち切ると通告されていたため、通常戦力での戦いを余儀なくされていた。
トルコはキプロスからクレタ島へと侵攻しギリシャを制圧。ロシアとの共同軍がルーマニアとブルガリアを占領した。ブカレストとソフィアへの見せしめ空爆によって両首都を壊滅させると、ロシアはさらにエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国とウクライナ、モルドバも占領。東欧諸国に圧力をかけ、アルバニア以北からポーランドまでの東欧12カ国はいっさい領土内に他国の軍隊を通さない「東欧平和会議」を組織させられた。
EUはこれによって東西で分断され、東欧平和会議加盟国内の通行ができないがために陸上戦力がロシア・トルコへと至るルートはすべて寸断された。
ロシアは北欧に圧力をかけるため、中立とEU加盟国としての立場に揺れていたフィンランドの首都ヘルシンキを海上から砲撃。平和の象徴ですらあったヘルシンキの豊かな街並みが火災に飲まれると、隣国スウェーデンは永世中立国として一切戦争には関わらないことを宣言、米国や西欧諸国は、スウェーデンの協力なしにバルト海での海上戦を強いられることとなる。
その頃、ロシアによる支援のもと、北朝鮮が韓国の首都ソウルへの砲撃を開始した。中国はこの戦争が次の覇権を決定づけると判断し、インドの離脱で宙に浮いていた立場をロシア側につけて北朝鮮への支援を行った。さらに、同調して台湾とベトナムへの侵攻を開始した。
東南アジアでは、中国に強制され、属国状態だったカンボジア、ラオス、ミャンマーがベトナム侵攻を支援したことでASEANは瓦解。
突如として極東全体で戦火が噴き出したことで、米国は中東、東欧、北欧、中央アジア、東南アジア、東シナ海、朝鮮半島と各地への出兵を余儀なくされた。
日本はというと、交戦権のない憲法のため参戦はしない姿勢ではあったが、12万人に及ぶ韓国・台湾・東南アジアの邦人を救出する必要に迫られた。ソフト面の支援こそ米国に行っていたが、日本は国防軍に対して、軍事行動ではなく在外邦人救出の大任務を組織した。